Mon 110711 中堅企業での苦渋 ジョバンニとジョゼッペ 「そろそろ潮時かね」の判断 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 110711 中堅企業での苦渋 ジョバンニとジョゼッペ 「そろそろ潮時かね」の判断

 どうですか、「中堅企業なら自己実現ができる、大企業なんかに勤めても埋没するだけだ」などという話がどれほど甘いか、修業時代の今井君の苦渋の日々から是非とも悟ってくれたまえ(スミマセン、昨日の続きです)。
 若者よ、大企業を目指したまえ。さもなければ、医師でも弁護士でも大学教授でもキャリア公務員でも、お固い肩書きを目指して邁進したまえ。それもダメなら、友人たちとスクラム組んで起業するべし。
 それもまたまたダメ、あるいは「スクラム組むにも友人がいません」というヒトは、腕一本で立ち上がる決意をしたまえ。今井君は30歳にして冷静に状況を観察し「腕一本で行くしかないな」と悟らざるをえなかった。
にゃごすけ1
(クーラーボックスに顔を突っ込んでみる)

 せんげん台で「退学届の嵐」に悩まされ(昨日の記事参照)、500人いた生徒が気がつくと200名に激減したのが29歳。そこへ「南浦和校の校舎長になってくれないか」という打診が来た。
 南浦和は、京浜東北線と武蔵野線が交わり、京浜東北線の電車の半分の始発駅。まさに首都圏の交通の要衝。予備校業界で「南浦和」は、どこの予備校でも拠点校の位置づけである。せんげん台から南浦和への異動は、明らかに栄転だ。
 あの塾にはフシギな人事評価規準があったらしくて、生徒数を半減させてしまった校舎長(今井君)があっという間に栄転することになった。ま、「一気に500名集めたこと」についての論功行賞もあっただろうし、「ずっと正社員1名で孤立させて済まなかった」という謝罪の意味もあったかもしれない。
ねむくなる
(そのまま、眠くなる)

 ところが南浦和に異動してみると、ここも切歯扼腕と臥薪嘗胆の場であることを痛感させられた。正社員は今井君を入れて4名。校舎は5階建ての250坪、教室の数は15。最上階には100名近く収容する大教室もあって、「さすが拠点校」の風格である。
 ところが、生徒数はわずか80名。ごく単純に教室数で割ってみると、1教室に5名程度ということになる。1教室の平均収容人数は40だから、どの教室も完全にガラガラ。小4から高3まで9学年を扱うから、平均して1学年10名以下。惨憺たる校舎を引き継いだことになる。
 しかも、そういう惨憺たる状況にした前任の校舎長が、地区本部長に出世&栄転していったというのだから、恐れ入る。「恐れ入る」というコトバがこれほど的確に当てはまるシチュエーションは他に考えられないほどである。
 目の前には、再び「栄光ゼミナールの天下」が繰り広げられる。何しろ、南浦和こそ栄光ゼミナールの本拠地であり、まさに金城湯池である。パンパンに超満員の校舎を10校舎も駅前に展開。生徒数は50倍どころか100倍に近かったのではないか。最初からコールド負けの見えているゲームを任せられた感じである。
 職員の勢いとかモラルとかになると、ほとんどゼロvs無限大。こちらの部下諸君は、昼間から喫煙室に集まって、心ゆくまでタバコを吸い雑談に興じるばかりである。それも、若き校舎長・今井君が「今日から講師室内禁煙にします」と宣言したのに、本部長に出世した前校長に泣きついて、喫煙室をつくってもらったのである。
にゃごすけ2
(顔を突っ込んだまま、深い眠りに落ちる)

 今井君はそんなことを30歳までやっていた。それでも、「もしかしてオカネに苦労してる?」という友人たちに連絡して、時間講師を引き受けてもらった。「オカネに苦労してる」と言えば、言わずとしれたオーバードクターのヒトビトである。
 その中の1人ジョバンニ(もちろん仮名です)には、高3世界史と中3数学を依頼。ジョバンニは受験生時代、駿台全国模試で偏差値103.9を獲得したことのある驚異の男。だから、今井君としては「困ったときはジョバンニ」。世界史だろうが、中学受験の算数だろうが、微分だろうが積分だろうが、一切拒まずにニヤニヤ笑いながら教室に向かってくれたものである。
 ジョバンニとは連日連夜飲み歩いた。せんげん台の頃は北千住北口の「よしよし」で午前4時の閉店まで。南浦和に異動になってからは、校舎のすぐ横にあった「鴻酔亭(うすいてい)」で、午前2時まで。閉店になると校舎に戻って、始発電車が動き出すまでバカ話をして過ごした。
 もう一人、友人とまでは言えないが、早稲田大で同期のジョゼッペ(もちろん仮名です)もいた。ジョゼッペには高校英語全般を担当してもらって、何だか知らないがよく衝突した。衝突というより、ジョゼッペが一方的に常に怒っていた。
 今井君は「何でもテキトー」「楽しきゃ、それでいい」という、お気楽極楽な性格。ジョゼッペは「全てが直角にキレイに整っていないと激怒する」という、チョー四角四面な性格。衝突するのは当たり前だ。
くまとねこ
(くまとねこ)

