Mon 110321 宮城県仙台市の状況 快傑ババサマの文庫本たちは健在である 柳行李 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 110321 宮城県仙台市の状況 快傑ババサマの文庫本たちは健在である 柳行李

 山形から仙台に向かう途中(すみません、昨日の続きです)運転手さんから、いろいろな話を聞いた。大震災発生から11日から23日までの12日間で、山形-東京を1回、山形-新潟を4回走ったそうだ。山形空港-仙台はもう6回目だか7回目だかわからない。しかし「だから儲かっている、ありがたい」というトーンは全くなくて、「我々もキツいけれども、使命感をもって走っている」と言うのだ。
 最初は、外国人観光客とおぼしき人たちの被災地脱出が多かったそうだ。外国人といっても、大半は韓国人と中国人。キャッシュを見せながら「ニイガタ!! ニイガタ!!」「お金は、いくらでもある!! キャッシュよ、キャッシュ!!」と必死そうに叫んだという。うーん、それも確かに理解できる。ヨーロッパ旅行中の今井君だって、この規模の巨大地震に遭遇したら、まず間違いなくそういう行動に出るだろう。
名取川
(仙台の実家ベランダから、大津波第一報の入った名取川方面を望む。凶悪そうな雪雲がかかっていた)

 で、大震災から10日経過して、今はとにかくガソリン不足が深刻。どこのガソリンスタンドでもガソリンは売り切れ。タンクローリーを見かけると、「おっ!!」と叫んでみんなでその後ろを追いかける。それでも8時間並んで、2000円分とか3000円分とかしか入れてもらえない。地震の被害は比較的軽微だった山形市周辺でも、状況はほとんど変わらない。
 確かに、仙台市内に入るとガソリンスタンド前に長いクルマの列が出来ている。運転手さんによると、昼頃にはもう売り切れで閉店する。その後、午後5時頃からクルマの列が出来て、翌朝9時の開店を待つ。
「ええっ、14時間も並ぶんですか?」
「エンジン止めて、夜明かしですか?」
「いくら何でも、寒いじゃないですか」
以上が、クマ蔵の驚き。しかし運転手さんは平然と「みんな頑張ってますよ。それでもせいぜい20リッター。10リッターってことも珍しくありません」と答えるのであった。
 「長い列」がどのぐらい長いかというと、反対車線を3分走っても、まだ向こうの車線はクルマの列が続いている。400台並んでいるのも珍しくない。最後尾にはパトカーがついている。パトカーがいないと、割り込みするヒトが出る。激しいケンカも頻発する。この5日後、車内でストーブを焚いてCO中毒で亡くなる悲劇もあった。止めてあるクルマからガソリンを抜いてしまう窃盗事件が後をたたない。
文庫本1
(散乱した大量の文庫本も、落ち着き場所を見つけた 1)

 やがて仙台の繁華街に入ると、状況がいくらか好転し始めたのがわかる。老舗デパート「藤崎」のあたりには買い物客の姿があったし、仙台一のアーケード街・名掛丁(ながけちょう)も、賑わいを取り戻しつつあった。人々の服装は地味だし、バスは「1時間に1本程度の運行」でバス停は大混雑の様子だったが、ほんの12日前に大津波が市内に迫った緊迫感は、ある程度解消されていた。
 仙台の実家についてみると、やはりこの12日間に事態は大きく好転していて、あのどす黒い大津波がすぐ足許まで押し寄せてきていたとは、信じられないほどである。震災2日後には電気と水道が復旧。明かりがつき、水洗トイレが使用可能となり、電子レンジが使えるから、「被災地のど真ん中」という切羽詰まったあまり感覚はない。
 あとは「ガスが復旧して煮炊きが出来るようになれば」「灯油が配達されて石油ストーブが使えるようになれば」の2点さえ何とかなると、ほぼ平常の生活に戻れるのである。ガスも間もなく復旧の予定。灯油もジワジワ配達が始まっているという。
 「灯油」というのは、関東以南の暖かい地方の住人には実感がないかもしれないが、東北や北海道では寒さがキツすぎて、電気の暖房ではとても追いつかないのだ。何と言っても「コロナの石油ストーブ」。あの石油臭い暖房がなければ、寒さに耐えることは出来ない。むしろ「灯油の匂い=暖かさの実感」というぐらいなのだ。
文庫本2
(散乱した大量の文庫本も、落ち着き場所を見つけた 2)

