Mon 111010 長野で講演会 北杜夫追悼 エリートたちの韜晦 赤ひげ先生と有川博死去
11月2日、今井君は長野で講演会。13時の新幹線に乗り、昨日の記事に掲載した駅弁をワシワシ豪快に平らげた後、しばらく惰眠を貪った。グリーン車の客は軽井沢でほとんど下車してしまい、車内はすっかり寂しくなった。
そう言えば予備校講師の間でも、那須塩原や三島から遠距離通勤するのが流行したことがあった。長野新幹線が開通した後は、流行は軽井沢に移った。おお、オシャレである。今井君みたいな怠け者には、往復2時間半もかかる通勤は惰眠のモトにしかならないが、チャンと有効利用できるヒトにはきっと素晴らしいことだろう。
長野での講演会は初めてである。19時開始、21時終了、出席者112名。もともと70人ぐらいしか入らない教室だから、パンパンパンの満員大盛況。たいへんな熱気になった。
駅からも遠い、目立たない雑居ビル。看板の照明も「19時まで節電」で我慢しているから、滅多なことでは校舎が見つからない。近くにはクマ大師の大好きな安い飲み屋の看板が煌煌と灯って、大師どんは思わずそちらにフラフラと誘われそうになる。
こういう状況で、よく112名も集まってくれた。スタッフにも生徒にも、集まってくださった保護者や高校教師の皆さんにも、大いに感謝する。感謝♡感謝、まさに謝々である。遠く松本駅前校舎から、1時間近くかけて電車で駆けつけてくれた生徒さえいた。
![長野1](https://stat.ameba.jp/user_images/20111103/03/imai-hiroshi/34/29/j/o0360027011587139480.jpg?caw=800)
(長野での講演会。久しぶりでこの教室が満員になった 1)
というわけで、話は松本へ。旧制・松本高校出身の故・北杜夫、本名斉藤宗吉氏の追悼に移る。彼の松本時代の記録は「どくとるマンボウ青春記」に詳しい。今井君がそれを読んだのはホンの子供の頃である。読後数十年が経過しているから、記憶は定かではない。
しかし、小学生中学生時代の今井君の世代全体が北杜夫に影響を受けたのは間違いないので、一昨日書いた「…なんぞというもの」「…という御仁」などの表現や文体を似せて書くヒトは少なくなかった。
我々の世代は、「狩人」を歌えるのと同じように(昨日の記事参照)、コドモの頃には庄司薫か北杜夫か遠藤周作の影響を受けたものである。もう1世代上になると、太宰治の文体のマネかマルクス主義一辺倒なのだが、学生運動のほぼ終結した時代の若者は、韜晦の度が(Mac君は「東海のドガ」。名古屋あたりで薄物の踊り子の危ない絵でも描いてんの?)もう少し進んでしまったのだ。
北杜夫が麻布中、遠藤周作が灘中、庄司薫が日比谷高校。庄司薫は三省堂の専務の御曹司、日比谷の同級生に塩野七生と古井由吉がいる。何だかエリート勢揃いな感じで、秋田県秋田市出身、毎日マサカリかついでクマとお相撲をとっているうちにホントのクマ並になっちゃったクマ大師は、羨ましくてたまらない。
![北杜夫1](https://stat.ameba.jp/user_images/20111103/03/imai-hiroshi/9c/9f/j/o0360027011587139607.jpg?caw=800)
(少年時代の今井君に影響を与えた北杜夫全集)
1950年代後半から60年代にかけて、次々と芥川賞を受賞し、時代の寵児になっていったこの3人は、その韜晦のレベルやスタイルにも似たところがある。純文学の極致こそ彼らの本質でありながら、北杜夫は「どくとるマンボウ」であり、遠藤周作は「狐狸庵先生」であり、庄司薫は「薫クンシリーズ」で、本人たちも「いやったらしい」と認めるトボケ方をする。
都会エリート独特のトボケ方=「いやはや、ボクなんか」という態度は、クマみたいな田舎育ちの男子にはこれ以上ムカつくものはないのだが、庄司薫なんかはもう50年も前にその憎しみを察知して、小説の中でそれをまたチクチク指摘してくるから、そのイヤったらしさときたら、同じ都会のエリート三島由紀夫でさえ「何だか、イヤな感じだな」と呟くほどだった。
「いやあ、ボクなんかダメですよ」という韜晦には、「自分には絶対に敵わない何者か」を設定して、それを原点に、そこからの距離を巧みに操作するイヤらしい発想が共通している。庄司薫にとっては恩師・丸山真男であり、北杜夫にとっては父・斎藤茂吉である。遠藤周作については、「神」が登場して話が難しくなるから、今日は触れないでおく。
