Tue 110816 続・ギリシャから無事に帰国しました ミコノス島とサントリーニ島の印象 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 110816 続・ギリシャから無事に帰国しました ミコノス島とサントリーニ島の印象

 現在このブログの本題になっている「リシュボア紀行」に戻る前に、この夏のギリシャ旅行について、もう1回だけ書かせていただく。詳細な「クマどんのエーゲ海漫遊録」は、現在執筆中のリシュボア紀行が終わり次第、おそらく10月末から本格的に書くことになると思う。
 旅行の前半3日と後半4日はアテネに滞在した。実はアテネには四半世紀前にも旅行したことがあって、若干の土地勘はあったのだが、30年近くも過ぎれば、都市の事情は一変する。前回は「ヨーロッパでも珍しい安全な街」だったのが、今回は政治的にも経済的にもヨーロッパで最も危険な街に変わっていた。
ゼウス神殿
(アテネ、ゼウス神殿)

 ユーロ圏会議の席上で、フィンランド代表に「財政規律が守れないならユーロ圏から出て行くべきだ」と名指しされてしまう。アテネ中心部からバスでたった5分の「オモニア広場周辺」は特に危険地域で、ガイドブックばかりか日本の外務省からも「可能な限り近寄らないように」「徒歩での移動は厳禁」という、恐るべき治安危険情報が出されている。
教会
(アテネの街中に12世紀からたつギリシャ正教会)

 そもそも、四半世紀前の通貨はユーロではない。「ドラクマ」の時代である。400年にわたるオスマントルコ支配の暗い記憶がまだ生々しく残っていて、トルコ陸軍の行進曲「ジェッディン・デデン」が(ブログ内検索で「向田邦子」を検索すべし)が、いまだ悪夢のように市民にのしかかっている時代だった。
デモ
(シンタグマ広場、国会議事堂前のデモ隊)

 4日目からはミコノス島に4日間滞在。Mac君が「巫女の酢」、続いて「巫女の巣」と変換したこの島は、20世紀後半にはまだ「なりたての観光地」。漁村か、大型観光船の通過点に過ぎなかったものを、どこかの巨大資本が再開発して一躍世界のインテリたちの憧れの島に変えてしまった。
 21世紀初頭、村上春樹みたいなトレンディ作家たちがミコノスに滞在して小説を執筆すると、作家や芸術家が一斉にこの島を目指すようになる。有名な「6つの風車」「ペリカンさん」「真っ白な町並み」がヒトビトを魅了して、ミコノスはカレンダーやポスターの定番にまで成長した。
6つの風車
(ミコノス島リトル・ヴェニスから「6つの風車」を望む)

 若い諸君は「清里」と聞いてもピンとこないかもしれないが、今井君と同世代の女子(ということは、受験生のママたち)世代にとって、「夏休みは清里のペンションで」が女子大生時代の憧れだったはずだ。時代は「女子大生にさせといて」のオールナイトフジ、オールナイターズにとんねるずに片岡鶴太郎の全盛時代である。
 清里ペンション群も全盛を迎え、同時にスキーブームが花開いて、「私をスキーに連れて」行けば、まだ肉食系だった男子(つまり受験生諸君のパパ)は楽にカノジョ(つまり受験生諸君のママ)を「ゲット」出来たりした、いかにも安っぽい時代である。
 それとほぼ並行して、もう少し海外に目を向けていた知性派の若者たちの憧れがミコノス。もうちょっと遡ると「大島」「新島」時代があったが、そりゃもうオジーチャン世代に属する話である。
ミコノスの海
(ミコノス、旧港から外海に出たあたり)

 2011年、今井君が4日間滞在したミコノスは、まだ「斜陽」とまではいかないが、「ピークを過ぎた」感覚があった。島の内部はゲイのヒトたちの天国。ビーチは深夜までヌーディストのパーティーでたいへんな喧噪、大音量の音楽は早朝まで鳴り止まない。
 観光業者は長いバブルに酔って、タクシードライバーもホテル従業員も、サービス業の基本を忘れ、客に対してほとんど横柄とさえ感じられる対応が少なくない。横暴なのもいる。
 高級ホテルの敷地内でものべつまくなしに音楽が流れ、異様なほどフレンドリー、押し付けがましいほどである。「この雰囲気をエンジョイできないのは、お客がいけないのだ」という顔をする。
デロスのにゃご
(ミコノスから船で30分、デロス島遺跡でニャゴロワの祖先を発見。2500年もペルシャ軍にむかって勇ましく吠え続けている)

