Sun 110515 ハイデルベルクを訪れて、別のハイデルベルクが蘇る ネッカー河の記憶 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 110515 ハイデルベルクを訪れて、別のハイデルベルクが蘇る ネッカー河の記憶

 ドイツ滞在3日目、昨日も述べた通り、今井君はハイデルベルクを訪ねることにした。ハイデルベルクと言って思い出すのは、普通の人なら「アルト・ハイデルベルグ」その他、芸術と大学の街である。
 ここを訪れる日本人の多くは中高年。若い諸君には理解できないだろうが、「遠い青春の日々」みたいな恥ずかしいものに思いを馳せ、「心に熱い悔恨の情がこみ上げ」たりする、恐ろしくロマンティックな街が、このハイデルベルクなのである。
 ところが、今井君の脳裏に蘇るハイデルベルクは、あんまりロマンティックではないし、熱い悔恨の情とか青春のときめきとかは一切湧き上がってこない。もともといい加減を具現化したみたいな乱暴グマなので、悔やんだりトキめいたりしているより、座り込んで酒を飲み、暴れたり馬鹿笑いしたりしている方が性に合っている。
 すると平気でヒトの名前を間違って、昨日のタイトルに「児島清、死去」などと書いてしまった。お詫びして訂正する。全国の児島清さんに申し訳なかったが、それより何より、死去してなお名前を間違えられた児玉清さん本人に、深くお詫びしなければならない。
ハイデルベルク4夕暮
(ハイデルベルク、ネッカー河の夕景)

 さて、今井君の脳裏に蘇るハイデルベルクは、むかしむかしその昔に大繁盛していたドイツ語学校である。今も代々木と新宿の真ん中あたりで頑張っているけれども、20年も30年も昔、大繁盛していた時代の面影はない。諸君も探してみたまえ。新宿南口を出て、代々木方面に向かう。右手にJR病院があって、小田急線の開かずの踏切があって、ハイデルベルクはその先のビルの2階である。
 英語帝国主義の嵐が吹き荒れる以前は、フランス語やドイツ語やロシア語にもまだ勢いがあって、「英語と覇権を競う」という覇気もなくなっていなかった。大学に入学すれば、「第2外国語は何にする?」が新入生共通の悩みだったぐらいである。
 ロシア語と聞いて、最近の高校生は「は?」という納得のいかない顔をするが、20世紀も80年代半ばまで、ソ連こそユートピアだと信じて疑わない学者が少なくなかった。ソ連自体、ブレジネフ死去までは世界の覇権を十分に狙える位置につけていた。
 第2外国語にロシア語を選択する新入生は多かったし、そのことに不思議は何にもなかったのだ。大学生アコガレの海外旅行の1つに、「新潟から日本海をナホトカまでわたり、シベリア鉄道でモスクワ、そこからヨーロッパ各地へ」などというのもあった。モスクワこそ、その種の人たちのアコガレ。そんな時代もあったのだ。
 今ではもう、誰もトルストイを読まない。「チェーホフって、誰ですか?」と聞かれる。ゴーゴリを読むと不思議がられる。ショーロホフなんか誰も知らない。ドストエフスキーが流行すると、「何で、今ドストエフスキーなのか」を探るのがジャーナリズムの仕事になってしまったりする。
ハイデルベルク5街
(ハイデルベルク城から、市内とネッカー河を望む)

 21世紀に入る直前の頃は「アンパイだから、チャイ語!!」と苦笑いするのが流行。チャイ語とはもちろん中国語である。今や、マージャンをする大学生はほぼ絶滅危惧種と言っていいほど珍しいが、「アンパイ」という言葉だけは健在。「中国語選択≒あんまり向上心のないヤツ」という言い方が流行したわけだ。
 しかしそれもほぼ過去のことになった。第2外国語それ自体を課さない大学が増え、「第2外国語って、何ですか?」と質問されることも増えた。チャイ語はむしろ向上心のあるヒトにとっての必須アイテムになりつつある。ヨーロッパを旅行していると、昔あった日本語の掲示や看板が消え、そのスペースに中国語がどんどん進出している。まあ、寂しい限りである。
ハイデルベルク6店
(ハイデルベルクの名店ツム・ローテンオクセン)

