Thu 110922 YouTube三昧の一夜 大泉学園で講演会 小竹向原駅で小竹君の記憶が蘇る | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 110922 YouTube三昧の一夜 大泉学園で講演会 小竹向原駅で小竹君の記憶が蘇る

 昨日の記事の最後に書いた「10月14日深夜~早朝のYouTube三昧」であるが、まず当然の成り行きとして、昨日の「CMバブル一覧表」に名前の挙がったヒトビトの動画検索から始まった。思い出す順番に検索すると、おやおや、芋づる式に出てくるは&出てくるは。
「おお、桑名正博ね!!」
「おお、世良公則&ツイストね!!」
「うわ、浅野ゆう子に小野みゆきに津島要じゃん!!」
「そう言えば、いたいた、こんな人たち。一風堂に小林麻美に新井満か!!」
「矢沢永吉って、こんなソフトな仕事もしてたんじゃん」
「南こうせつね。あああー、ゆめひとよぉー、か」
「うにゃにゃ、大瀧詠一に坂本龍一、いくらでも大御所が出てくるじゃん」
以上、芋づるが芋づるを呼んで、あれよあれよという間にCM年鑑にも負けない昨日の詳細な一覧表が出来上がった。
大泉学園1
(10月15日、大泉学園で保護者向け講演会 1)

 するとYouTube三昧の方向性はラジオ深夜放送へと転換。南こうせつやや堀内孝雄あたりから「パック・イン・ミュージック」「セイヤング」に芋づるは伸びていったのである。
 いやはや、「野沢那智と白石冬美の金曜パック」「土居まさるのセイヤング」、大いに懐かしかったです。落合恵子は遠慮するとしても、糸居五郎まで聴けるんだから、YouTubeってホントにスゴいですね。タモリやビートたけし全盛期まで聴いて、優しいクマどんはまたまた熱い感涙にむせんだ。
 すると、おそらくYouTube君は「このヒト、文化放送好きなんだ!!」と判断。「文化放送好きには、これ」という親切なオススメがたくさん出てきて、30年も昔の「大学受験ラジオ講座」「百万人の英語」、大いに楽しませていただいた。
 あれま、すると雲行きが怪しくなって、話は大学受験業界へ。懐かしい伊藤和夫師のラジオ講座から、古色蒼然とした駿台での収録授業へ。20年ぐらい前の東大入試解説講座である。
 この授業を絶賛するか、否定するか、失笑するか、それはともかく「いま40歳代の優秀なヒトって、こういう授業に『感動』『感激』or『批判』してたんだ」と解るだけでも、昭和という時代をよりよく理解することはできる。
 かくいう今井君は、受験生時代も、講師として伊藤師の下で働いていたときも、感動も感激も批判も冷笑もしないで、なんと「居眠り」に励んでいた。いやはや、よく眠ったでござる。
 いま聴いてみると、何だか悲しくなってしまって、暢気に居眠りなんかとても出来ないが、父親にこんなふうに優しく説得されたら、反発どころかむしろ深い睡魔に襲われるんじゃないだろうか。
クマ蔵
(大泉学園での講演会。伊藤師の思い出も語る)

 諸君、気をつけたまえ。受験を目の前にこういう立派な授業で居眠りなんかしているから、オトナになってから、神様は罰としてツキノワグマに変身させ、毎年毎年長い冬眠を課すのである。
 駿台生時代の今井君は、マジメな伊藤和夫師を遠慮して、専ら鈴木長十師と奥井潔師に出席していたものである。うまく検索できていないせいかもしれないが、YouTubeで鈴木長十師は見当たらない。物理の坂間師も懐かしいが、坂間師の授業もyouTubeでは見つからなかった。
 奥井潔師はつい15年前まで駿台の講師室でご一緒したし、今井の代ゼミ移籍直前に大島師とともに西新宿のホテルでお食事もしたから、今さらYouTubeでもないだろう。しかし、鈴木長十師だけは、どうしてもあの授業をもう一度聴きたいのだ。若い諸君、パパでもいい。おじいちゃんでもいい。「鈴木長十の授業、録音したことないか?」と尋ねてみてくれたまえ。
大泉学園2
(大泉学園講演会、冒頭、態度の悪い今井君)

 すると、おっとっと。YouTubeのオススメは代々木ゼミナールになってしまった。1980年代初頭の多久弘一講師のテープ録音がある。漢文の超有名講師、自ら「白バラのプリンス」を称し、「居眠り防止法」「豆まき」でも有名なおじいちゃん講師である。YouTubeでは音声だけでたいへん残念であるが、1981年2月7日、代ゼミでの豆まきが楽しめる。うぉ、平和な時代だったのぉ。
 そこからのYouTube三昧は、ちょっと疲れてしまった。「亀田トランス」とか「荻野ラップ」とか、まあそのあたりまできて、深夜から早朝まで飲み続けたワインにも酔い、画面にも酔い、さすがにキツくなってきた。「何とか三昧」にも潮時があって、伊藤和夫師と多久弘一講師あたりで、早めに潮時に気づけばよかったのだ。
大泉学園3
(大泉学園講演会。いったい何の話なんだろ?)