 このアリサマを恐れて、大型観光船で訪れる欧米の観光客はミコノス島をほとんど素通りするようである。繁華街から遠く離れた外海の港に停泊し、島に上陸するお客も、ありふれた土産物店で2~3時間のショッピングを楽しむだけで船に戻ってしまう。
 それでも今井クマ蔵は、この島にどっかと腰をすえ、カタいイカとタコとヒツジを噛みしめ、白ワインを連日ガブ飲みし、アントニーニやヨルゴ一家との浅い交流を楽しんだのである。詳細は、これもまた10月下旬からの「エーゲ海漫遊記」に詳述するが、心底から内気なクマ蔵のこと、「ヨルゴ一家との交流」といっても、極めて淡いものであった。
サントリーニの海
(サントリーニ島。イアの街からフィラ方面を望む)

 これに対して、サントリーニ島はまさに「我が世の春」の風情。島の中心・フィラの繁盛ぶりもなかなかだが、夕陽で有名なイアの街については、日本の全ての若者に「ディズニーリゾートで行列を作っているヒマがあったら、ぜひサントリーニの夕陽を眺めに行ってきなさい」とアドバイスしたいところである。
 サントリーニ島の北の果て・イアの街は「100%完全な作り物」。もともとは断崖絶壁の上の寒村のはずが、これもまたどこかの巨大資本による徹底した大開発によって、リゾート型の大テーマパークに生まれかわった。この壮大な大開発を見て、日本の若者たちが「日本にも東洋のサントリーニを建設しよう」と奮い立ってほしいものである。
 ミコノスはSEX AND THE CITY世代のもの、一方のサントリーニはGOSSIP GIRL世代のもの、と言ってもいいかもしれない。SATCの主人公4名が45歳、ゴシップガールは20歳代前半、世代間の格差は約20年である。
 ゴシップガールの中に、主人公の1人セリーナが「サントリーニ島でのあの出来事」に脅かされるシーンがあるはずだから、TSUTAYAでDVDを借りて探してみたまえ(ただし、第2部までだけでも20枚もある)。
 ドラマ設定では17歳の女子高生のはずのセリーナやバネッサの、ヒタイの3本皺やホーレイ線の深さに一驚を喫するもヨシ。17歳のはずのチャックが、演歌歌手も面食らうような総スパンコールのジャケットに、一時もウィスキー(しかもストレート)グラスを離さない非常識さに驚くのもヨシである。
夕陽1
(サントリーニ島の夕陽1)

 ついでに、日の出の勢いのサントリーニにも、すでに衰退の兆しが現れていたことも併記しておく。ディズニー顔負けの人工の街。街全体の協力で、バイクもクルマも入り込まず、ゴミ一つ落ちていない清潔な街。しかし、同じような土産物屋と、同じレベルのレストラン(ギリシャ名・タベルナ)ばかりが密集しすぎて、見た目にもそれぞれの経営が苦しいことはよくわかる。街は繁盛していても、1軒1軒は苦しいのだ。
 こうして、経営を放棄するヒトも現れる。まだ目につくほどではないが、10軒に1軒はすでに機能していない様子で、午後遅い時間帯になるとシエスタがいつまでも続き、3日も滞在すれば「この店はどうもマジメに経営する気持ちがないらしい」と気づく。まだ目立たないが、廃墟群と化した一角も存在した。
夕陽2
(サントリーニ島の夕陽2。これを見るために、今井君が3時間の灼熱地獄にどう耐えたか、それは「エーゲ海漫遊記」に詳述する)

 おお、早くエーゲ海漫遊記を本格的に書きたくてたまらない。しかし、ものには順番がある。書きかけて6回書いたリシュボア紀行を、いまさらホッタラカシにも出来ない。十月下旬まで待ちたまえ。しかもその後、ダブリン&スコットランド紀行、バルセロナ滞在記、ロンドン探訪記、ミュンヘン泥酔記。書かなければならない紀行文は、今やほとんど無際限である。

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