Sun 110116 白熱ブームが見落としている学生の努力 BBC「政治的対話編」のこと | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 110116 白熱ブームが見落としている学生の努力 BBC「政治的対話編」のこと

 さて、昨夜というか早朝というか、外務大臣の英語スピーチをみたショック(スミマセン、まだ見てない人は昨日の記事からYouTubeにとんで、必ず見ておいてください)がそろそろ収まったところで、そろそろ話をモトに戻したい。
 白熱教室ブームで、日本のメディアが見落としている大切な側面が1つある。見極めるレポーターがいないのか、それとも故意に見落とし、故意にコメントを避けているのか、それはクマ蔵の知るところではない。
 しかし、「…と言います」流の「結論が先に決まっていて、都合の悪い情報はすべて排除する」という欺瞞の姿勢から判断すると、「見落としは故意のものである」と考えて、ほぼ間違いはなさそうだ。ブームを意地でも肯定して
「一方通行の授業は、意地でも否定されなければならない」
「教室は、意地でも熱い討論の場であるべきだ」
というメッセージにするためには、以下に述べることはジャマになるからである。
風神雷神図1
(風神雷神図1 Thu 110106参照)

 諸君。日本のメディアで伝えられていないのは、ハーバードの学生たちがこの白熱教室に参加するために、「事前に大量の文献の読破を課題として与えられている」ということである。講義と講義の間の1週間に、参考文献として2冊ないし3冊。あるいは雑誌論文4~5本の読破である。
 おそらくそれ以上の文献を読破しない限り、講義への出席自体を拒絶されかねないのだ。それにプラスして、レポートの執筆も課される可能性が大である。レポートは? おそらくA4版で4~5枚以上。講義前に教授にメールでレポートを送って、それで初めて講義への出席が許される。白熱教室は、そのぐらい厳しいのだ。
 日本のメディアの白熱教室報道には、その厳しさが含まれていない。参考文献も読まず、雑誌論文も読まず、レポートも書かず、「読んだり書いたりするのはカッタリー」という学生が、ほぼ徒手空拳で講義に出席し、そんなダラしない状況で
「一方通行ではやる気になれない、と言います」
「積極的に討論に参加して、やる気が出てきた、と言います」
と、甘やかされ放題に甘やかされているだけである。
 やっとのことで白熱ブームを批判するメディアがチラホラ見かけられるようになった。残念ながら、それはまだ週刊誌のレベルであって、実名を言えば「週刊新潮」。「変な准教授の変な理論でしぼんだ『白熱教室』ブーム」のような、何だか寂しいサブタイトルがついている。というより、タイトルを見る限り、批判者を「変な人」と貶める(オトシメル)ベクトルのようである。
 まあ、いい。厳しい文献読破もレポート執筆も伝えないで、単に「徒手空拳で勝手な議論を戦わせるからスンバラシイ」と言っていたメディアが、やっとのことで少しずつ「これじゃイケナイんじゃないか」と気づき始めたということである。ベクトルの方向性だけは間違っていないのだ。
風神雷神図2
(風神雷神図2 Thu 110106参照)

 では、今井君の考える理想の白熱教室について、いくらかの提案をして、長かったこのシリーズを終わりにしたい。長い間グダグダ小難しいことをコネクリ回して、マコトに申し訳なかった。
 今井君の考えでは、学部の大教室の授業に熱い討論を持ち込むことには、余り賛成できないのである。上に書いた通り、文献も読まず、レポートも書かず、徒手空拳で入り込む、目立ちたがりの学生に教室が占拠されて、教授にとっても、一般のマジメな学生たちにとっても、時間と労力の無駄になりやすい。
 白状すれば、学部時代の今井君こそ、まさにその「文献も読まずレポートも書かずに徒手空拳で入り込む、目立ちたがりの学生」の代表格。今井君のせいで、せっかくのゼミが時間の浪費になったことは少なくなかった。おお、反省&反省。懺悔&懺悔。教授、ホントに申し訳ありませんでした。
 あんなに真剣で質の高い白熱討論は、ハーバードだからこそ可能な例外なのだ。論文を読めと言われれば無視、レポートはコピペ、読書はカッタリー、関心のあるのはシューカツのみ、そういう典型的な日本の大学で、ブームだからといってマネしようとしても、3回か4回で崩壊するのは目に見えている。
型にはまる1
(型にはまる 1)

 だから、一般の大学の教授は、1000人も詰め込まれた大講堂の教壇に、生徒vs生徒の白熱討論などという理想論を持ち込まない方がいい。むしろ事前の準備にタップリ時間を割いて、例えば「哲学者vs哲学者」「文学者vs文学者」「法学者vs法学者」の、目の覚める討論を、学生たちの前で展開してみせるのが、より理想に近いと思うのだ。
 つまり、サンデル教授は自分と学生10名での討論を演出し、合計11名の討論を990名の学生が観客としてニコニコ眺める舞台を作って成功した。それはハーバードの学生が優秀であり、それ以上に勤勉であって、舞台の上で討論を演じる能力を持ち合わせていたから可能だったのである。
 それが最初から期待できないなら、教授は舞台の上に例えばプラトンとウェーバーを登場させて、彼ら2人に討論させればいいのである。マルクスと老子の討論にしてもいい。ウェルギリウスとダンテとヴァレリーで詩について対話させてもいい。ケインズとクルーグマンが経済学を舞台に対話を繰り広げることだって可能だし、バッハにベームがインタビューしてもいい。ニーチェとワグナーのケンカだって、学生たちに見せてあげられる。
 教授の準備さえ入念であれば、教授に力量さえあれば、学生たちの目の前で、時空を超えた白熱教室が展開される。もともと準備不足な上に、キチンとした討論になれていない学生諸君にとって、目の前で展開される対話は、論理的思考の素晴らしいお手本になるだろう。
型にはまる2
(型にはまる 2)

 学部とは、熱くなって白熱バトルを繰り広げる場所ではない。30年ほど前、イギリスBBC放送に「政治的対話編」というのがあって、みすず書房から活字になって出ていたけれども、絶版になりましたかね。もし「正義の話をしよう」というなら、クマちゃんが考える理想は、あれなんですけど。
 言ってることが、よくわからない? スミマセンね、では予告として、明日は今井クマ蔵が考える「白熱グループ討論・正義の話をしようじゃないか」の冒頭部分をお示ししましょう。今井君には、シナリオ・ライターの才能もございますので、シナリオ形式にいたします。
 教授が、自分の研究業績よりも、授業や講義の準備に時間をさくタイプのヒトであれば、日々の予習が楽しくなるばかりか、1回1回の講義をどんどん出版できるほどになると思うんですが。

1E(Cd) Kempe & Münchener:BEETHOVEN/SYNPHONIE Nr.6
2E(Cd) Karajan & Wiener:BEETHOVEN/MISSA SOLEMNIS 1/2
3E(Cd) Karajan & Wiener:BEETHOVEN/MISSA SOLEMNIS 2/2
4E(Cd) BILLY JOEL GREATEST HITS 2/2
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