 10月15日、保護者向けの講演会があって、西武池袋線の大泉学園へ。15時開始、17時終了、出席者約70名。予約の段階では約80名だったが、あいにく朝から風雨が激しく、風雨自体は直前におさまったが、若干のキャンセルが出てしまった。
 ただし、「風雨、なにするものぞ」と悠然と参加した保護者の爆笑は素晴らしくて、今井としても、もしアンケートがあるなら「大いに満足」だ。急行も停車しない駅ではあるが、さすが「社長の人口比率が日本一高い街」である。キレイな校舎は整理整頓も行き届いて、きっと保護者の皆さんも安心していただけたと確信する。
今日も狭い
(今日も狭くて快適だ)

 練馬区の電車網は「相互乗り入れ」で驚くほど複雑に入り組んでいる。言わば、Xの文字の形であって、西からは東武東上線と西武池袋線。これが「小竹向原」の駅で合流し、ここから東に2つの地下鉄が分岐する。有楽町線と副都心線である。
 合計4線がクンズ&ホグレツでタダでさえたいへんなのに、そこへ快速に急行に準急に各駅停車が、抜いたり抜かれたり、別次元のクンズホグレツを展開する。こんなに複雑じゃ、子供もおじいちゃんおばあちゃんも、滅多なことでは理解できそうにない。机上のプランでは「全部つないでくっつけちゃったら便利だろう」で済むのだが、利用者からみたら、このレベルのクンズホグレツは迷惑なだけかもしれない。
 小竹向原の駅には「小竹小学校前」のサブタイトルがついている。「赤坂(TBS前)」「市ヶ谷(法政大学前)」「神保町(専修大学前)」「明治神宮前〈原宿〉」など、都内の地下鉄にはサブタイトルも珍しくなくなったが、小学校の名前がサブタイトルになっているのは初めて目撃した。
 すると、「そういえば、小竹君って、いたな」とクマ蔵の記憶は思わぬ方向へ。確かにクマ蔵の小学生時代、同級生に小竹君がいたのである。下の名前もチャンと覚えているが、さすがにブログでは伏せておく。
 相当太めで体育が一番苦手、実は全科目すべて苦手な、ちょっと変わった男子である。夏休みの自由研究「イヌとネコ」が先生に絶賛されて県大会まで進み、そこから理科大好きニンゲンになって、中学校では科学部に入った。
 その「イヌとネコ」だって、イヌとネコの体温とか、1分間の呼吸数とか、ツメの曲がり方とかを比較して、汚い模造紙に汚い字で書きなぐっただけである。今井君のいた5年1組の生徒たちは誰も納得できなかったが、理科担当の分銅先生はみんなの前で絶賛に絶賛を重ね、一歩も引こうとしない。
拡大図
(拡大図)

 当時の秋田市立土崎小学校は、小学校としては珍しいと思うのだが、科目別に専門の先生が回ってくる中学校のようなシステム。5年1組の木内ギン子先生が家庭科。2組の野口先生が社会。3組の分銅(ふんどう)先生が理科。4組の石井欣子(きんこ)先生が国語をそれぞれ担当した。
 今井君は国語が得意すぎて石井先生にひどくニラまれていたが、保護者たちは5年生の担任に「きん」「ギン」「銅」が揃ったことが嬉しかったらしくて、その話題ばかり。あと、戦前は先生のことを「訓導(くんどう)」と呼んだらしく、分銅先生を「分銅訓導(ふんどう・くんどう)」と呼んで、その程度のダジャレでみんな悦に入っていた。
 しかし諸君、そのフンドークンドーこそ、あのフシギな小竹君を「理科大好きニンゲン」に育てた功労者である。幾星霜を経て、小竹君がどんな中年男に成長したか知る由もないが、小竹向原の駅を眺めながら、
「先生というものは、とにかく褒めなきゃダメなもんだ」
「何でもいいから欠点を見つけてケナシまくるような講師になってはイケナイ」
そうクマ蔵は再確認したものである。

1E(Cd) Bruns & Ishay:FAURÉ/L’ŒUVRE POUR VIOLONCELLE
2E(Cd) Collard:FAURÉ/NOCTURNES, THEME ET VARIATIONS, etc. 1/2
3E(Cd) Collard:FAURÉ/NOCTURNES, THEME ET VARIATIONS, etc. 2/2
4E(Cd) Cluytens & パリ音楽院:BERLIOZ/SYMPHONIE FANTASTIQUE
5E(Cd) Lenius:DIE WALCKER - ORGEL IN DER WIENER VOTIVKIRCHE
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