Fri 110318 大震災の翌朝、金沢から意地でも帰京する 12日、神奈川県平塚で講演会 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 110318 大震災の翌朝、金沢から意地でも帰京する 12日、神奈川県平塚で講演会

 3月12日の朝、テレビニュースを午前5時過ぎまで眺めていたが、6時半まで1時間ちょっと眠って、7時半には金沢の全日空ホテルをチェックアウトした。被災地域の詳しい情報は、被害があまりにも大きすぎて、しばらくは入りそうにない。
 12日早朝までのニュースは「気仙沼が燃えている」と「仙台市若林区の大津波」の映像ばかりである。BBCもCNNも、「Japan's Catastrophe」というタイトルで延々とNHKの映像を流し続けている。そのNHKは、午前2時過ぎからは「首都圏の帰宅困難者関連」がほとんどになった。
 その頃、今井自身の家族もまさにその「帰宅困難者」になっていたのだが、いつも通り「家族や知人のことは出来るだけ書かない」がこのブログの原則だから、詳しいことは遠慮しておく。
 もちろん、仙台の実家とは一切連絡がつかない。後で確認したところによれば、仙台市太白区のコミュニティセンターが避難所になっていて、氷点下に冷え込んだ一夜を、次々と襲ってくる余震の中、不安と寒さに震えながら、一晩しゃがんで過ごしたのだそうである。
 よく考えれば、今井自身もまだ金沢にいて「帰宅困難者」の一員である。会社からもらっていたチケットでは小松空港発12時半の飛行機で羽田に向かうスケジュール。しかし、用意周到な今井君は、昨日11日夕方の段階でチケットを取り直し、朝9時半発のANA便をホントにギリギリ、タッチの差で予約した。
お、クマだ1
(お、クマが帰ってきた 1)

 ここは、意地でも首都圏に帰り、何としても東京の真ん中でガオーと叫ばなければならない。「大丈夫だ、クマどんはここにいる!!」である。もちろん、クマどんだのウワバミどんだの、クマ蔵やクマーニーだのが、いま東京の真ん中でガオガオ叫んでも、何一つプラスはないのかもしれない。
 しかし、そんなに冷たく突き放すのはヤメたまえ。災害の現場には、勘違いであっても何でもいいから、とにかくこういう元気なオトナが一人でも多く立ち上がり、仁王立ちになって、津波も余震も睨み返す気力と腕力を周囲に見せることが大切。要するに、強い気持ち&明るい笑顔。今井君が、危機に立った諸君の前で何よりも笑いを優先するのは、そういう意味なのである。
 12日19時から神奈川県平塚で公開授業があって、約100名が出席予定である。100名のうち100名が熱心な今井ファンで、今井クマ蔵の平塚来襲を1ヶ月も前から楽しみに待っているのだと言うから、何が何でも平塚までたどり着かなければならない。
 本来なら会社に指定された通りの飛行機で12時半に小松、14時に羽田、そういうのんびりしたスケジュールで平塚に向かうのだが、クマ蔵は意地でも午前のうちに首都圏に戻りたかった。それが勘違いでも何でもいいから、失笑なり冷笑なり嘲笑なり、笑うヒトにはいくら笑われてもいいから、どうしても早く戻りたかったのである。
お、クマだ2
(お、クマが帰ってきた 2)