 ハイデルベルクが繁盛したのは、だから大昔のことである。大学に入学したら、第2外国語にはドイツ語はフランス語を選択するのが当時の常識。しかし、ドイツ語にしてもフランス語にしても、英語の文法とは比較にならないほど複雑だから、5月のこの時期になると、「サッパリわからない」「法学部に入ったのに、何で毎日ドイツ語なの?」と悲鳴を上げる学生が激増する。
 そこで、ハイデルベルクの出番が来る。英語なら中1から高3まで6年もかかって学習する文法を、大学のドイツ語ではたった20回で全部終わるペースなのだからたまらない。ドイツ語学校で、「文法にこだわらない楽しいドイツ語」みたいなものを宣伝すれば、それなりに驚くべき数の学生が集まったのである。
ハイデルベルク7店内
(ツム・ローテンオクセン、店内)

 今井君の大学生時代は貧乏なので、そういうところに使うお金はない。大学近くの家賃は高いから、わざわざ千葉の松戸に安い部屋を借りて、はるばる早稲田まで通っていたほどである。ハイデルベルクとか、フランス語なら「アテネフランセ」とか、そんな贅沢はできないので、ひたすらNHKラジオ講座に頼った。
 洗濯しながら、ゴミ袋をまとめながら、フライパンでモヤシとひき肉とコーンに醤油をかけて炒めながら、NHKラジオ講座でドイツ語を補強する。宮内敬太郎先生とか、渡辺健先生とか、そんな時代である。
 ドイツ語の先生は何故か素晴らしいバリトンの声のヒトが多いが、渡辺健先生もその一人。確か東大教授でいらっしゃったが、彼の講座でハイデルベルクが舞台になったことがあって、テキストには盛んに「ネッカー河」「ネッカー河」と、見たことも聞いたこともない河の名前が出てきた。いい声でテキパキと説明を進められるので、いつのまにか「ネッカー河」が頭に染みついてしまった。
 だから、いまホンモノのハイデルベルクを訪ねて、目の前にあるのがいよいよホンモノのネッカー河だと思うと、青春の熱い悔恨の情は湧き出ないにしても、苦労した大学生時代の記憶はもちろんジワッと沁みだしてくる。曇りがち、時おり雨が落ちてきて、その雨の粒は驚くほど大きい。
 まずハイデルベルク城に上がって、城のテラスからネッカー河とカール・テオドール橋と街の風景を見下ろす。城を降りて、ハイデルベルク大学の周囲をウロウロする。しかしそういう観光スポットは早めに切り上げて、向かったのは「ツム・ローテンオクセンZum Roten Ochsen」。300年も前から営業を続けている飲み屋で、中のテーブルは300年分の大学生たちの落書きだらけである。
ハイデルベルク8机
(長年にわたる落書きが蓄積したテーブル)

 もちろんいつもの通り入店したのが早すぎて、他には誰も客がいないという超ヒョーロクダマ状態。それでもチャンとビールを飲み干し、ワイン1本空け、肉を焼いた上から何だかわからないメトメトなソースをかけた料理も、ザワークラウト以外はまあ平らげて店を出た。
 店を出たのが19時半ごろ。帰りは、夕暮れのネッカー河沿いを、駅まで30分とぼとぼ歩いた。水たまりは残っているが、雨が上がって、夕焼けの空を映した河が美しかった。
ハイデルベルク9夕暮
(最後にもう一度、ネッカー河の夕景)


1E(Cd) Münchinger:BACH/MUSICAL OFFERING
2E(Cd) Münchinger:BACH/MUSICAL OFFERING
3E(Cd) Kirk Whalum:COLORS
4E(Cd) Kirk Whalum:IN THIS LIFE
5E(Cd) Kirk Whalum:FOR YOU
total m68 y395 d6360