 それでも、ジョバンニとジョゼッペ、この2人に「準専任」になってもらって、惨憺たる校舎を盛り上げた。準専任とは、アルバイトと正社員の中間。週3回以上出勤しなければならないが、正社員ほど時間に拘束されない。「早く大学教授になりたいけど、オカネもある程度は稼がなければならない」というオーバードクターにとって、たいへん便利な制度である。
 こうして、ジョバンニとは毎晩飲み明かすし、ジョゼッペとは激しいケンカを繰り広げるしで、停滞したムードだった校舎も、やがて楽しい職場に変わった。80名しかいなかった生徒数は、一時200名まで増加したのである。
 しかし、その年の夏、ジョバンニ(繰り返しますが、もちろん仮名です)のシカゴ大学留学が決まった。ちょうど今の季節=7月末に、ジョバンニはシカゴに旅立つことになった。予定は3年。アエロフロート機に乗って、モスクワ経由でフランクフルトへ。そこから大西洋を超えてシカゴに行くと言う。何ともはや、不思議な御仁である。
 出発の朝、ジョバンニとジョゼッペと、彼らの生徒だった高3生たちが南浦和校に集まった。7月末のよく晴れた暑い朝で、「みんなでジョバンニを成田空港まで送って行こう」ということになったのである。とりたてて書かなければならないほどの事件もなくて、実にあっけなくジョバンニはシカゴに旅立った。
小鳥をねらう
(網戸の向こうの小鳥を狙う)

 これで困ったのは今井君である。飲み仲間がいなくなってしまったのだ。残ったジョゼッペは、相変わらず怒り放題に怒ってばかりで、手もつけられない。というか、ジョバンニのシカゴ留学以降「自分も、いつまでもこんなことしていられない」という焦りを全身で表現していたのである。
 実はその前の年、司法試験に合格したアドリアーノ(これまた当たり前ですが、仮名でござるよ)も、東京を離れてしまっていた。アドリアーノもジョバンニもいない。ジョゼッペは常に不機嫌。もちろん、22歳でマトモに大企業に就職した面々は、毎日マトモに忙しく生きていて、平日の深夜まで今井君の酒に付き合ってくれたりしない。
 諸君、今井君もこの時「そろそろ、潮時だな」と気づいたのである。この中堅企業で、「校長」「校長」と呼ばれ、正社員の部下3名のダラしない喫煙に我慢しつづければ、何とか生活を安定させることができる。しかし、アドリアーノもジョバンニも、飲んだくれる日々を卒業して、彼ら本来の居場所に旅立ったわけである。
 今井君が大手と呼ばれる予備校で教え始めたのは、その翌年である。まず河合塾、駿台から代ゼミへ、確かに予備校の狭い世界に過ぎないけれども、まあ大爆発を続けることができた。
 ジョバンニもジョゼッペも、今や立派な大学教授、アドリアーノはベテラン弁護士である。諸君、30歳の7月のある晴れた朝に、ヒトの人生はこんなふうに大きく展開するものなのだ。シューカツに懸命のキミも、大学受験で勝利すれば人生の勝ち組だと思っているキミも、30歳の7月の大きな転機を、心の片隅に覚えておきたまえ。

1E(Cd) Collard:FAURÉ/13 NOCTURNES②
2E(Cd) Barbirolli:ELGAR/THE DREAM OF GERONTIUS②
3E(Cd) A.Suwanai & Oramo:WALTON/VIOLIN CONCERTO in B MINOR
4E(Cd) Barenboim/Zukerman/Du Pré:BEETHOVEN/PIANOTRIOS⑧
5E(Cd) Barenboim/Zukerman/Du Pré:BEETHOVEN/PIANOTRIOS⑨
total m54 y669 d6634