Thu 110602 パスタを激しくすすりあげるズルズル音の流行 付和雷同の遍在について | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 110602 パスタを激しくすすりあげるズルズル音の流行 付和雷同の遍在について

 最近どうも気になるのだが、パスタをジュルジュルorズルズル音をさせてすすりあげるヒトが増えた
 テレビ芸人さんの中にも多くなったようで、このあいだ寝ぼけ眼でNHKの朝のワイドショー「あさイチ」を見ていたら、3人だか4人だかの芸人さんが、ほとんど無理やりズルズル音を立てているシーンに遭遇。「無理してる」感が強くて、少々不快であった。
 もしかしたら、演出なのかもしれない。「マナーなんか気にしないで、リラックスして好きなように食べている雰囲気を出してください」という演出である。確かに、日本人が「余りにも旨い!!」と感動している雰囲気を画面で強調しようとすれば、
「マナーなんか忘れちゃうぐらい旨いんだ」
「だからウッカリして、ウドンみたいにズルズルすすっちゃった」
「自分が好きなように食べればいいんだよ」
「マナーなんかより、個性が大事。美味しいものは美味しそうに食べるのがマナー」
「フォークにクルクル巻いて食べるなんて、不自然。そんな不自然なことはイタリア人だって誰もやっていませんよ」
この類いの演出が効果的なのは間違いない。
 今井君は「ズルズル音を立ててはいけません」と教育された世代なので、パスタはクルクル派。ズルズルすするより、クルクル巻いたほうがずっと上手に食べられるし、旨さもいっそう引き立つように思う。
 ただし、スプーンは使わない。20年ぐらい前から「スプーンの上でフォークをクルクル」という相当に念の入った食べ方が流行して、日本のレストランでパスタを注文すると、余計なスプーンが1本ついてくるのに辟易しないこともない。食器を下げにくるオネーサンorオニーサンが、
「おや、アナタはスプーンを使わなかったんですか」
「そうですか、アナタはズルズルすすったんですね。そうですか」
という意味のちょっと冷ややかな視線を送ってくるのは、これもまた少々面倒くさい。
あしとにゃご
(ニャゴロワどんとクマの足)

 そこでグルメ番組の演出としては、「あんまり旨いので、スプーンどころか、フォークでクルクルするのも忘れちゃいました」ということになるのだろう。出演中のタレントさんが必要以上のズルズル強調作戦に出て、「えー? そんなにおっきな音たてて、ダラしなく啜るの?」とビックリするような事態になる。
 いや、もちろんいいんですよ。もしホントに「あんまり旨いから、思わずマナーなんてどうでもよくなっちゃった」というなら。でも、鳩山どんじゃないけれども「人間、ウソはいけません」。
 無理にズルズルやって、「オレは、マナーなんか気にしない」を強調したり、「旨いものは好きなように食えばいいじゃん」と男らしさを演出しようとしているのなら、「一定のメドとは冷温停止のこと」と頑張っていたクセに、旗色が悪くなると一斉に意見を変えてしまったカンチャンのトリマキと同じことである。
 おお、今井君は裏切り者に囲まれたカンチャンが可哀想になってきた。平然とウソをついていたら、トリマキもみんな平然と裏切っていく。6月2日3日の国会中継は若者たちに見せるのに余りに有害だったが、5日6日の国会情勢は、まるでイソップの寓話のように教訓に満ちあふれている。
しつこくなる
(クマがしつこくなっていく)

