Mon 110926 リシュボア紀行の締めくくりは断捨離 次はギリシャ大紀行を始める | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 110926 リシュボア紀行の締めくくりは断捨離 次はギリシャ大紀行を始める

 リシュボア、日本名リスボン、ポルトガルの首都に滞在した15日間の旅行記は、今日が最終回になる。
 思えば、初日「アイスランドの火山灰による」ロンドン・ヒースロー空港足止め事件や、ポルトガルの人々と共闘したバス&ホテル獲得作戦成功に始まり、パパ・ベントとの至近距離での遭遇に引き継がれ、エボラ・コインブラ・ポルト小旅行、2回繰り返したロカ岬・シントラ小旅行、ポルトガル式闘牛の一夜と、まさに盛りだくさんな半月であった。
 ファドだって3回も聞きに出かけ、観光用ファドではないホントのファドを、ホントのファド一家が熱唱&熱演するのを間近で眺めた。「何もしない」はずのクマ蔵は、することをしつくして、もうすることが残っていない。
 腹の中はメトメト料理とカルド・ベルデでネットネトに粘り、口の中はイカ・タコ・イワシの口内炎が完成。今や目の前のテーブルのピングーが(昨日の記事参照)ニヤニヤ笑いながら「さて、そろそろ日本に帰る潮時ですよ」と告げている。
カシュカイシュ海岸
(ビールを飲みつつ、5月23日のカシュカイシュ海岸を眺める。すでに海水浴客でいっぱいだ)

 しかし、最終日のクマ蔵には、まだやるべきことが残っている。断捨離である。2009年12月のブダペスト&プラハ旅行では、雪道用の靴や15年前に買った夏のズンボを断捨離した。あの白いズンボは、1997年、代ゼミ移籍直後に購入したものであった。
 「12月の厳寒の東欧に、なぜ夏のズンボ」をはいて出かけたか」、その疑問は不問に付すとして(要するに当時太りすぎていて、今井君のウェストを許容するズンボが他になかっただけであるが)、あの時と同じように、今回の旅行でも、捨てていかなければならないものがある。
 まず、焦げ茶のズンボ。これは秋冬物の分厚いズンボ、同じように1997年代ゼミ移籍直後に世田谷区梅が丘の「コナカ」で購入。だから、これもすでに15年選手だ。ワインの15年ものなら大いに御目出度いだろうが、今井君が15年履き続けたズンボを有り難がるヒトは誰もいないだろうから、ここまで擦り切れてしまった以上、いま断捨離していくのが正しい選択だろう。
 しかも、プラハで捨てたズンボにも、今回リシュボアで捨てるズンボにも、クマ蔵は申し訳ない思いがいっぱいなのだ。彼らには、表舞台での活躍がほとんどなくて、せっかく梅が丘の店から連れ出してやったのに、結局15年間「普段着」という日陰者扱い。せっかくなら、サテライン授業とか、CS「代ゼミTVネット」とか、檜舞台を踏ませてあげたかった。
海岸
(カシュカイシュ海岸。水平線に大きな船が浮かんでいた)

 その理由は、こうである。1997年2月まで今井君が在籍した駿台予備校というところは、至極マジメな学者タイプの先生がたが主流。服装などという枝葉末節にこだわるヒトは少数で、若いヒトも年齢を重ねたヒトも、夏はジーンズにポロシャツ、冬はセーターに普段着のズンボが一般的だった。
 「常にスキのないスーツで身を固め、夏でも決して上着を脱がない」などというのは、完全に奥井潔師の専売特許。もしちょっとした高級スーツなんかで講師室に現れれば、下手をすると「奥井師に挑戦する気か?」という目で見られるような雰囲気である。
 だから、当時の今井君は、「スラックスにジャケット」。「スラックス」自体がほぼ死語になりつつあるが、要するに「コナカ」「アオキ」「青山」とか、当時隆盛を極めていた「大三紳士服」とかで、安いジャケットとスラックスを別々に購入して「上下バラバラ」というダサいカッコで授業をしても、先生も生徒も学務課の職員も、誰も文句を言わなかった。
ズンボ
(断捨離した焦げ茶のズンボ)

