Mon 110404 分水嶺を越えた(2) ニャゴロワは元気 ナデシコの協力 マドリード到着 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 110404 分水嶺を越えた(2) ニャゴロワは元気 ナデシコの協力 マドリード到着

 と、言っているそばから(スミマセン、昨日の続きです)大きな余震が襲ってきて、またまた「死傷者が出ている模様」。福島の原発でも冷却水供給が一時停止。NHK解説者も「深刻な状況」だし「レベル7に引き上げ」だし、東京でも雷雨になって「ありゃりゃ、こりゃまた水道水の放射能数値があがりそうだね」というヒソヒソ話が、そこいら中の飲み屋で始まってしまう。
 M7の余震だから、そのまた余震がどんどん襲ってきて、落ち着かない。今回の「余震の余震」はそのしつこさに特徴があって、余震の余震だから大したことはないだろうとタカをくくっていると「これでもか」という感じでまた揺れる。
 仙台の実家に電話しても、森鴎外とシャーロックホームズとクリスティの大好きな快傑ババサマの電話は、いつまでたってもつながらない。どうせ暢気に文庫本をめくっては「最近の小説はつまらん」とガハガハ喝破しているに違いないが、まあ心配は心配だ。
 たとえホントに分水嶺を越えても、これだけ深刻な事態が、一気にスムーズに進展すると考えるのは甘すぎる。何度も&何度も困った方向に事態が戻って、そのたびにみんなでヒソヒソ額を寄せあって、少しずつ&少しずつ好転していく、それしかないのだ。半年か1年経過して気がつくと「何だ、あの時が分水嶺だったのだ」ということになる。
 受験勉強でも何でも、そういうのが正しいので、一直線に全てがよくなっていくと期待するのは、いくら何でも人生経験が足りなすぎる。諸君、長い一進一退を耐え忍ぼうではないか。
あったかおフトンで、一緒に眠る
(おひさまに干したお布団で、一緒にお昼寝する)

 一昨日(4月10日)、ニャゴロワどんを病院につれていった。腎臓病の判明から、すでに120日が経過している。12月には
「あと100日しか生きられないかもしれません」
「腎臓病の猫は、どんどん痩せていきます」
「元気もなくなって、グッタリうずくまって、寝てばかりいるようになります」
と、獣医師は立て続けにイヤなことばかり言ったけれども、見よ、ニャゴはすでに120日生きて、しかも昔と同じように元気。しつこいほど元気である。
 あんまり元気なので、クマ蔵が半地下の書斎に降りていくのを許そうとしない。「撫でなさい。撫でなさい。こんなに可愛らしいネコを、あなたはなぜ撫でないんですか」と、階段を下りようとするクマの足の前に立ちふさがる。
 食欲も全然なくしていない。いくらでもニャゴニャゴ言って、いくらでもエサをねだる。「マズくて、食べられないネコもいます」と獣医師が顔をしかめてみせたほどのマズいエサを、健気にバリバリ音をたてて噛みくだく。
でかい
(デカイ身体が、多少迷惑である)

 2日に1回の点滴も、我慢してじっと耐えている。うにゃ。体重は4.5kgから5.2kgに増えた。「痩せ衰える」どころか「どんどん元気に太っていく」。「ホントにこのネコは腎臓病なんですか?」と疑ってみたくなるほどである。
 妹だか姉だかハッキリしないが、相方のナデシコも大いに感心である。点滴を我慢しているニャゴの横にきて、同じ姿勢でうずくまりながら、ナゴナゴ低く鳴いてみたりする。「あんたもたいへんだね。そんな針を刺されて、点滴ポタポタ痛いだろうけど、がんばんなよ」というわけだ。民放テレビで連呼する「ひとつになろう、ニッポン」の薄っぺらい広告とは、比較にならないぐらい心のこもった声援である。
 ナデシコの偉いのは、ニャゴと同じ「マズいエサ」で一緒に我慢していること。ナデシコにとって、本当は迷惑な話のはずだが、「ニャゴ姉さんがそのエサなら、ワタクシもそれで行きましょう」という顔でジッとこちらを見つめ、独特の低い声でナゴナゴ語りかけてくる。
 箱でも、椅子でも、ジュータンでも、居心地のよい場所はニャゴに譲ってあげる。たまにはニャゴのワガママにウンザリして、威嚇の声をシャーシャー出したり、軽く猫パンチをくりだしたりはするが、点滴の時間になるとチャンと横に並んでうずくまって「ひとりじゃないよ」と声をかけている。
なかよし
(なかよし 拡大図)

