Sat 110312 小さい白いにわとり 快傑ババサマ、音読で古文マスター 3月4月が勝負 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 110312 小さい白いにわとり 快傑ババサマ、音読で古文マスター 3月4月が勝負

 「小さい白いニワトリ」を覚えているだろうか。知らないヒトもたくさんいるだろうが、光村図書の国語の教科書に掲載されていた物語である。ホントに大昔、今井クマ蔵がまだ小学1年生だった頃というから、およそ今から700年ほど昔のことである♡
 物語と言っても、実際にはウクライナ民謡である。今井君は、小学生の頃から音読が大好き。来る日も来る日も教科書を音読して、「ボクって、NHKのアナウンサーより発音がキレイ♡」「ボクチンは、テレビに出てる俳優たちより音読が上手♡」と悦に入っていたものである。
 予備校講師になって以来、すでに500年あまり♡、ひたすら生徒に音読の効用を説き、「日々の音読なくして語学力の向上なし」とまで訴え続けている陰には、実はこの「小さい白いにわとり」から綿々と続く、今井君の音読の歴史が横たわっているのだ。今井君の大好きな「小さい白いにわとり」、諸君も読んでくれたまえ。

小さい白いにわとりが、小麦のたねをもってきて、
みんなにむかって言いました。
「この麦、だれがまきますか?」
ぶたは「いやだ」と言いました。
ねこも「いやだ」と言いました。
いぬも「いやだ」と言いました。
小さい白いにわとりは、ひとりで麦をまきました。
                
小さい白いにわとりが、みんなにむかって言いました。
「この麦、だれが刈りますか?」
ぶたは「いやだ」と言いました。
ねこも「いやだ」と言いました。
いぬも「いやだ」と言いました。
小さい白いにわとりは、ひとりで麦を刈りました。

小さい白いにわとりが、みんなに向かって言いました。
「だれが、粉にひきますか?」
ぶたは「いやだ」と言いました。
ねこも「いやだ」と言いました。
いぬも「いやだ」と言いました。
小さい白いにわとりは、ひとりで粉にひきました。

小さい白いにわとりが、みんなに向かって言いました。
「だれが、粉をこねますか?」
ぶたは「いやだ」と言いました。
ねこも「いやだ」と言いました。
いぬも「いやだ」と言いました。
小さい白いにわとりは、ひとりで粉をこねました。

小さい白いにわとりが、みんなに向かって言いました。
「だれが、パンに焼きますか?」
ぶたは「いやだ」と言いました。
ねこも「いやだ」と言いました。
いぬも「いやだ」と言いました。
小さい白いにわとりは、ひとりでパンに焼きました。

小さい白いにわとりが、みんなに向かって言いました。
「このパン、だれが食べますか?」
ぶたは「食べる」と言いました。
ねこも「食べる」と言いました。
いぬも「食べる」と言いました。
さて、にわとりは何と言ったでしょう。
道後温泉
(3月9日、愛媛出張のついでに、道後温泉に立ち寄った)

 うにゃ。うにゃにゃ。どうじゃ、今井君の音読の原点。諸君、今井君は明日の朝、宮城県仙台市に向かう。東日本大震災の被災地の真っ只中である。今井君の実家には、子供時代の今井君の愛読書が散乱したまま、ヨレヨレになっている。幼い今井君が音読に励んだ懐かしい本の数々が、倒れた本棚の下敷きになって折れ曲がっている。
 今井君の母親というヒトが、これまた「音読=命」というツワモノ。第2次世界大戦のさなか、まだ女学校の生徒だったババサマは、「奥の細道」の文庫本をリュックだか背嚢だかに入れてどこにでも持ち歩き、ヒマさえあればその音読に励んだ、とおっしゃる。防空壕の中にあっても、戦後の買い出しの汽車の中でも、ひたすら奥の細道。おお、大したヒトである。
 やがてツマとなり→ハハとなり→ババサマになっても、料理をしタクアンを切り刻みながら、奥の細道をソラで延々と唱えている。「冒頭部だけ」などというヤワなヒトではない。「松島」も「平泉」も「象潟」も「天の河」も、何と「夢は枯れ野を」まで、全部ソラで唱える。「音読ババサマ」「暗誦ババサマ」などというツワモノがこの世に存在するとは、余人には滅多に信じられる話ではないだろう。
坊ちゃん列車
(松山市電「坊っちゃん列車」にも乗れた。大街道駅で市電を待っていたら、偶然コイツがやってきた)

 ついでだから言ってしまえば、この恐るべきババサマは、源氏物語でも近松門左衛門でも井原西鶴でも、古語辞典も解説書も何もなしで、岩波文庫を片手にラクラク読んでしまうという快傑ババサマである。
 音読はやがて森鴎外に及び、「舞姫」「うたかたの記」「文づかい」のドイツ3部作暗誦とともにサンマを焼き、ナスの味噌汁をかきまぜ、大根おろしの山を築く。息子(=今井君)が「ベルリンに旅行した」と口にした瞬間、何だか妙な手マネをしながら「石炭をば、はや積み果てつ」(=「舞姫」冒頭部)とくるわけだ。
 音読は当然のごとく夏目漱石にも及び、タクアン切りながらの暗誦は、時に「坊っちゃん」に、時に「吾輩は猫である」に、まさに変幻自在である。「息子の今井君が出張で松山に宿泊した」などと耳にするや、直ちに「坊っちゃん、松山に到着」の一節がババサマの口から流暢に流れ始める。「出張ついでに道後温泉に入ってきた」と言うと、大震災直後でさえ、電話口で「坊っちゃん」の暗誦が始まったものである。
内部
(松山「坊っちゃん列車」内部。運賃は普通の市電の2倍である)

 そろばんの名手で、某大銀行の珠算コンクール代表選手に選ばれたほどだから、80歳過ぎた今でも5桁6桁の掛け算でも割り算でも、そろばんなしの暗算で即座に正解を口にする。それも決して黙って計算するのではない。計算途中の過程を全て朗々と口にしながらの「ご名算!!」である。ま、血は争えない。今井君の親だけあって、やっぱり普通でもタダモノでもないのである。
 諸君、若い頃の音読、恐るべし。大学の国文科なんか出ていなくても、戦時中B29の爆撃や機銃掃射を逃れて、防空壕で音読に励み、買い出し列車の労苦を忘れて音読を繰り返した。それだけで、古典ラクラク読破オバサマorババサマになれるのだ。
 受験生諸君、うんにゃ、大学生諸君も、高いCD教材だの、どれもこれも同じことしか書いてないビジネス書だのに、眼の色を変える必要は皆無である。目の前のテキストをひたすら音読したまえ。目の前の教科書をひたすら音読したまえ。
市電
(ごく普通の松山市電。道後温泉駅にて)
     
 昨日の福井の講演会でも述べた通り(詳細は後日詳述)、3月下旬と4月一杯をどう活用するかが、成功と不成功の別れ道になる。今日からの40日、ひたすら音読に励みたまえ。
 音読の素材は、高1になったばかりなら中3の教科書、高2になったばかりなら高1の教科書、高3になったばかりなら高2の教科書でいい。大学生になったばかりなら、受験の1年で一番好きだった先生の読解のテキストがいい。
 すでにボロボロになりかけたそういうテキスト類を、丁寧にセロテープで補修して、音読&音読。この春、そういう40日を過ごしたヒトは、今井君が今でも小学1年の「小さい白いにわとり」を暗誦できるように、または仙台のババサマが奥の細道を延々と暗誦し、楽々と岩波文庫の古文を読みこなすように、楽々と英語を使いこなすヒトになる可能性が高いのだ。