Sun 110821 石畳とアズレージョ ケーブルカー・グロリア線と消臭力(リシュボア紀行10) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 110821 石畳とアズレージョ ケーブルカー・グロリア線と消臭力(リシュボア紀行10)

 ポルトガルのヒトは、キレイ好きである。大理石の石畳が延々と続くリシュボアの町並みを歩いていると、そのキレイ好きの執念が恐ろしくなるほどである。1辺10cmほどの立方体の石を並べてパターン化した石畳が際限なく続き、几帳面なパターンに寸分の狂いもない。
石畳1
(どこまでも石畳が続く 1)

 リベルダーデ大通りを都心から郊外まで、何kmにも渡って同じパターンの美しい石畳が続いているのを見ると、同じことを30分も継続していられない今井君なんかは「こりゃ絶対オレにはできないな」と圧倒されてしまう。
 そりゃ、小学生男子より落ち着きのないクマ蔵側の問題も大きいが、リシュボアを訪れる観光客が何よりもまず驚いてほしいのは、「パターン化して並べる」「どこまでも継続する」という彼らの執念である。
石畳2
(美しい夜の石畳)

 特に夜間、誰もいない広場の路面が、雨に濡れたようにテラテラと輝く様子は感動的である。ファドを聞いて帰る真夜中、街灯や赤い信号機の光を反射する路面に見とれて立ち尽くす。ポルトガル以外ではほとんど経験したことのない感動である。
石畳3
(どこまでも石畳が続く 2)

 石畳は、屋外ばかりではない。飲食店の店内の床も、地下鉄構内も、キレイなパターン模様の石畳が敷き詰められている。モザイク模様はイタリアのラベンナが有名だけれども、ラベンナのモザイクは教会建築だけのもの。人々の生活の足許をこれほど徹底して支えているモザイクは、ラベンナを圧倒する。
石畳4
(どこまでも石畳が続く 3)

 考えてみれば、「パターン化して並べる執念」は、建築物の壁を飾るアズレージョの青いタイル模様も同じことである。すっかり古びたアズレージョの建物が、寂しい裏町で冷たい午前の光を浴びている姿には、500年の停滞と衰退に黙って耐えてきた人々の哀感が凝縮されているようだ。
 この執念は、刺繍や編み物に熱中する女性に類似するものかもしれない。同じことを30分継続できないコグマ的今井君には、編み物も刺繍も絶対にできないけれども、同じパターンを丹念に並べ、丹念に継続して、ついに暖かいセーターやマフラーを完成させる手芸的な芸術の執念である。
石畳5
(どこまでも石畳が続く 4)

 18世紀から19世紀の小説、例えばジェイン・オースティンの小説の書き方もそれである。リシュボア人は、同じ形の立方体の石を丹念に並べて石畳を造る。オースティンは、同じ思想や理想に支えられた相似形のエピソードや、偏見や高慢に満ちあふれた相似形の会話を、モザイクのように丹念に並べて小説を作る。どちらも手芸的執念に支えられるものである。
石畳6
(どこまでも石畳が続く 5)

 どういうわけか、この20年ほど映画の世界はオースティン・ブームであって、つい4~5年前にもキーラ・ナイトレイ主演の「プライドと偏見」があった。開演10分後には観客の大半がイビキをかきはじめるような退屈な映画ではあったが、相似形のエピソードをモザイク的に並べた小説や映画が、21世紀の観客にとって退屈極まりないのは当然のことである。
 今井君は「何で今さらオースティンなの?」とフシギでならなかったけれども、「そんなこと言ったって、オマエだって見に行ったじゃないか」であって、大混雑のディズニーで「何で平日にこんなに混んでるの?」と呟いているヤツと同じ、「だってオマエだって来てるじゃないか」である。
ポルトの市場で
(ポルトの市場で。商品の並べ方にも手芸的執念を感じる)

 ヒトというものは、時として手芸的なパターン芸術に郷愁を感じる存在であり、郷愁はもちろん哀愁を帯びている。4半世紀前、都はるみというヒトが「着てはもらえぬセーターを、涙こらえて編んでます」と「北の宿」での女性の哀愁を歌い上げていたものだが、同じ手芸をオースティンは小説で試み、ポルトガル人は石畳とアズレージョで試みたわけだ。
リシュボアのアズレージョ
(リシュボアのアズレージョ)

 何しろこの国は500年、誰も気づかないほど穏やかでなだらかな下り坂を、ひたすら下り続けて来たのだ。その哀愁は一方でファドに結晶し、一方では手芸的執念を生み出してアズレージョと石畳に具象化された。
 見てはもらえぬ深夜の裏町で濡れたように輝く石畳も、立ち止まって眺める者もない裏町で、涼やかな群青色にひっそり輝くアズレージョも、500年の下り坂が生んだ手芸的執念の傑作である。
ポルトのアズレージョ
(ポルトのアズレージョ)

 ただし、そんな小難しいことをコネクリ回している哀愁を感じているヒマがあったら、ケーブルカーや市電に乗って、「強烈な上昇志向だって、ポルトガル人にはチャンと備わっているんだ」と確認した方がいい。
ビカ線
(ケーブルカー・ビカ線)

ビカの坂道
(ビカ線の脇の坂道。徒歩で登るのも楽しい)

 リシュボア市内には3つのケーブルカーがあって、一昨日の記事に紹介したビカ線の他に、市街中心地レスタウラドレス広場から一気に「アルカンタラ展望台」に上がるグロリア線も悪くない。古めかしい市電だって、悲鳴を上げながらもみんな頑張ってキツい坂道を一気に登っていく。
グロリア線1

グロリア線2
(ケーブルカー・グロリア線)

 グロリア線で登った上の展望台は絶景。リシュボアの街の向こうにサン・ジョルジョ城の城壁が見渡せる。ガイドブックによれば、もとは古代ローマの城。これを5世紀に西ゴート族、9世紀に後ウマイヤ朝などイスラム勢力、12世紀にレコンキスタのキリスト教徒、14世紀にはポルトガル王家と、次々に奪い合って現在にいたる。おお、世界史の絵本みたいである。
 しかも、21世紀初頭の日本で、この城壁を背景にちょっとした事件が起こる。言わずと知れたミゲル君による「ショー、シュー、リーキー」の絶唱の背景がこの城なのであって、諸君、今すぐYouTube「消臭力CM」をクリックして、下の写真と一致することを確かめたまえ。
消臭力
(グロリア線上の展望台からサンジョルジョ城を望む)

 ほかに、ロシオ広場のすぐ南には「サンタ・ジュスタのエレベーター」というケッタイな上昇志向のシロモノもある。巨大な銀色の鉄骨の中には、古い木造エレベーター。普通のビルの5階か6階の高さまで上がるのに3ユーロも払わされるが、みんな楽しそうに列を作って、大人しく順番を待っている。
 終点からは、青いテージョ河が美しい。もちろん、ショーシューリーキーの風景も、展望台と同じように広がっている。
エレベーター
(サンタ・ジュスタのエレベーター)

テージョの風景
(エレベーター上からのテージョ河風景)


1E(Cd) Dieter Reith:MANIC-"ORGANIC"
2E(Cd) Larry Carlton:FINGERPRINTS
3E(Cd) Joe Sample & David T. Walker:SWING STREET CAFE
4E(Cd) David Sanborn:INSIDE
5E(Cd) David Sanborn:LOVE SONGS
total m113 y986 d6947