Mon 110919 「哀愁のリスボン」で哀愁にひたる もう1度ロカ岬へ(リシュボア紀行30) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 110919 「哀愁のリスボン」で哀愁にひたる もう1度ロカ岬へ(リシュボア紀行30)

 ポルトを闊歩→リシュボアで闘牛、5月20日は八面六臂の大活躍だったクマ蔵は、翌5月21日午前9時に目を覚ました。昨夜は闘牛を最後まで観たあと、大慌てで地下鉄に乗り、何とかホテル近くのピコアス駅までたどり着くことができた。
 諸君、気をつけたまえ。リシュボア地下鉄は、どうやら午前1時ピッタシで運転をすべて終わるらしいのだ。ピコアスでクマ蔵が電車を降りたのがちょうど午前1時。ドアが閉まり、「さて発車かね」という段になって、電車はもうピクリとも動かなくなった。
 これが日本の電車なら、車両故障か、前の駅に停車中の電車がドアでも閉まらなくなったか、「線路内にお客様が立ち入った」か、要するに何らかの事故が起こって「しばらく運転見合わせ」と考えるのが常識である。
 しかし、大陸が違い、国が違い、文化とヒトの考え方が違えば、話も別である。午前1時ちょうど、クマ蔵が電車を降りた直後、「午前1時を過ぎた」というただそれだけの理由で、地下鉄の運行が全て終了になる。それで文句を言って「困ります」が通ると思うのは、贅沢な日本国民の贅沢な発想である。
 午前1時を過ぎた。もう乗務員も駅員も規定の帰宅の時間だ。地下の浅い所を電車が走ったら、その轟音で沿線住民の睡眠も妨害する。ならば、深夜まで遊んだり酒を飲んだりしたニンゲンたちは、ある程度の我慢をするのが当たり前。電車がなければ、タクシーもあるし、歩いたって帰宅できるはずだ。
 そもそも、「1時で全ての電車が運転を終了する」というのが市民の常識なら、それ以上の文句を言うほうが非常識。見よ、リシュボア市民は、再び開いたドアから無言でホームに降り、改札口への階段を上がり始めた。閉鎖された改札口にタムロしていた若者たちも、サッサとあきらめて地上への階段を上っていく。
 血相を変えて駅員に詰め寄る姿もないし、階段の壁を蹴とばして憤懣を表現する者もない。みんな素直なヒツジさんになって、トコトコ可愛く家路を急ぐ。今から12日前、ロンドン・ヒースロー空港で空港職員に詰め寄ったあの集団の迫力が、ウソのような静けさである。
快晴のロカ岬1
(5月21日、快晴のロカ岬 1)

 21日、クマ蔵は朝のお風呂に入りながら、昨夜の地下鉄の出来事と、2週間近く前のヒースロー空港の出来事(ブログ内検索で「リシュボア紀行4」を参照のこと)をシミジミ思い出していた。リシュボア滞在もすでに13日目。リシュボア紀行は30回目になり、滞在は残り2日を残すだけになった。
快晴のロカ岬2
(快晴のロカ岬 2)

 残り2日となれば、もうすべきことはほとんど残っていない。毎度毎度、計画表も何もない行き当たりばったりの旅行であるが、すでに出かけるべき場所にはほとんど出かけ、見るべきものは見尽くした。地下鉄路線だって、東京の地下鉄ほどではないが、ほぼ暗記してしまった。
 そろそろ東京に帰ってホントのお寿司が食べたくなる頃である。ホントのお蕎麦、ホントのうどん、ホントの和食が恋しい。メトメト欧米料理はもうたくさん。イカ・タコ・イワシを食べるには、完成された口内炎が痛すぎる。東京に帰る飛行機も、そろそろウェブ・チェックインが始まる頃だ。
快晴のロカ岬3
(快晴のロカ岬 3)

 しかし「行くべきところには行き、見るべきものも見尽くした」である一方、「あと48時間で日常に帰らなければならない」と考えると、やっぱり寂しさがつのる。帰京してホントのお寿司が食べたい一方で、全く正反対に「もう10日ぐらい、このままここに留まりたい」気持ちも高まっていく。
 日本では「情熱のスペイン」「哀愁のポルトガル」みたいな枕詞をつけるのが一般的であるが、旅行のラスト2~3日は、スペインでもイタリアでもチェコでもハンガリーでも、ポルトガルに負けないほど大きな哀愁がつきまとう。
快晴のロカ岬4
(快晴のロカ岬 4)