 ところが諸君、1997年に代ゼミに移籍してみると、状況は全く逆である。学者タイプはほぼ絶滅危惧種であって、周囲の講師はみんなルックスと年齢を何よりも気遣い、トイレに入っても鏡に長時間向かって、ひたすらルックスとテンションから勝負をかける。
 「鏡に長時間」については全く別の事情を抱えたヒトも存在したが、まあそれには触れないでおく。高級スーツは、常識。「上下バラバラ」なんてのは、講師の風上にもおけないテイタラクで、勝負は「どんな高級ブランドを身につけるか」で決まる。「純白、黄緑、ピンク、紫、何でもござれ」の色彩感覚も度肝を抜いた。
 教室に向かうエレベーターの中でも、「これは1000万円の靴だ」「世界に5着しかないスーツだ」と自慢合戦になって、「上下バラバラ」「大三紳士服」「コナカ」みたいなクマ蔵は、もちろんカヤの外。というか、問題外の扱いを受ける。
 一度、代ゼミ生え抜きの超有名講師に「今井さんは、服はどこで買うんですか?」と尋ねられ、「コナカとか、あと渋谷の西武デパートあたりで」と正直に答えたことがあるが、彼はそれきり完全に口をつぐんでしまった。「イケナイこと聞いちゃった」、または「論外なヤツ」で、土俵の外にポイと捨てられたわけである。
断捨離1
(今回の断捨離対象となった靴。カシュカイシュ海岸にて)

 そこで、1997年の移籍直後、張り切り放題に張り切って大量購入した「上下バラバラ」のジャケットとスラックスは、CS放送/サテライン授業などの晴れ舞台用から、一気に降格。突如として「普段着」に格下げになり、その後クマ蔵が太ったこともあって、タンスの片隅で長い惰眠を貪ることになったのである。
 その後、今井君も多少頑張って、授業用スーツはゼニアに固定。出来るかぎり紺一色で、ガチンガチンに固い黒の革靴も固定。要するに奥井師のマネである。
 後で聞いた話によると、2000年代の代ゼミではこの今井スタイルが講師の間で流行。確かに、講師用エレベーターの中は、紺スーツが目立つようになった気がする。そのころ、「年をゴマカしにくくなった」「年をゴマカす気力もなくなった」という講師の嘆きを多く聞いた。
 諸君、優れた授業をしていれば、年なんかゴマカす必要は皆無なのだが、少なくとも紺スーツに黒革靴は年齢を如実に反映する。マスコミ用語で言えば「良い意味で年齢を反映する」「逆に、良い意味で、年齢をしっかり感じられる」であるね。
断捨離2
(断捨離対象の靴。ホテル・シェラトン・リシュボアの浴室にて)

 さて、自画自賛をリシュボアにまで持ち込むのはこのぐらいにしよう。5月23日、クマ蔵はズンボ1本と靴一足を断捨離するために、わざわざカシュカイシュの海岸を訪れた。カイシュ・ド・ソドレの駅から電車で30分、ロカ岬とシントラの小旅行の出発点。今回の旅行で、すでに3回目になる。
 服にも、靴にも、魂があるはずだ。断捨離するなら、無慈悲に投げ捨てるんじゃなくて、最後に美しい場所に連れていき、写真ぐらい撮ってあげたいのである。まして、苦労をかけた焦げ茶スラックス君と、あの日クマ蔵を救ってくれた懐かしい靴である。
 「クマ蔵を救ってくれた靴って?」の疑問に対しては、長くなりすぎるからブログ内検索をお願いする(Mon080929/Tue080928/Wed081001/Tue081007)。北イタリア・マッジョーレ湖畔にそびえる2000m級の山「モッタローネ」から、無謀にも徒歩で下山しようとしたとき、今井君が履いていたのが、この靴。渋谷区笹塚の伊勢丹クイーンズでその前年に購入した。「ホントにいろいろありがとう」である。
 美しい5月のリシュボア、すでに海水浴客で賑わう夕暮れの海岸で、それこそアイドル写真でも撮影するかのように、今井君は何回も何回もシャッターを切った。
 翌日の帰国の旅はあまりにもスムーズだったから、30数回に及んだ「リシュボア紀行」は、こうして断捨離とともに静かに静かに終わりになる。明日からは「エーゲ海大紀行」を開始。10万人規模のゼネラル・ストライキで苦悶するアテネを中心に、わずか40日前までアテネに滞在していたクマ蔵の感じたままを描いていこうと思う。

1E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 5/6
2E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 6/6
3E(Cd) Avner Arad:THE PIANO WORKS OF LEOŠ JANÁĈEK
4E(Cd) Madredeus:ANTILOGIA
5E(Cd) Madredeus:ANTILOGIA
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