パパが偉大すぎて「いやあ、ボクなんか、パパには絶対敵いませんから」というヒトは可哀想である。恩師は選べるが、パパは選べない。しかし、だからこそ楽に生きることも出来るので、偉すぎるパパを超越できなくても、そこに劣等感を覚える必要はない。
そこに独特の韜晦が生まれるので、目いっぱい古典的&純文学的な方向に突っ走っておきながら、ふと「パパには絶対敵わない」「先生には絶対敵わない」という原点が見え隠れして、「いやあ、ボクなんか、まだまだ」とくる。それが薫クンだったりどくとるマンボウだったりする訳だ。
今井君が北杜夫を読んだのは、おウチにあった快傑ババサマの愛読書・新潮社版「北杜夫集」。NHKドラマで見た「楡家の人びと」の原作と、ついでだから「どくとるマンボウ航海記」を読んだ。中学校に入るか入らないかのコドモが、パパ・コンプレックスの捩じれた韜晦を読んでどんな影響を受けたか、まあ想像してみてくれたまえ。
ところが、今井君の場合「絶対、一生敵わない」という人が身近にいない。父・三千雄はそのタイプの人ではなく、友人タイプのパパだったし、クマ蔵はコドモのころから狡猾な性格で「敵わないな」とウスウス感じると、その人物から巧みに逃げ回る。
こうして、「風吹かば倒るの記」などというタイトルのブログを書きまくることになる。本来「我に大力量あり、風吹かば、すなわち倒る」であって、大力量があることを前提に「だから妙に逆らわず、風が吹けば素直に倒れる。後で起き上がればいいだけのことじゃん」なのだ。大力量が何もないのにそんなことを言って、倒れてばかりいる情けない自分を永遠に肯定し続ける。このダラしなく狡猾な生き方は、いったい何なんじゃ。そういう反省のブログがこれなのだ。
![北杜夫2](https://stat.ameba.jp/user_images/20111103/03/imai-hiroshi/9f/05/j/o0269036011587139724.jpg?caw=800)
以上、追悼と告白を同時にやってのけた。どうやら今井君には大力量があるのかもしれない。諸君、警戒警戒。このクマはタダモノではない。
なお、72年のNHKドラマ「楡家の人びと」は秀逸。主人公「龍子」に岡田茉莉子。葡萄ジュースとサイダーをミックスしたフシギな飲み物「ボルドー」が大好きな大病院院長、モデルはもちろん斎藤茂吉に、宇野重吉(寺尾聡のパパ)。新聞の音読に人生をかける「ビリケンさん」に名脇役・三谷昇。もしNHKアーカイブズで観ることが出来れば、諸君、必見である。
![長野2](https://stat.ameba.jp/user_images/20111103/03/imai-hiroshi/ab/dc/j/o0360027011587139782.jpg?caw=800)
(長野での講演会。久しぶりでこの教室が満員になった 2)
さらに、「楡家の人びと ドラマ」でググって(ヤフーじゃなくて、あくまでググってください)、一番上に出てくる「NHKドラマカタログ」をクリックしたまえ。あれれ、メガネを外した今井クマ蔵が、コワい顔で何かを睨みつけている。
これは昭和の名優・小林桂樹の演じた「赤ひげ先生」。山本周五郎原作「赤ひげ診療譚」の主役である。小石川養生所を「今の東京大学医学部だ」と言ってしまうのには無理があるが、小学生の今井君の憧れは、実は小林桂樹の赤ひげ先生である。
何を隠そう、「東大理Ⅲを出て、赤ひげみたいな医者になる」が当時の夢だったというのだから、恐れ入る。ま、今のところ「しがない予備校講師」で人生は最後まで行きそうだが、何となく「赤ひげと顔の表情が似てきたかな?」と思って悦に入っているというのだから、もう1回も2回も恐れ入る。
最後に、先月は俳優の有川博も亡くなった。有川博の死去については、誰も語らず、誰も触れずに終わってしまいそうだが、彼もまた昭和の演劇と映画を支えた名脇役。ドラマ「赤ひげ」でも、赤ひげ部下の医師として活躍した。冥福を祈る。
1E(Cd) Kirk Whalum:CACHÉ
2E(Cd) Kirk Whalum:COLORS
3E(Cd) Kirk Whalum:FOR YOU
4E(Cd) Kirk Whalum:HYMNS IN THE GARDEN