 おっと危ない。話題がそれていく。ズルズル流行のキッカケになったのは、誰か有名人が
「イタリア人は『フォークでクルクル』なんてやりませんよ」
「イタリア人だって、スパゲッティはズルズルすすりますよ」
と、バラエティ番組か何かで笑いをとったことだろうと思う。
 思い当たるのは、伊丹十三の映画「タンポポ」。パスタを食べるマナー教室のシーンがあった。マナー教室の先生が「クルクル指導」をしているレストランで、気がつくと周囲のイタリア人客がみんな異様にズルズル音をたててスパゲッティをすすり上げている。
 女子大生と思われる生徒たちが一斉に先生に疑いのマナコを向け、先生の面目は丸つぶれ。しかしやがて先生も生徒もズルズル無我夢中ですすっている。マナーなんて、実にマヌケなものダ。そういう設定である。1985年作品。25年以上前の作品だが、25年かかって、ついに一般に浸透したということかもしれない。
ウィンクしてごまかす
(しつこいので、ウィンクしてゴマカす)

 しかし諸君。今井君は年平均50日ヨーロッパを走り回り、ほとんど毎日4~5時間は飲食店で過ごし、酔眼をめぐらして周囲の客の様子を観察しているが、残念ながら「パスタ・クルクル派の圧倒的優勢」を伝えなければならない。「ズルズル派」などというものには、正直な話、イタリアでもスペインでもポルトガルでも遭遇したことがない。
 では、「クルクル派優勢のお上品なお店」にばかり行っているのが、その原因だろうか。うんにゃ、そんなことは決してない。今井君の入りびたる店は、店構えを見ても「きっとズルズル派優勢だろうな」と確信するような、たいへん庶民的な店ばかりである。
 ベルリン「マイネッケ」はその典型。2005年2月9日(代ゼミをヤメた翌日)、日本から15時間かけて到着したばかりのベルリンで、電話予約を入れてから出かけることにした。「ドレスコードはありますか?」と尋ねたところ、即座に「それはいったい何のことです?」と聞き返された。
 ガイドブックにはしっかりドレスコードありマークがあったのだが、うぉ、出かけてみると、確かに「そんなこと電話で聞いたら、それだけで爆笑されるわな」というタイプのお店。フォークもナイフもお皿の上で乱舞し、その金属音が充満する中で、オバサン店員が集金に回る。
 手脂が染みこんでテカテカの黒い革の集金バッグを握りしめ、オバサンたちは紙のテーブルクロスの上で料金計算に励む。お客は、その勢いに押されっぱなし。ほとんど全員、満腹のお腹をかかえ、オバサンにこっぴどく叱られたようなションボリした様子で帰っていくのだ。
お目目が離れなくなる
(ウィンクのし過ぎで、マブタが離れなくなる)

 そういう店でだって、パスタなりスパゲッティなりのズルズル大合奏は聞いたことがない。ボローニャでも、ヴェローナでも、トリノでも、ベルガモでも、見たところパスタはみんなでクルクルやるようである。
 日本のヒトは、いったん「あっちに走らなきゃ、みっともないよ!!」という意見にまとまりかけると、みんな一斉にあっちに我先に走り出すクセがあって、そのアリサマはまさに疾風怒濤である。
 しかし、落ち着いて世界を観察してみたまえ。無言でパスタに向かい、威勢のいいザルソバみたいに激しくズルズルやってるヒトビトについては、相当な奇異の視線が向けられるはずである。
 というか、「気にせず、ズルズルすするのがホント」と言われると、何の批判もなく一斉にみんなそのマネを始める付和雷同ぶりは、クマ蔵はみっともないと思う。ほら、ここでまた日本の国会はイソップの寓話に変わる。「付和雷同して他人を笑っていると、最後は自分が笑われることになりますよ」。

1E(Cd) K.Simizu:LISZT/SONATA IN B MINOR など
2E(Cd) Goldberg(v) & Lupu(p):SCHUBERT/MUSIC FOR VIOLIN & PIANO 1/2
3E(Cd) Goldberg(v) & Lupu(p):SCHUBERT/MUSIC FOR VIOLIN & PIANO 2/2
4E(Cd) Anita Baker:SONGSTRESS
5E(Cd) Anita Baker:RHYTHM OF LOVE
total m10 y475 d6440