Thu 110916 荻窪で講演会 ポルトで因幡の白ウサギさんを食べる(リシュボア紀行28) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 110916 荻窪で講演会 ポルトで因幡の白ウサギさんを食べる(リシュボア紀行28)

 10月9日、午後から杉並区荻窪で保護者対象の講演会。15時開始、17時終了、出席者約80名。高1高2の保護者が中心で、この時期に80名もの出席者を集めてくれた校舎スタッフに感謝する。ついつい熱が入って、予定時間を若干オーバーしてしまったが、最後まで爆笑の続く最高の講演会になった。
荻窪1
(荻窪での保護者対象講演会 1)

 おそらく生徒諸君が「今井先生の講演はものすごく面白いから、出席してみた方が絶対いいよ」とパパやママに勧めてくれたんだと思う。まだ受験まで1年半も2年半もある高校生の保護者が、予備校講師なんかの話を聞きにきてくれたのは、息子や娘が普段からよほど熱心に「今井はいいよ」と熱く語ってくれていたおかげにちがいない。
 諸君、これから先も保護者対象の講演会が続く。10月10日の静岡、週末の大泉学園と船橋もそうだし、10月24日の金沢も保護者の出席OKのはずだ。是非パパやママに勧めて「今井は面白いよ」「出てみると、大学入試についての考えが180度かわるよ」と熱く語ってほしい。
荻窪2
(荻窪での保護者対象講演会 2)

 帰りがけ、晩飯を食べに初台のメシ屋に入ると、いつものことながら隣のテーブルが大騒ぎになった。毎度おなじみ「今井先生ですか?」である。テーブルは4人で、全員が慶応義塾大学の学生であった。
 話してみると、1人が経済学部で、3人が文学部。4人で新国立劇場にオペラを見に来て、帰りに皆でメシを食べていたのだと言う。男子3名女子1名。みんなでオペラを観にくるなんて、おお、たいへん知的でオシャレで素晴らしい。さすが慶応義塾であるね。
 今井の元生徒はそのうちの2名で、1名が経済学部、1名が文学部。経済学部の男子が、特に熱く今井の授業にのめり込んでいたようである。
 嬉しそうに彼が語るところでは、「C組とB組に出てました」「すごく面白かったです」とのこと。コムズカシイ講師の英語トリビアなんか聞いていちいち「感動した!!」とか大騒ぎしなくても、今井の解りやすい説明で明るく笑っているうちに、慶応・経済ぐらいカンタンに合格できるのだ。
カテドラル
(ポルトのカテドラル)

 さて、いまお風呂の中で読んでいるのは、19世紀中頃のドイツの小説家・ケラーの作品集である。写真で見るケラーは、田舎の小学校の校長先生みたいな優しいオジーチャンの風貌であるが、小説の中身の方は、容貌に似合わない若々しさと熱さに溢れている。
 文庫本で400ページほどの長編「白百合を紅い薔薇に」は、「白百合のように清楚な女性を、紅い薔薇のように微笑ませたい」と念願する学者・ラインハルトの冒険譚。ラインハルトはゲーテ「ファウスト」の分身らしいのだが、「こんなオジーチャンなのに、書くことはずいぶん元気だね」が正直な感想である。
 物語に挿入されるポルトガル提督の冒険物語が秀逸だ。ロカ岬みたいな断崖の城に住む悪女一味に若い提督がダマされかけたり、南西アフリカのアンゴラ王国を攻めた提督が、アンゴラ王妹の女奴隷に恋して大西洋を西へ東へ大胆に航海したり。行動があまりに派手で華やかで、「無理してませんか?」と突っ込みたくなること、しばしばである。
 ジェスイット僧団の暗躍、スペイン・カディスの町のペスト流行、ブラジル・リオデジャネイロの隆盛の様子、小説に描かれるそれらの要素は、冷たい内陸に閉じ込められた19世紀ドイツ人の、南欧への強い憧れを示すものと思われる。
 19世紀初めまで、ヨーロッパの王族貴族の生活しか描かれなかった小説の中に、ようやくアフリカが描かれ、南米が登場し、ニューヨークが躍動しはじめる。奴隷としてしか書かれたことのなかったアフリカの人が、ついに「ポルトガル人提督の妻」として描かれる。
新幹線
(リシュボア行き特急列車。ポルト・カンパーニャ駅で)