 こんなふうに、いろいろなことが分水嶺を越えたなら、この今井君も11月6日の網膜剥離判明の夜に戻って、再度「マドリード紀行」を書き始める時が来たと言っていいだろう。もちろん「予備校講師の身辺雑記以外、全く興味がありません」という諸君も安心したまえ。明日から旅行記再開となるが、毎日最初の十数行は必ず身辺雑記を書くことにする。ま、あくまで日記なのだから、当たり前のことである。
 さて、以下に11月6日記の「マドリード紀行 第1回」を再録しておく。ブログ内検索してもらえば済むことであるが、ま、読者の便宜を図った方が評判もいいだろう。読んでくれたまえ。
めいわくかも
(やっぱり、少なからず迷惑である)

 この旅行の目的地は、もともとマドリードではなくて、チューリヒを中心とする晩秋のスイスであった。2年前、アリタリア航空のマイルが13万マイルも貯まり、しかも「翌年からマイルプログラムが一新されます。今年のうちにマイルを使わないと、今までのマイルは全て消滅します」という恐るべき通知が、アリタリアから一方的に送られてきた。
 「仕方がない、ミラノ-東京間はアリタリアのマイルを使って往復。ミラノからは電車でアルプスを超えてスイスに入ろう」というオリジナル計画が出来たのが2008年6月頃。ところが、その直後アリタリアの経営状況悪化が深刻になり、「いつ飛行機が全面欠航なっても不思議はない」「全面ストライキがいつ始まってもおかしくない」という切迫した状況が報道され、臆病な今井君はさっさと旅行先をマドリードに変更した。13万マイルは、こうして消滅した。アリタリアなんか、2度と乗りたくない。
コロン
(治安情報では「近寄ってはいけない」はずだったコロン広場。赤い斜めのラインのあるのがマドリードのタクシー)

 もっとも、マドリードの治安についても、2008年のガイドブックには余りにも恐ろしい情報が満載されていた。「日本人だけを専門に襲う首締め強盗がマドリードに出没している」「韓国人と中国人は襲われないが、日本人と見ぬかれると襲撃してくる」「コロン広場の地下バス乗り場とレティーロ公園は特に注意、昼までも近づかない方が無難」というのである。
 この危険情報は、ガイドブック執筆者によるものばかりではなかった。読者からの投稿とか「クチコミ情報」でも、「首締め強盗にあって、パスポートとクレジットカードを奪われた」「グランヴィアの裏で右手をナイフでザックリ切られた」「今、マドリードがヨーロッパで一番危険なんじゃないか」その他、「マドリードなんかにノコノコ出かけるのはヤメといた方が賢明」としか考えられない情報がジャブジャブ溢れていた。
ルベンダリオ
(ホテル近くの地下鉄ルベン・ダリオ駅)

 首締め強盗というのは、5~6人の集団で背後から近づき、羽交い締めのように首を絞め、気絶させて金品を奪っていく、まさに力ずく、情け容赦は一切ない強盗。日本人だけが集中的に狙われているというのだから、中国語か韓国語でも大声で話していなければ危険。今井君はまだまだ社会で大活躍してみたい年頃だから、マドリードなんかで首締め強盗に殺されてしまうのは絶対にイヤである。
 そういうわけで、マドリードに降り立った今井君は、これ以上ないほどの超オッカナビックリであった。ちょっと飛行機が遅れて、マドリードのバラハス空港に到着したのが22時。この空港がまた薄暗くて、超オッカナビックリに拍車がかかる。超々クマどんである。大急ぎで荷物をピックアップして、大慌てでタクシーに乗り込んで、大慌てでホテルにチェックインした。22時半。地下鉄のグレゴリオ・マラニョーン駅とルベン・ダリオ駅の中間あたり、インターコンチネンタルホテルである。

1E(Cd) Ashkenazy & Philharmonia:SIBERIUS/SYMPHONIES 1/4
2E(Cd) Ashkenazy & Philharmonia:SIBERIUS/SYMPHONIES 2/4
3E(Cd) Ashkenazy & Philharmonia:SIBERIUS/SYMPHONIES 3/4
4E(Cd) Ashkenazy & Philharmonia:SIBERIUS/SYMPHONIES 4/4
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