Tue 110809 向田邦子没後30年 ジェッディン・デデンの思い出 竹脇無我の急逝について | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 110809 向田邦子没後30年 ジェッディン・デデンの思い出 竹脇無我の急逝について

 昨日8月22日付け朝日新聞「天声人語」は、作家・向田邦子の没後30年を伝えた。なかなかの名文だと思うので、若い諸君は是非読んでみるといい。台湾を取材旅行中の不慮の死だったのであるが、まさに「おお、もう30年も経ったか」であって、時の流れの速さを痛感せずにはいられない。
 昭和4年生まれ、実践女子大学卒、東京都立目黒高等女学校の卒業生である。今井君の母上・快傑ババサマも同じ東京都立目黒高等女学校卒。ババサマは昭和3年生まれだから、向田邦子はババサマの1年後輩にあたる。学校の廊下ですれ違ったこともあるだろうし、朝の校門で挨拶ぐらい交わしたこともあるはずだ。
賢げ1
(賢げなナデシコ 1)

 向田邦子と言えば、何と言ってもNHKドラマ「阿修羅のごとく」である。加藤治子・八千草薫・いしだあゆみ・佐分利信の豪華キャスト。演出には和田勉も入り、絶頂期の宇崎竜童も出演。後の人間国宝・文楽の吉田蓑助なんかも登場して、まさにオールジャパンな感じ。民主党政権が苦しまぎれにすがりつく「オールジャパンで♡」とは、ホンキ度が違うようだ。
賢げ2
(賢げなナデシコ 2)

 中でも評判だったのが、テーマ音楽「ジェッディン・デデン」である。オスマン・トルコ軍の行進曲「メフテル」の一曲であって、常備軍イェニチェリの行進につかわれた。自軍の士気を高める以上に、敵軍を威嚇する効果が高い。この行進曲とともにイェニチェリが接近するだけで、敵軍は戦意を喪失したという恐るべき音楽である。
 イェニチェリについては、こんなところで今井君が説明するより、世界史の教科書か史料集を参照のこと。もちろんググっちゃった方が早いけど、キリスト教徒の(諸君、Mac君は「キリスト京都」と来たぜよ)奴隷をイスラム教に改宗させた強烈な陸軍である。支配下のキリスト教圏の優秀な青少年を徴集して改宗と訓練を徹底、この行進曲で行進させれば、まさに威風堂々。「向かうところ敵なし」だったことは想像にかたくない。
 第1次世界大戦でもトルコ軍はこの行進曲を使用していたというから、諸君、YouTubeかiTunesで聞いてみたまえ。確かに相手は戦意を喪失しそう。味方を圧倒的に凌ぐ戦力の軍隊が、着々と迫り来る恐怖がある。「圧倒的に優勢なヤツらが、オレたちを殺戮しに迫ってくる」という激しい恐怖を実感する戦慄の音楽だ。
賢げ3
(賢げなニャゴロワ)

 ただ、せっかくiTunesで1曲250円も払って購入したからと言って、この「ジェッディン・デデン」を聞きながらブログを書いていたら、さすがに頭が痛くなってきた。というか、うーん、何だか胃のあたりが重苦しい感じ。おお、これこそ「戦意喪失」ということかもしれない。
 これとソックリの経験を「アゼルバイジャン音楽」のCDでしたことがある。もう15年以上昔のことになるが、銀座のCDショップで「アゼルバイジャン音楽」と「チャド音楽」の2枚を発見。今みたいにネットでカンタンに発見と購入が出来るわけではなかったから、2枚で3000円もしたけれども、衝動買いの見本のような買い方をした。
 ホクホク家に持ち帰って、朝から晩までアゼルバイジャンとチャドの音楽に浸りきった。当時は埼玉県東鷲宮の駅前に住んでいたから、あの夜の東鷲宮は、まさにアゼルバイジャンとチャドが同居したわけである。
土産1
(ミュンヘン土産のニャゴと、ホンモノのニャゴ)

 その翌日のこと、駿台お茶の水本館で授業があって、駿台の各科目のエースばかりがズラリと顔を揃えた講師室に入った。目の前には物理の坂間(以下敬称略)、数学の長岡亮介、英語の奥井潔と高橋善昭、古文の関谷、同じく古文の元祖マドンナ高橋いづみ、化学の三国、日本史の安藤。物理の全共闘議長・山本義隆もいた。うにゃ、15年前のオールスターキャストである。
 この顔ぶれがどれほどスゴいか、40歳代のパパかママがいたら、尋ねてみるといい。30歳代後半のパパ&ママでもわかるだろう。オールスターが全員お茶の水本館に集合していた時代が、ホントに懐かしい。おお、あの頃の駿台、まさに絶頂期であった。
土産2
(お土産の後ろ姿と、本家ニャゴ)