 こういう時期、クマ蔵の心は「もう1度あそこに行ってみたい」という復習の欲望でいっぱいになる。マトモな人のマトモな海外旅行なら、どんどん、ずんずん、初めての場所や目新しいものに向かって迷わず突き進む。しかし今井君の15日間は、最後の2日を「あそこにもう1度」という復習に費やすことが多いのだ。
 常識人なら「もったいない」「せっかくリスボンにいるなら、まだあそことあそこにも行くべきだ」と考えるはず。しかし、今井君は常識人の反対概念=非常識グマである。午前9時のお風呂に暢気につかって、もうヨレヨレになりかけたガイドブックをめくりながら、「もう1度、ロカ岬」「もう1度、シントラ」と決めた。
快晴のロカ岬5
(快晴のロカ岬 5)

 ホンの1週間までに訪れた場所を、もう1度訪問する。それをバカとかムダとかマヌケとか、言いたければ言えばいい。しかし、前回は暗く曇った1日の、荒れたロカ岬。今日は雲一つない快晴であって、同じロカ岬でも風景は全く別のはずだ。シントラのムーア人の城跡だって、濃霧のそれと快晴のそれでは眺めも印象も全く違うはずである。
 この辺のことは、ひたすら写真を撮ることに夢中な団体ツアーバスのヒトビトには理解してもらえそうにない。理解してもらえなくていいし、アホと呼ばれても構わない。とにかくクマ蔵は、「曇天のロカ岬」と「快晴のロカ岬」は、フィレンツェとヴェネツィアほどに異質な2つの場所だと信じ、午前10時、颯爽とホテルを後にする。こりゃ、究極の贅沢じゃないかね。
快晴のシントラ
(快晴のシントラ・ムーア人の城跡 1)

 ルートは、前回と同じである。地下鉄でピコアス→カイシュ・ド・ソドレ、国鉄に乗り換えてカイシュ・ド・ソドレ→カシュカイシュ。ここから乗合バスでロカ岬へ。
 快晴のロカ岬で2時間。バーソロミュー・ディアスとアメリゴ・ベスプッチとクリストファー・コロンブスとバスコ・ダ・ガマが、500年前にそろって眺めたであろう快晴の大西洋を眺め、同じ匂いの風に吹かれて、大いにデカイいい気分になった。
ムーア人の城跡
(快晴のシントラ・ムーア人の城跡 2)

 再び乗合バスでシントラへ。標高400mの「ムーア人の城跡」に徒歩で登り、徒歩で降り、ご丁寧にも前回と同じレストランに入り、念には念を入れて同じイワシ料理(サルデーニャス・アサーダス)をムサボリ、国鉄の近郊電車でリシュボアに戻ってきた。
 「何でそんなに頑固なの?」であるが、それがクマという生き物の本性である。もしもその森の道が楽しければ、何度でも同じ森の同じ道を、楽しく歌いながら散歩する。進歩も、発展もないが、楽しく歌って散歩するクマさんに「進歩せよ」「発展せよ」とお説教するのは、ニンゲンの側の無粋にすぎない。
城からの眺め
(快晴のシントラ・ムーア人の城跡 3)

 クマさんはこうやって、5月21日を最高に楽しんだ。もうすっかり慣れ親しんだリシュボア・ロシオの駅に帰還したのが午後7時すぎ。もちろん、南欧の5月の空はまだ明るい。これから、ヒト冒険も2冒険もできる時間帯である。
シントラ
(快晴のシントラ、ペナ宮)


1E(Cd) Rogé:DEBUSSY/PIANO WORKS 2/2
2E(Cd) Kazune Shimizu:LISZT/PIANO SONATA IN B MINOR & BRAHMS/HÄNDEL VARIATIONS
3E(Cd) Barenboim & Berliner:LISZT/DANTE SYMPHONY・DANTE SONATA
4E(Cd) Perlea & Bamberg:RIMSKY-KORSAKOV/SCHEHERAZADE
5E(Cd) Madredeus:ANTOLOGIA
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