 ホテル前からタクシーに乗って、小松空港に向かった。早春の朝の太陽はうらうらと暖かく、すでにコートは不要なほどである。ドライバーによれば、昨日は小松周辺の海でも津波が観測されたのだそうだ。そう言えば、午前2時だったか3時だったかに長野県で震度5を超える地震があって、金沢も大きく揺れた。このあたりだって、決して人ごとではないのである。
 小松からの飛行機は予定通りに飛んで、完全に満席の状態で羽田着10時半。ところが、空港からのリムジンバスは運休。浜松町行きモノレールもほとんど運休状態。品川への京急も大幅な間引き運転。しかも、この状態で浜松町や品川まで行けたとしても、そこから先の山手線も地下鉄も運転見合わせが相次いで、どうやら全く頼りにならない。
 昨夜の「首都圏帰宅困難」は、この時間になってもまだ影響が残っていたのである。今井君は、すぐにタクシー利用を決断。環状7号線を回っていけば、8000円で代々木上原にたどり着ける。タクシーにも行列が出来ていたが、まあ10人程度。タクシーもなかなか来ない状態だったけれども、15分の我慢で済んだ。
 そこから代々木上原まで、興奮気味の運転手さんから昨夜の首都圏の状況を聞いた。彼は午前5時からずっと乗務していて、東京駅、新宿駅、渋谷駅、どこへ行ってもあまりの長蛇の列に驚きっぱなしだったのだと言う。ほとんどの乗客が「5時間待った」「もう諦めて歩いて帰ろうと思った」「会社に戻ってうたた寝するしかないと思った」と、大きな溜め息をついたのだそうだ。
お、クマだ3
(お、クマが帰ってきた 3)

 12時半、無事に代々木上原到着。昨日の本震では震度5強の揺れだったはずだが、自宅には被害なし。天井まで届く巨大本棚9つが並ぶ半地下の書斎にも被害なし。仙台とはいまだに連絡がつかないが、何しろあの豪快な快傑ババサマのことだ、今頃は避難所で「奥の細道」か森鴎外の暗誦でもやって、暢気にやっているに違いない。
 一息ついて、平塚の講演会に出かけることにした。たどり着けるかどうかもわからないし、いったん出かけたら、チャンと帰ってこられるかどうかもわからない。今夜も帰宅困難者の行列が出来て、今井君は神奈川県平塚から延々と徒歩で帰ってくるしかないのかもしれない。
 大きな規模の余震が続き、電力供給も安定していない。真っ暗な夜道を歩いて帰る覚悟で、出来るだけ荷物を少なく、リュックに水とチョコレートと懐中電灯と、金沢のコンビニで買った携帯電話充電用のバッテリー一式を入れて、15時半、小田急線下り電車に乗った。
 小田急線は、急行と各駅停車だけの運転。もちろん急行とは名ばかりのノロノロ運転で、相模大野まで。相模大野からは各駅停車しか走っていなくて、藤沢まで合計で1時間半。藤沢-平塚間は一番心配していたJRだったが、これも何とか乗り切って、18時、おお、今井君は金沢からの大紀行を乗り切って、平塚校にたどり着いたのである。
お、クマだ4
(お、クマが帰ってきた 4)

 平塚校公開授業、19時スタート、21時終了。参加者47名。当初の参加予定が107名だったから、60名が欠席したことになるが、まあそれはオトナな判断の結果として今井君は諒とする。是非、半年後にでももう一度開催していただいて、この日の欠席者60名には「あああ、あの日=大震災の翌日、無理して親を説得してでも、親とケンカしてでも、この今井の講演会に出席すべきだった」と、心から後悔してほしいものである。
 その悔しい思いの中で、さまざまな危険をも顧みずに出席してくれた47名のために、全力×2、全力×3、いや全力×100、そのぐらい自信の持てる講演を展開。自分で言うのもオカシイが、どれほど素晴らしい講演だったか、日本中の受験生諸君にあれを追体験していただきたいほどである。東進に移籍して6年、あの夜の講演ほど充実した講演は、ちょっと記憶にない。

1E(Cd) Gergiev & Kirov:RACHMANINOV/SYMPHONY No.2
2E(Cd) Ashkenazy:RACHMANINOV/PIANO CONCERTOS 1-4 1/2
3E(Cd) Ashkenazy:RACHMANINOV/PIANO CONCERTOS 1-4 2/2
4E(Cd) The State Moscow Chamber Choir:RACHMANINOV/VESPERS op.37
total m24 y142 d6107