Sun 110320 3月23日、山形空港経由で宮城県に向かう 米が重くて階段に苦労する | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 110320 3月23日、山形空港経由で宮城県に向かう 米が重くて階段に苦労する

 既に1週間も前のことになるが、3月23日、何とか飛行機のチケットがとれて、宮城県仙台市に入った。実家が被災しているのだから、本来なら被災直後に仙台入りすべきなのであるが、11日の大震災発生から22日の下北沢講演会まで仕事が休みなく連続していて、さすがに仕事を2の次にすることは出来なかった。仙台入りは、結局巨大地震から12日後ということになった。
いってらっしゃい1
(まだ暗い早朝の「いってらっしゃい」1)

 朝10時のJAL便で羽田から山形空港へ、山形空港からはタクシーというルート。普段は東京-山形の飛行機は飛んでいないから、1日6便の全てが臨時便である。クマ蔵が乗った飛行機は、真ん中の通路を挟んで2席&2席。それが19列並んで、76人乗り。ヨーロッパ地方路線でしか乗ったことのない小型機で、山形上空の強風に煽られて左右に大きく揺れた。
 山形空港は、まるで昔の空軍基地のような荒れ果てた雰囲気。ここに民間機が就航しているのが信じがたいほどである。土産物屋が2~3軒。たった1軒あるレストランも「素材が調達できないため、休業いたします」。もちろん、それは当然であって、「これから被災地に入るのだ」という緊張感が高まっていく。
 一緒に山形に到着したヒトたちも、おそらくほとんどがこれから被災地に向かうのであって、緊張感の漲る表情が目立つ。クマ蔵は大きなキャリーバッグをゴロゴロ引きずっているが、大きなリュック姿も多く、段ボール箱を数箱積み上げたのをみんなで引っ張っている家族もいる。
いってらっしゃい2
(まだ暗い早朝の「いってらっしゃい」2)

 クマ蔵のキャリーバッグに入っていたのは、米4kg、リンゴ6個、キャベツ1個などの食料、それに味噌・お茶・砂糖など。茶碗がみんな割れてしまったというので、ゴハン用のお茶碗も。その他いろいろな生活用品も満載。空港カウンターで測ったら20kg以上あって、「HEAVY」の札をペッタリ貼られてしまった。確かに、15日間のヨーロッパ旅行に行く荷物より若干軽い程度である。
 あの当時、東京のスーパーでは米がたいへんな品薄。東京でもし米を買えなかったら仙台に持参する米がないから、実は14日の奈良講演会の後、大阪のスーパーで4kg購入して、それをいったん東京に送ってあった。その意味では今井君も「無意味な買い占め」の片棒を担いでしまったのだが、14日頃の食料の品薄を思い出してみたまえ。仙台に持参する米を大阪で買っていくぐらい、十分許されていい。
 何しろ大阪のANAクラウンプラザホテルは堂島である。江戸時代から、もし堂島に米がなかったら、日本中どこに行ったって米はないのだ。日本史で習った「札差」というヤツである。おお、「堂島で米の買い付け」だなんて、時代劇並みの大騒動である。その米が、この日はクマ蔵の両手にズシリと重かった。
いってらっしゃい3
(昼のいってらっしゃい)

 今の東京では、動いているエレベーターにもエスカレーターにも、滅多なことではお目にかかれない。「節電のため、現在運転しておりません」の貼り紙があれば、例え20kg超のキャリーバッグを抱えていても、ひたすら階段を上っていくしかない。自粛のし過ぎ&節電のし過ぎではないか、と実感する。
 階段を上りきって額の大汗を拭いながら、「ここまで自粛し、ここまで節電したら、日本経済が縮んでしまうだけだ」「経済を萎縮させたら、まったく被災地のためにならないじゃないか」と叫びたくなる。「こんなことより、同じような番組を繰り返している民放テレビが輪番で放送休止が先なんじゃないか」。日本中のオヤジがテレビの前でそう言っているはずだ。
 東京のエスカレーターを止めたって、被災地のヒトの生活が少しでも改善するわけではないが、「被災地の人たちの労苦を思えば」「苦しみは分かち合いましょう」「がんばれ、日本!!」「ニッポン!!」「ニッポン!!」の一言で、叫びはカンタンにかき消されてしまう。バリアフリーの日本型・超福祉社会は、眉根を寄せた「贅沢は敵だ」の前ではひとたまりもないのだ。
シッポで手を振る
(シッポで手を振る)

 「山形から仙台までタクシー」は一見ぜいたくだが、事前に一番安いルートを探して、片道1万5千円で行ける見込み。山形空港のある東根市から国道48号に入って、あとは一路東へ。途中、関山峠を越え、作並温泉を経由して、秋保温泉のあたりからは、もう仙台市青葉区である。
 山形空港から山形駅までバス→山形駅で仙台行きのバスに乗り換え→仙台駅から実家までタクシーという緊縮ルートもあるが、乗り換え&乗り換えで合計費用は結局相当額になる。クマ蔵の考えでは、今の状況では、山形空港→仙台駅の直通バスを走らせるべきだ。山形交通でも宮城交通でもいい。何故その程度の便宜をはかれないのか、大いに苛立たしい。
 しかも、被災地のど真ん中の仙台でタクシーが捕まるかどうかも不安。ならば、20kg超のキャリーバッグもあることだ、最初から山形空港でタクシーに乗った方が早くて確実だ。もし「仙台ですか? 一緒に行きましょう」と言うヒトがいれば、費用も半分にできるところだったが、残念ながら、今井君が長いドライブに備えてトイレに入っているうちに、他のお客はいつの間にか空港から姿を消してしまっていた。
 タクシーの運転手さんも大いに張り切ってくれた。空港のそばのスタンドでLPGを満タンにし、彼自身もトイレに走って準備万端。「さて!!」という感じで運転席に座り直した。ここから仙台まで約1時間半、実家は仙台市太白区だから、仙台市に入ってからさらに15分ほど走らなければならない。

1E(Cd) Brendel(p) Previn & Wiener:MOUSSORGSKY/PICTURES AT AN EXHIBITION
2E(Cd) Sinopoli & New York:RESPIGHI/FONTANE・PINI・FESTE DI ROMA
3E(Cd) Dutoit & Montréal:RESPIGHI/LA BOUTIQUE FANTASQUE
4E(Cd) Rubinstein:CHOPIN/MAZURKAS 1/2
total m32 y150 d6115