 今では、あの光景はどこの予備校でも見られない。大予備校はどこも全国に校舎を作りすぎて、今では薄い薄いオカユのように薄まってしまった。満員〆切だって滅多に出ないし、8月過ぎてもまだ「夏期講習生募集」なんかをやっているようでは、予備校生だってシラけてしまう。
 2011年現在、あのオールスターキャストを実現しつづけているのは、東進の映像空間だけである。15年前、「東進ドリームチーム」というのがあったけれども、あの日今井君の目の前にあったのは、まさに駿台ドリームチーム。他の追随を許さないどころか、諸君、いいからパパに聞いてみたまえ。予備校の外に出ても十分にスターとして通用するような、恐るべきヒトビトばかりだったのだ。
うんざりニャゴ
(ニャゴ、もうウンザリの図)

 他に、英語の浜名師もいらっしゃった。あの時すでにすっかりご高齢で、食もたいへん細くていらっしゃる。昼食は、講師全員が横一列に並んで同じお弁当を食べるのだが、浜名師だけはそんな豪華なお弁当は必要ない。「ご飯が半分と、味噌汁」。それだけである。それでも出前が来るから不思議だったが、同じ講師室で「ご飯が半分と、味噌汁」の一言を毎週耳にした。
 で、みんなで同じお弁当、浜名師だけ「ご飯が半分と、味噌汁」という昼食の時間になった。えらい、えらい、えらーい先生がたに囲まれ、しかしお弁当だけはヒラ講師・今井君もおんなじのを食べながら、緊張は極度に高まるのであった。
 その時である。今井君の脳裏に、昨夜聞きまくったアゼルバイジャン音楽が、突如強烈によみがえってきたのであった。あの時の胃の痛みは強烈。一口食べてはアゼルバイジャン、2口食べてはアゼルバイジャン。サトイモの煮っ転がしが1個入っていて、目の前で日本史の安藤師がそのサトイモを丸々1個ポンと口に放り込み、一気にモグモグ咀嚼してしまった。
 すると、その咀嚼されたサトイモの感触が、そのままクマ蔵の口の中に伝わって、もうムカムカは抑えきれなくなった。アゼルバイジャンとサトイモの咀嚼感覚の融合は、滅多なヒトの理解できるものではないと思うが、とにかくあの時の今井君にとって、とても絶えられるものではなかったのだ。
配線屋さん
(ナデシコの配線屋さん)

 以上、「向田邦子没後30年」の天声人語から、クマ蔵の繊細な思考がたどった繊細な記憶である。2011年の同じ8月22日、竹脇無我が急逝。竹脇無我については、ちょうど2ヶ月前にこのブログでその思い出を書いたばかりである(ブログ内検索で「竹脇無我」or「清水次郎長」を検索のこと)。
 名優・竹脇無我は、向田邦子の親友である。向田邦子急逝の時、葬儀で弔辞を読んだのは竹脇無我。向田邦子の急逝が30年前の8月22日。彼女の盟友にして昭和の名優・竹脇無我の急逝が伝えられたのは、そのちょうど30年後の8月22日であった。
 旧友は「そろそろ、いいんじゃないの?」と盟友を迎えにきたのかもしれない。「このまま、こんな世の中に生き続けても、楽しいことはないわよ」ということである。
 確かに、ウンザリすることは少なくない。別に民主党政権のテイタラクを持ち出すまでもない。甲子園で準優勝した翌々日に「実は主力選手のうち3人は、昨年12月に飲酒してました」「暴力事件もございます」とオズオズ告白する「青森県代表・光星学院」みたいな、情けない学校もある。
 しかし、それはオトナの責任。「何でもいいから、青森県を目立たせたい」というマコトに情けないジーサンたちの欲望のなせるワザである。だから言わんこっちゃない。今井君は500年も前から、スポーツ留学生だらけの「なりふりかまわぬ」感じのチームが心配だったのだ。
 しかし、もし今井君なら、まだまだいくらでもこの世にしがみついていたい。最悪でもあと35年はここにイジイジしがみついて、遊び放題に遊び惚けているつもりだ。
 だって、リスボンとかバルセロナとかアテネとか、何度でも遊びに出かけたい街は世界中にいくらでもあるじゃないか。全部を楽しみ尽くすには最低でもまだ35年は必要だし、楽しみきらないうちは、誰が迎えに来たって即座に「お断り」である。

1E(Cd) Holly Cole:ROMANTICALLY HELPLESS
2E(Cd) George Benson:MASQUERADE
3E(Cd) Rattle & Bournemouth:MAHLER/SYMPHONY No.10
4E(Cd) Candy Dulfer:LIVE IN AMSTERDAM
5E(Cd) Dieter Reith:MANIC-“ORGANIC”
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