5E(Cd) Kirk Whalum:UNCONDITIONAL
total m50 y1381 d7342
そう言えば予備校講師の間でも、那須塩原や三島から遠距離通勤するのが流行したことがあった。長野新幹線が開通した後は、流行は軽井沢に移った。おお、オシャレである。今井君みたいな怠け者には、往復2時間半もかかる通勤は惰眠のモトにしかならないが、チャンと有効利用できるヒトにはきっと素晴らしいことだろう。
長野での講演会は初めてである。19時開始、21時終了、出席者112名。もともと70人ぐらいしか入らない教室だから、パンパンパンの満員大盛況。たいへんな熱気になった。
駅からも遠い、目立たない雑居ビル。看板の照明も「19時まで節電」で我慢しているから、滅多なことでは校舎が見つからない。近くにはクマ大師の大好きな安い飲み屋の看板が煌煌と灯って、大師どんは思わずそちらにフラフラと誘われそうになる。
こういう状況で、よく112名も集まってくれた。スタッフにも生徒にも、集まってくださった保護者や高校教師の皆さんにも、大いに感謝する。感謝♡感謝、まさに謝々である。遠く松本駅前校舎から、1時間近くかけて電車で駆けつけてくれた生徒さえいた。
![長野1](https://stat.ameba.jp/user_images/20111103/03/imai-hiroshi/34/29/j/o0360027011587139480.jpg?caw=800)
(長野での講演会。久しぶりでこの教室が満員になった 1)
というわけで、話は松本へ。旧制・松本高校出身の故・北杜夫、本名斉藤宗吉氏の追悼に移る。彼の松本時代の記録は「どくとるマンボウ青春記」に詳しい。今井君がそれを読んだのはホンの子供の頃である。読後数十年が経過しているから、記憶は定かではない。
しかし、小学生中学生時代の今井君の世代全体が北杜夫に影響を受けたのは間違いないので、一昨日書いた「…なんぞというもの」「…という御仁」などの表現や文体を似せて書くヒトは少なくなかった。
我々の世代は、「狩人」を歌えるのと同じように(昨日の記事参照)、コドモの頃には庄司薫か北杜夫か遠藤周作の影響を受けたものである。もう1世代上になると、太宰治の文体のマネかマルクス主義一辺倒なのだが、学生運動のほぼ終結した時代の若者は、韜晦の度が(Mac君は「東海のドガ」。名古屋あたりで薄物の踊り子の危ない絵でも描いてんの?)もう少し進んでしまったのだ。
北杜夫が麻布中、遠藤周作が灘中、庄司薫が日比谷高校。庄司薫は三省堂の専務の御曹司、日比谷の同級生に塩野七生と古井由吉がいる。何だかエリート勢揃いな感じで、秋田県秋田市出身、毎日マサカリかついでクマとお相撲をとっているうちにホントのクマ並になっちゃったクマ大師は、羨ましくてたまらない。
![北杜夫1](https://stat.ameba.jp/user_images/20111103/03/imai-hiroshi/9c/9f/j/o0360027011587139607.jpg?caw=800)
(少年時代の今井君に影響を与えた北杜夫全集)
1950年代後半から60年代にかけて、次々と芥川賞を受賞し、時代の寵児になっていったこの3人は、その韜晦のレベルやスタイルにも似たところがある。純文学の極致こそ彼らの本質でありながら、北杜夫は「どくとるマンボウ」であり、遠藤周作は「狐狸庵先生」であり、庄司薫は「薫クンシリーズ」で、本人たちも「いやったらしい」と認めるトボケ方をする。
都会エリート独特のトボケ方=「いやはや、ボクなんか」という態度は、クマみたいな田舎育ちの男子にはこれ以上ムカつくものはないのだが、庄司薫なんかはもう50年も前にその憎しみを察知して、小説の中でそれをまたチクチク指摘してくるから、そのイヤったらしさときたら、同じ都会のエリート三島由紀夫でさえ「何だか、イヤな感じだな」と呟くほどだった。
「いやあ、ボクなんかダメですよ」という韜晦には、「自分には絶対に敵わない何者か」を設定して、それを原点に、そこからの距離を巧みに操作するイヤらしい発想が共通している。庄司薫にとっては恩師・丸山真男であり、北杜夫にとっては父・斎藤茂吉である。遠藤周作については、「神」が登場して話が難しくなるから、今日は触れないでおく。
