Wed 110112 白熱教室はホントに白熱しているか 参加は1%、99%は観客または背景 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 110112 白熱教室はホントに白熱しているか 参加は1%、99%は観客または背景

 「いや、ハーバード大学の白熱教室では、あんなに学生たちが盛り上がり、マイクを奪い合うほど積極的に熱く語り合っているではないか(スミマセン、昨日の続きです)」
という意見は、もちろん理解できる。確かに、教授の話を聞くだけ、板書を書き写すだけ、そういう古典的な授業と比較して、学生参加の面では「たいへんよく演出されている」という印象はある。
 しかし諸君。その印象は、巧みな演出にカンタンに引っかかってしまっただけである。演出とは? いかにも学生たちが積極的にマイクを奪い合い、大教室は熱い討論の渦。プラトンやソクラテスの古典古代的民主主義の世界が、まさに今ここに復活したかのように見せる。巧みな見せ方である。
 しかしここで、ごく冷静にこの大教室を見直してみる必要があるだろう。1000人の学生が埋め尽くした大講堂で、実際にマイクを握るのは、90分の授業中10人程度。割合にして、100人に1人である。アメリカ人だって、1000人の見守る中で大胆にマイクを握るほど勇気と自信に満ちた若者はそんなに多くないのだ。
 もしこれが50人教室なら、討論に参加しているのは0.5人である。今井君の右半身が立ち上がって、残された左半身は呆然と眺めているだけ。熱い討論への参加率はその程度にすぎない。
シッポ
(ビックリすると、シッポが3倍の太さになる)

 つまり、1000人中990名の学生は、画面後方で楽しそうにニコニコ&ニヤニヤ笑っているだけだということである。何故楽しそうなの? そりゃ、テレビカメラが入ったハレの教室で、仲間の学生がマイクを握るのを見れば、嬉しくもあり、楽しくもあって当然である。全員が討論自体を心から楽しんでいると考えるべき根拠は何もない。
 この時、彼ら彼女らは、舞台背景ないし観客に過ぎない。99%の学生を舞台背景にしてしまう教室が「白熱」の名に値するかどうか、考えてみればすぐにわかることである。教授一人に10人の学生が加わって演じられる演劇を、990人の観衆が背景となって、口をあんぐり開けて眺めている。ごく普通の古典的授業と大差ないことは明らかだ。
 テレビの視聴者である我々は、画面を通じて演劇を眺める2次的観衆である。距離を置いて、もっと冷静にこの事実を理解すべきである。討論への参加者が1%では、白熱の名に値する率とはとても言えないし、参加していない者たちの楽しそうな笑顔が、討論への関心とは別物である可能性が高いのだ。
 これで「白熱」の名に値するなら、日本中の小中学校の授業だって、みんな十分に白熱していると言ってあげていい。ほとんど「核融合を起こしかけている」ぐらいのスンバラスイ授業だって少なくない。
 あんまり疑い深くなっても困るだろうが、それでは「参加している1%の学生たちは、何者なのか?」も考えてみたまえ。ゼミ生? 教授のゼミなり研究室に入ろうと虎視眈々と狙っている学生? 「みんな生き生き参加している」という印象は、ここでもやはり疑わしいのである。
 「ほーら、アメリカの大学では、みんなどんどん積極的に討論して、授業を楽しんでいるねぇ。日本の大学の一方通行の講義とは違うねぇ」
「答えを教えるより、みんなで討論して、自分たちで考える授業じゃなきゃ」
という報道の仕方あるいは議論の方向性は、メディアの作った演出に無反省に流されているだけなのだ、ということが次第に明らかになってくるではないか。
去っていく
(太いシッポのまま、悠然と歩き回る)

 ちょっとした白熱的状況なら、工夫好きな先生ならすぐにでも作ることが出来る。予備校の英作文の授業で、「前に出て、黒板に自分の作文を書いてくれ。オレが皆のまえで添削してやる」などという先生は別に珍しくない。それだけで十分に「白熱的」にはなるのである。
 かく言う今井君も、10年前の代ゼミの直前講習・単科ゼミで「英作文完璧6時間」をほとんど全校舎で満員締め切りにした実績♨があり、その様子をフジテレビ「とくダネ!」が特集し(2001年1月11日。おお、ものすごい大昔の出来事である)、今井君は生徒が授業開始前に板書した英作文を、300人あまりの生徒たちの見守る中、毎回ていねいに添削してみせた。
 おお、白熱教室10年先取り♡だったのである。いや、別に今井君なんか珍しくない。その程度のことなら、普通の予備校のごく普通の講師だって、ごく普通の高校の普通の先生だって、日常的に実行していることである。
明日は曇り
(明日は曇り。自ら記号化するニャゴ)

 大学の教授だって同じことで、シューカツには燃えても授業には燃えてくれない学生たちを、何とか授業に引きつけようと同じような工夫に日夜努力を続ける教授は、決して少数派ではないはずだ。
 しかし、そういうごくありふれた授業のワンシーンを、「白熱教室」とか「白熱バトル」とか囃し立ててくれるメディアは1社もない。どんなに白熱しても、「予備校の授業」というだけで「一方通行のマスプロ教育では、なかなかやる気がわかない、と言います」で全て片付けてしまう。
 そういうふうに「と、言います」を巧妙に使って(昨日の記事参照)、「まさにいろいろな」例外が大量にあっても、そんな例外に見向きもしない。取材前に原稿が出来ていて、事前に完成した結論をなぞるためにだけ、取材が申し訳程度に行われる。今井君は、そういうメディアの姿勢を深く嫌悪する。こういうのって「気難しい」ですか?