Sun 110710 続・国立学院予備校の思ひ出 出るクイは打たれる 切歯扼腕と臥薪嘗胆 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 110710 続・国立学院予備校の思ひ出 出るクイは打たれる 切歯扼腕と臥薪嘗胆

 あの頃の埼玉県東部では「栄光ゼミナール」の人気が圧倒的(スミマセン、昨日の続きです)。国立学院予備校の春日部新校舎には、小4から高3まで合計しても生徒が200人しかいないのに、駐車場を隔ててお隣の栄光ゼミナールには、間違いなく1000人以上の生徒が校舎を埋め尽くしている。「大丈夫なの?」どころか、これでは勝負にならない。
 それどころか、2校舎建てても生徒が入りきらないらしくて、そこいら中のテナントビルが次々と「栄光ゼミナール」の看板で埋め尽くされていく。格差というものはどんなものでも、いったん広がりはじめると、もう止めどがつかない。向こうはどんどん生徒が溢れ、それと同時に評判も信用も急上昇する。
 こうやって数の優劣がハッキリしてしまうと、これをひっくり返すなどというのは夢のまた夢である。春日部付近では、普通の中学生はみんな栄光ゼミナールに通うので、国立学院予備校を選ぶのは「ちょっと変わったヒト」ということになってしまう。高校生クラスはあっても、「高校生は大宮の駿台へ」があの頃の春日部の定番だった。
おつかれさま
(なでしこ。TVに出ずっぱりで、お疲れですかね)

 友人たちに取り囲まれて「何で?」「どうして?」「どうかしたの?」とフシギそうな顔で尋ねられながら、それでも自分だけ別の塾に通うのは、ツライ。1つの予備校の中でだって、誰か一人のスーパー人気講師がいると、他の講師の講座をとるヒトは友人たちの「何で?」「どうして?」「何かあったの?」の餌食になる。
 バブル時代というのは、この種の格差があらゆる次元で確定してしまった時代である。バブルの10年を経て、ふと気がついてみるとさまざまなものが一極集中。「何でも東京」になっていた。春日部ミニバブルでは、それが「何でも栄光ゼミナール」なのだった。
さくいんネコ
(索引ネコ)

 2011年、久しぶりに春日部の街を歩いてみると、春日部ミニバブルはキレイに終わったようである。大規模な地上げをして、大宮に続く埼玉副都心「第2ソニックシティ」になるはずだった駅南の広大な土地は、残念ながらごくありふれたショッピングセンターが1軒建設されただけ。駅前は中小の塾や予備校が林立し、バブル期の輝きはもう感じられない。
 かつてテナントビルを軒並み占拠していた「栄光ゼミナール」のミニミニバブルも終結したようである。テナントとしては、撤退に次ぐ撤退。昔は中学生たちが鈴なりになっていた雑居ビルの窓はホコリと泥に覆われ、「テナント募集」「空室」の空しい看板ばかりが目立つ。風俗系の店に改装したビルも少なくない。
クマ蔵の足
(ナデシコどんと、クマ蔵の足)

 「ムリして大企業に就職して一兵卒で働いても、埋没するばかり。むしろ中小企業で目一杯働いて自己実現を目指してごらん。その方がずっとヤリガイがあるよ。昔から『鶏口となるとも牛後なるなかれ』というじゃないか」
 シューカツ中の大学生に、こういう無責任なアドバイスをおくるオトナが少なくない。ご自分は大企業や官庁で「親方日の丸」な人生をお気楽に過ごしてきて、中小企業で働くことの苦しさをご存じないオカタほど、アドバイスは無責任なのである。
 国立学院予備校時代の今井君は、中堅企業での自己実現の困難さをイヤというほど味わった。「大企業では自分の実力を正当に評価してもらえずに組織に埋没するだけだが、中小企業なら、働けば働くほどどんどん評価が上がる」、そんな認識がどれほど甘いか、若い諸君はチャンと知っておいた方がいい。
 実際には、むしろ組織が小さくなればなるほど、「出るクイは打たれる」の側面ばかりが目立つようになるのだ。変に実力なんかを見せつけると、あっという間に先輩とか同僚が足を引っ張って、滅多なことでは2度と浮かび上がれなくなる。
なでしこダンス
(なでしこダンス)

 春日部修業時代の今井君は、メインで教えるはずの高校英語からあっという間に外されてしまった。春日部で担当した授業は、以下の通りである。あらら、よく記憶してますな。
  浪人生クラスの英語(10名)
  高3クラスの現代文(3名)
  高1クラスの英語(7名)
  中3クラスの英語(3名)
  中3クラスの国語(20名)
  中1クラスの英語(10名)
  小6クラスの国語(3名)
  小5クラスの算数(7名)
あらら、いったい何の先生なのか解らないじゃんか。
テナントビル

麻生
(どちらのテナントビルも、昔は栄光ゼミナールだったはず)

 東京・国立市の本校から派遣されてきた山形弁の先生と、「栄光ゼミナールで英語科主任だった」というベテラン時間講師。英語についてはこの2人が優先され、会議の席でさえ「今井さんは英語自体の力はあるかもしれないが、教えるのは下手だから」と真顔で議論される始末。山形弁の先生なんか、英語まで山形弁なのだが、平気で「今井サンはダメだね」と山形弁でニタニタ笑っていた。
 外では栄光ゼミナールに対して勝ち目なし、校舎の中にはいると「授業の下手な何でも屋」。おかしな内憂外患の中で、臥薪嘗胆の日々を過ごした。ま、あのころ切歯扼腕の思いで読破した数々の参考書のおかげで、駿台や河合塾で大爆発できる下地が出来たのかもしれない。
ラホール
(春日部勤務時代の今井君の励みは「ラホール」のカレーだった)

 この業界の常であるが、ちょっと大人しく我慢していれば、すぐに新校舎の校舎長に抜擢される。春日部のお隣に「せんげん台新校舎」が出来ると、若き今井クマ蔵に「校舎長をやってもらえないか」の打診があって、ようやく「今井サンは下手だから」のニタニタ地獄を脱出。「そろそろ力を振るうか」と決意して、生徒を500名も集めてしまった。
 ところが、部下となるべき正社員は1人もつけてもらえない。上司を問いつめても「会社の方針だから」で突き放される。集めてしまった500名の生徒を前に、正社員は今井君1人。講師は全員アルバイトで、しかも学部1年や2年の「ついこの間まで生徒だったじゃん」という子供っぽい顔の先生ばかりである。
 こうして、地獄の日々は姿を変えてさらに続いたわけである。生徒も父兄も「アルバイト講師ばっかりだ」「大学生ばっかりだ」とすぐ気づくから、評判はどんどん下がる。塾や予備校というものは、評判とクチコミが全てであって、500人集まった分、かえって悪い評判の広がり方も速い。校舎長になって3ヶ月も立たないうちに、窓口は「退塾届ください」の嵐になってしまった(スミマセン、まだ明日に続きます)。

1E(Cd) Karajan & Berliner:BACH/MATTHÄUS-PASSION 2/3
2E(Cd) Karajan & Berliner:BACH/MATTHÄUS-PASSION 3/3
3E(Cd) Harnoncourt:BACH/WEIHNACHTSORATORIUM 1/2
4E(Cd) Harnoncourt:BACH/WEIHNACHTSORATORIUM 2/2
5E(Cd) Eduardo Egüez:THE LUTE MUSIC OF J.S.BACH vol.1
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