Sun 101212 誰も校歌を歌わずに帰ってしまった 競技場の外で「今井先生ですか?」 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 101212 誰も校歌を歌わずに帰ってしまった 競技場の外で「今井先生ですか?」

 こうして、1月2日のラグビー観戦は(スミマセン、昨日の続きです)「応援するチームの歴史的大勝利に何だか不満タラタラ」というマコトに不思議な思いをいだきながら、16時終了。その差64点。ラグビーの点差は、時に余りに残酷である。
 しかし「武士の情けで、50点ぐらいでヤメておけばよかった」という感想はさすがに傲慢すぎる。今井クマ蔵が不満だったのは、「何で、こんなにバカ勝ちするの?」「こんなに楽な準決勝じゃ、決勝に向けての気の緩みが心配」ということである。
 正確には「気の緩みが心配」というより、「歓喜の欠如が心配」である。昨年は大学選手権2回戦で敗退。クマ蔵はプラハでそのニュースを知り、遥かかなたの東欧で悔しさに涙を流した。今日の勝利と2年ぶりの決勝進出について、本来なら、グラウンドとスタンドの一体になって歓喜の涙を流し、コブシを天に突き上げ、校歌なり「紺碧の空」を声を限りに大合唱する場面である。
 しかし、余りのバカ勝ちに、グラウンドの選手たちにも、スタンドの早稲田ファンにも、そういう雰囲気は一切生まれない。選手たちは「楽勝すぎて納得がいかない」という様子でスタンドに一礼。スタンドの観客は、試合終了を見届けるなり、あろうことか我先に家路につきはじめた。
ナデシコお嬢様1
(ナデシコお嬢様 1 本文とは全く関係ありません)

 ありゃりゃ。校歌、腕振り上げて歌わないの? 紺碧の空、大合唱しないの? 明治ファンの方は、まさに「そそくさと」その場を去って行く。「こんなところで、明治ファンだと(明治OB/OGだと)悟られたくない」「恥ずかしくてこんな所に留まっていたくない」という風情。せっかくの明治応援旗も、旗の方を紙袋に突っ込んで、そおっと帰っていく。試合終了からたった10分で、国立競技場のスタンドからほとんどのヒトは消えてしまった。
 諸君。こんなことではイケナイのである。勝ったほうも、負けたほうも、お互いの健闘を称え合い、自然発生的に立ち上がって、お互いに負けじと校歌を大合唱しなければ、大学ラグビーとは言えないのである。例え負けても、意地でも、その日一番のプレーについて、大声で感動を語り合いながら帰らなければならないのである。
ナデシコお嬢様2
(ナデシコお嬢様 2)

 「4年前の71-7の時よりも、もっと危機的だ」「復活どころの話ではない」とクマ蔵が昨日書いたのは、そういうことである。4年前の明治ファンは、今年の明治ファンとは比べ物にならないほど素晴らしかった。どんどん点差が開いていっても、ちっともユーモアをなくさなかった。「あれれえ、ヤバいよ。得点が、偏差値ぐらい開いていくよ」と仲間どうし肩を叩き合って大笑いしていた。
 唯一の独走トライで7点取ったときも、トライ直前にゴールポスト下でボールにキスする選手を見て(選手もなかなかヤルじゃんか)、「うーん、学生にあるまじき行動ですねえ」「軟弱ですねえ」と爆笑しながら、みんなで雄叫びを上げた。間違っても、敗戦に黙りこくったり、味方のプレーを冷淡に批判したり、校歌を歌わずに帰ったり、そんなファンではなかった。
 うーん。どうしても今年の準決勝は不満である。来年こそは、「いかにも明治」というゴリゴリFWプレーで80分貫徹してほしい。それで試合に負けても、全然かまわない。叔父さん世代の妙竹林なアドバイスなんかに耳を傾けるから、「押せ!! 押せ!!! 押せ!!!!」の大合唱に酔えないじゃないか。セコくPG狙い、慣れないバックス展開(Mac君の変換は「バック捨てんかい」。おお、断捨離かい)なんかするから、ファンは黙りこくり、得点差に失笑し、校歌も歌わず、黙々と帰っていくじゃないか。
ナデシコお嬢様3
(ナデシコお嬢様 3)

 国立競技場を出たところで、「今井先生ですか?」に遭遇。野球の早慶戦や、ラグビーの早明戦を観戦に来て、「今井先生ですか?」に遭遇するのは、完全に織り込み済み。というより、誰かに声をかけられるのが楽しみで楽しみでならない。こういう場所に出かけていって、1度も「今井先生ですか?」に会わなくなったら、まさにそのときが引退の時なのかもしれない。
 今日出会ったのは、「去年C組とB組を受講して、今は明治大学の1年生です」という男子。彼もまた大いに不満そうである。C組でもB組でも、今井クマ蔵は授業中に早慶戦や早明戦の感動について語るから、彼もおそらく今日の試合にガッカリしたのだろう。明治が大敗を喫したからガッカリしたのではなくて、お互いに愛校精神を爆発させずに終わってしまったことへのガッカリである。早稲田サイドとしても、言うことは余りなかった。「また、来年こそは、だね」と言って、すぐにサヨナラをした。