 本棚も食器戸棚も全て仰向けやウツブセにひっくり返って、部屋には大量の本が散乱している状況。ガラスと瀬戸物のカケラが、いくら掃除してもまた破片が出てくる。「いったいどこに隠れていたんだ?」という妙竹林なところから、片付けても片付けてもガラスが湧いて出てくる。それでも狭い一角をキチンと片付けて、しゃがんでいられるだけのスペースを確保したから、まあ何とか生きていける。
 しかもありがたいことに、ボランティアのヒトたちが家具の整理にきてくれたのだという。ボランティアは、東京や関西から来てくれたヒトたちではなくて、地元の町内会みたいなところで急遽募集した地元の面々である。
 ボランティア本人の自宅もメチャメチャになっているのに、それでもボランティアを組織して、苦労している近所のヒトたちの家を回り、倒れた家具を起こし、こわれた家財道具を片付け、危険なガラスと瀬戸物の破片を掃除してくれた。マンションの中庭は、ガレキと壊われた家財道具が山のように積み上げられ、一時的なゴミ捨て場と化している。
 おそらくこの光景が青森県南部から延々と続いているのである。岩手の長い長い海岸線、宮城県の複雑に入り組んだ海岸、福島から茨城を経て千葉の九十九里まで、新幹線で旅しても3時間かかる距離を、どこまでもどこまでも、ガレキと家財道具の残骸とガラスの破片が占拠してしまっているのだ。
文庫本3
(大量の文庫本たちは、とりあえず「柳行李」に詰め込まれた)

 「ガレキと家財道具の残骸」「大量のゴミ」と気楽に言うけれども、その「ガレキとゴミ」の全てが、大量の記憶と思い出の集積である。今井君が小学校に入学する前から実家にあった懐かしい瀬戸物がみんな割れてしまって、ゴミ袋に入って捨てられるのを待っている。
 今井君自身、20年前にコナカで買ったスーツを今でも大切に着ているほど物持ちのいいダンナだから、実家の快傑ババサマとなるとその20倍も30倍も物持ちがいいのである。東京オリンピックの年に購入したグラスやらティーカップやら、ほとんど重要文化財とも言える品物の破片たちが、半透明の袋の中で悲しげに、捨てられるのをじっと待っていた。
 とは言え、こういう重要文化財たちの自己犠牲のおかげで、快傑ババサマのおウチは、もうほぼ完全に復興済み。ババサマが何十年も費やして買いため、読み散らかした大量の文庫本たちは、地震による大規模な散乱のあと、大震災をかろうじて生き延びた本棚の中にとりあえずの落ち着き先を見つけ、「これからも肩を寄せあって生きていこう」とヒソヒソ話し合っているのだった。
 彼ら彼女らの落ち着き先には、今日の写真に示した太古の柳行李(やなぎごうり)もある。昔の嫁入り道具は、こういう妙竹林なカゴの中に詰め込まれたのであるが、写真の柳行李は、昭和28年のシロモノ。人間なら57歳の、これもまた重要文化財である。

1E(Cd) Ashkenazy & Philharmonia:SIBELIUS/SYMPHONIES 2/4
2E(Cd) K.Simizu:LISZT/SONATA IN B MINOR など
3E(Cd) Goldberg(v) & Lupu(p):SCHUBERT/MUSIC FOR VIOLIN & PIANO 1/2
4E(Cd) BILLY JOEL GREATEST HITS 1/2
total m36 y154 d6119