パパが偉大すぎて「いやあ、ボクなんか、パパには絶対敵いませんから」というヒトは可哀想である。恩師は選べるが、パパは選べない。しかし、だからこそ楽に生きることも出来るので、偉すぎるパパを超越できなくても、そこに劣等感を覚える必要はない。
そこに独特の韜晦が生まれるので、目いっぱい古典的&純文学的な方向に突っ走っておきながら、ふと「パパには絶対敵わない」「先生には絶対敵わない」という原点が見え隠れして、「いやあ、ボクなんか、まだまだ」とくる。それが薫クンだったりどくとるマンボウだったりする訳だ。
今井君が北杜夫を読んだのは、おウチにあった快傑ババサマの愛読書・新潮社版「北杜夫集」。NHKドラマで見た「楡家の人びと」の原作と、ついでだから「どくとるマンボウ航海記」を読んだ。中学校に入るか入らないかのコドモが、パパ・コンプレックスの捩じれた韜晦を読んでどんな影響を受けたか、まあ想像してみてくれたまえ。
ところが、今井君の場合「絶対、一生敵わない」という人が身近にいない。父・三千雄はそのタイプの人ではなく、友人タイプのパパだったし、クマ蔵はコドモのころから狡猾な性格で「敵わないな」とウスウス感じると、その人物から巧みに逃げ回る。
こうして、「風吹かば倒るの記」などというタイトルのブログを書きまくることになる。本来「我に大力量あり、風吹かば、すなわち倒る」であって、大力量があることを前提に「だから妙に逆らわず、風が吹けば素直に倒れる。後で起き上がればいいだけのことじゃん」なのだ。大力量が何もないのにそんなことを言って、倒れてばかりいる情けない自分を永遠に肯定し続ける。このダラしなく狡猾な生き方は、いったい何なんじゃ。そういう反省のブログがこれなのだ。
![北杜夫2](https://stat.ameba.jp/user_images/20111103/03/imai-hiroshi/9f/05/j/o0269036011587139724.jpg?caw=800)
(いろいろ影響を受け続けた北杜夫。文庫本はこの4冊が残っていた)
以上、追悼と告白を同時にやってのけた。どうやら今井君には大力量があるのかもしれない。諸君、警戒警戒。このクマはタダモノではない。
なお、72年のNHKドラマ「楡家の人びと」は秀逸。主人公「龍子」に岡田茉莉子。葡萄ジュースとサイダーをミックスしたフシギな飲み物「ボルドー」が大好きな大病院院長、モデルはもちろん斎藤茂吉に、宇野重吉(寺尾聡のパパ)。新聞の音読に人生をかける「ビリケンさん」に名脇役・三谷昇。もしNHKアーカイブズで観ることが出来れば、諸君、必見である。
![長野2](https://stat.ameba.jp/user_images/20111103/03/imai-hiroshi/ab/dc/j/o0360027011587139782.jpg?caw=800)
(長野での講演会。久しぶりでこの教室が満員になった 2)
さらに、「楡家の人びと ドラマ」でググって(ヤフーじゃなくて、あくまでググってください)、一番上に出てくる「NHKドラマカタログ」をクリックしたまえ。あれれ、メガネを外した今井クマ蔵が、コワい顔で何かを睨みつけている。
これは昭和の名優・小林桂樹の演じた「赤ひげ先生」。山本周五郎原作「赤ひげ診療譚」の主役である。小石川養生所を「今の東京大学医学部だ」と言ってしまうのには無理があるが、小学生の今井君の憧れは、実は小林桂樹の赤ひげ先生である。
何を隠そう、「東大理Ⅲを出て、赤ひげみたいな医者になる」が当時の夢だったというのだから、恐れ入る。ま、今のところ「しがない予備校講師」で人生は最後まで行きそうだが、何となく「赤ひげと顔の表情が似てきたかな?」と思って悦に入っているというのだから、もう1回も2回も恐れ入る。
最後に、先月は俳優の有川博も亡くなった。有川博の死去については、誰も語らず、誰も触れずに終わってしまいそうだが、彼もまた昭和の演劇と映画を支えた名脇役。ドラマ「赤ひげ」でも、赤ひげ部下の医師として活躍した。冥福を祈る。
1E(Cd) Kirk Whalum:CACHÉ
2E(Cd) Kirk Whalum:COLORS
3E(Cd) Kirk Whalum:FOR YOU
4E(Cd) Kirk Whalum:HYMNS IN THE GARDEN
5E(Cd) Kirk Whalum:UNCONDITIONAL
total m50 y1381 d7342