 作家ケラーの趣味の悪さについては、あまり言わないでおこう。このオジーチャンは、女奴隷を提督が見初めたり、アメリカ人ブルジョアの息子が他人の家の女中に惚れ込んだり、落ちぶれた貴族の娘を救ったり、「男子の力量が圧倒的に上、女子は救われ、教育され、感謝に震えながら涙を流す」というシチュエーションがお好みのようである。
ピコアス
(リシュボア、ホテル近くの地下鉄ピコアス駅。クマさんは毎日、この顔に見送られ、この顔に出迎えられた)

 しかし諸君、ポルトガル紀行を書きながらクマ蔵が感じるのは、この国がヨーロッパ全体に対して与え続けた憧れの大きさである。
 イタリアは、あくまで地中海という閉じられた海への憧れをかき立てたにすぎない。スペインでさえ、どちらかと言えば内向きで、対イタリア、対オスマントルコ、近代には対イギリスで凝り固まってしまう。ところがポルトガルに凝縮される憧れは、アメリカへ、ブラジルへ、アンゴラへ、地中海を忘れ、どこまでも外に向かって拡大していく。
 18世紀ポルトガルは、小説の中でさえ「落日の王国」と書かれ、新興国オランダとツバぜり合いを繰り返しながら、国力を擦り減らしていく。
 本来の国力と懸け離れた広大な世界に、富も夢も力も流出し続けた500年。致命的な貧血に悩むことになるのは当然である。難しいことは書かない方がよさそうだが、どの町にも溢れている諦めと切ない寂寥感は、大きく豊かな夢を見すぎて夢破れたおじいちゃんの笑顔のようなものである。
アバーディア
(ポルトの有名レストラン・アバーディア)

 さてと、昨日の記事でポルトのカフェ「マジェスティック」に置き去りにしてきたクマ蔵はどうしているだろう。様子を見に行くまでもなく、元気を取り戻したクマどんはガバッとテーブルから立ち上がり、やがて昼飯を求めて獰猛にうろつき始めた。
 入ったのは「アバーディア」。入り口には、ちょっと不気味な修道士の等身大の人形が立っている。広いが薄暗い店内で、クマ蔵どんは「ウサギのグリル」を注文した。
 つい2時間前に、すぐ近くのポリャオン市場でウサギの肉が売られているのを見たばかりである。まさに因幡の白ウサギ状態で「皮をむかれて赤裸」なウサギさんが大量に並べられていた。大胆にも残酷にも、クマ蔵はそれを1匹丸々焼いた料理を注文しちゃったのである。
ポリャオンのウサギ
(皮をむかれて赤裸のウサギさん。ポルト、ポリャオン市場で)

 赤裸のウサギさんを見つけた時、大黒サマは「キレイな水に身を洗い、ガマの穂綿にくるまりなされ」と優しく教えて上げた。ところがクマどんは、「焼いて、食う」という行動に出る。
 優しさのカケラもない、武士の情けも、惻隠の情も、一切感じられない獣の所業であるが、そんなこと言ったって、こっちは腹を減らし、坂道と階段に疲労困憊したクマなんだから、黙って許してもらうしかない。
 しかも諸君、丸焼きみたいな料理を食べなければ解らないが、ウサギというのは実に小骨の多い生き物である。ちょっと口に入れては小骨。噛んでは小骨、飲んでも小骨。ウサギさんは、死して焼かれてなお執念深く、自らの小骨によって残酷なクマに復讐を続けるのであった。
ウサギ料理
(赤裸のウサギさんを焼いた、小骨だらけの残酷料理)

 こうして、ポルト1泊2日小旅行は終わりになった。午後4時すぎの特急電車でリシュボアに帰り、日暮れにホテルにたどり着いて、少しだけ惰眠を貪ることにした。夜9時過ぎからリシュボアの闘牛場に出掛けて、ポルトガル独特の闘牛を見る予定だったので、ちょっと休んでおこうと考えたのである。

1E(Cd) Barbirolli & Hallé:THE BARBIROLLI ELGAR ALBUM 1/2
2E(Cd) Barbirolli & Hallé:THE BARBIROLLI ELGAR ALBUM 2/2
3E(Cd) Elgar & London:ELGAR/SYMPHONY No.2
4E(Cd) Miolin:RAVEL/WORKS TRANSCRIBED FOR 10-STRINGED & ALTO GUITAR
5E(Cd) Madredeus:ANTOLOGIA
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