Tue 101130 博多の屋台2軒目「永ちゃん」 シラナミお湯割りをいくらでも飲みほす | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 101130 博多の屋台2軒目「永ちゃん」 シラナミお湯割りをいくらでも飲みほす

 明太子オジサンの苦悩があまりにも可哀想だったので(スミマセン、昨日の続きです)、今井君は「西村美枝子の店」の席を他の人に譲って、その隣りの隣りの隣りの屋台「永ちゃん」に移ることにした。那珂川の河口に向かって端から3軒目の屋台である。「永ちゃん」の屋号から分かる通り、店主は大の矢沢永吉好き。その割に店の中で矢沢永吉を流しているわけではない。
 もう大昔のことになるが、今井クマ蔵はこの店に何度か入ったことがある。焼き物が中心で、今井君のお気に入りは「明太子の玉子焼き」。ラーメンはないけれども、昔はお願いすれば隣りのラーメン屋台からわざわざとってくれたりもした。屋台の細工もチャンとしていて、ピッタリとガラス戸が閉まるから、真冬でも寒い思いをせずに暖かい夜が過ごせる。
 問題は、「他の客と仲良く談笑できるか」である。ガラス戸がピッタリ閉まった狭い屋台空間で、もしムスッと黙りこくって酒を飲む客が一人でもいれば、屋台の雰囲気はあっという間に台無しになる。こういう店に入るからには、「愛想よく朗らかに」「何があっても決してムスッとしない」、そういう決意が必要だ。
屋台
(博多中洲の屋台風景。右が那珂川、向こうの明るいのが福岡キャナルシティ。「永ちゃん」はこちらから3軒目である)

 だから今井君はほんの少し緊張する。一方的にシャベリまくっていいなら、おそらく今の日本に今井君の右に出るものは1人も存在しない。しかし、酔っぱらった相手の言うことをチャンと理解し、酔っぱらいの機嫌や事情やお財布の中身も斟酌しながら、穏やかで朗らかで軽妙な会話を継続するのは、なかなかの難事である。ちょうど昨年の今頃、ブダペストのクリスマスマーケットで、せっかく始まった地元のヒトとの会話があっという間に途絶えてしまった苦々しい経験も、生々しく蘇ってくる。
 とは言っても、そこはそれ、このクマ蔵だって十分に酔っぱらっている。テムジンで飲んできた100℃の超熱燗1合、「西村美枝子の店」で飲んだ4合のぬる燗、もちろんその他に何杯かのビール。これだけ飲んでおいて、「自分は酔っぱらっていません」「他の客はみんな酔っぱらいです」などと豪語するのは、酔っぱらいの風上にも置けないダメなヤツである。
 そう考えながら、日本酒のおかわりを注文したところで、「この辺に、トイレはないか?」とワメキながら50歳がらみのオヤジが闖入してきた。オバサンも一緒だが、オヤジ&オバサンともにすでに相当な酔っぱらいである。デカイ声のオヤジによると「近くの公衆トイレに入ったら、女子トイレに男子のオジサンたちがたくさん入っていて、チョー感じ悪いんだ」そうである。
にゃご
(この時点では、まだニャゴの病気が忘れられなくてメソメソしていたが)

 「永ちゃん」も、その奥さんも、一瞬顔を歪めた。「出来れば、こういう厄介な客には来てほしくないな」という表情で永ちゃんが腕組みすれば、すでにいた店の客たちも「そうですよね」「他に行ってくれないかな」「少なくとも、オレの隣には来てほしくないな」という目線を交わしあった。しかしそういう時に限って、厄介な客はその店を選ぶし、すぐ近くの席に座るものである。
 店の中は、オヤジの大声にしばらく占拠されることになった。こりゃ、やむを得ない。クマ蔵どんの出番である。「トイレなら」、クマ蔵どんはニコニコしながら言った。「この先のグランドハイアットホテルのを利用するといいですよ。リッチな気分でトイレ行けますよ」である。しかし、あれれ、誰も相手にしてくれない。みんな無視して、他のトイレのことをあれこれ言い合っている。グランドハイアット、知らないのかもしれない。面倒なので、焼酎を注文することにして「サツマ・シラナミ、お湯割りでください」と言ってみた。
 この言葉に絶叫オヤジとオバサンが反応した。「シラナミ、ってアンタ」とオヤジは叫ぶのである。「シラナミ、ってアンタ。そりゃダメだ。そんなの、普通の人間が飲めるような焼酎じゃないよ。臭いよ。キツイよ。酔っぱらうよ」と来た。「そんな激しい焼酎じゃなくて」、すかさずオバサンがオヤジに続いた。「こういう優しい焼酎にしなさいよ」と笑って、バッグの中から「なんとか霧島」の4合瓶をおもむろに引っ張りだすのである。
シャツ1
(今回の出張で断捨離することになったワイシャツ。代ゼミ時代以来7~8年、クリーニングに100回近く出したかもしれない。深い歴史あるシャツである)

 おっと、「マイ焼酎ボトル」持参の夫婦なのだ。いくらなんだって、屋台にマイボトル持参&持ち込みはルール違反だ。こりゃ、おもろいオッサンやないか。こりゃ、おもろいオバサンやないか。ありゃりゃ、と思った拍子に、クマ蔵君のタガが外れた。ここから、屋台にいた他のお客も全員混じって、滅多にない大饗宴が始まったのである。
 今井君は何故か「教授」と呼ばれることになった。何かに横文字についての発音が滑らかだったせいである。手の白さ&美しさを絶賛され、「そんなキレイな手で、女のヒトをたくさんダマしているんじゃないの?」「なかなか酔っぱらわないし、ホントは悪い人なんじゃないの?」と攻め込まれた。大いに笑いながら「臭くて、キツくて、マトモなヒトなら飲めない」という絶叫オヤジの保証つき「シラナミ」お湯割りを4杯でも5杯でも、いくらでも飲んだ。
 こういう楽しい饗宴での今井君は不思議である。いくらでも飲み、軽妙に相手をかわし、しかし全く酔っぱらうことなく、顔色も表情も全く変わらない。1杯飲みほせば、また1杯欲しくなり、それを飲みほしてまた注文し、それでも決して乱れることはない。「永ちゃん」もあきれ顔、永ちゃんの奥さんもあきれ顔。叫び声での饗宴にあきれ、いくらでもシラナミを飲みほすウワバミどんにあきれ、饗宴は午前1時すぎまで続いたのであった。
シャツ2
(断捨離ワイシャツ。襟のスリキレが激しい)

 最後に、店に残っていたお客みんなで、何故か自分の出身地を明かし合った。向こう側から、沖縄/佐世保/広島/群馬、そして左端の席の今井君が秋田。面白いことに、キレイに南から北に整列していたのである。
 「アキタって、あんた」と絶叫オヤジが大袈裟に感動した。「秋田って、なるほど、それで手がそんなに白くてキレイなワケか、教授。そんなキレイな手で、たくさん女のヒトをダマしているんじゃないのか、教授? そんなに落ち着いて、全然酔っぱらわないし、やっぱり悪いヒトなんじゃないの、教授?」。話題はそこに戻ってしまった。
 残念なから、今井君は品行方正&学実優等な模範グマであって、「手の美しさで女のヒトをダマす」などという高級テクなんか使えるワケがない。完全に正反対。海老蔵とはまさに対極、内気な内気な生物・クマ蔵である。それ以上に、諸君。「手がキレイだから→ダマされる」などという女性が、そもそも存在するものだろうか。クマ蔵には、そこがまずわからない。
 というか、こんなマジメな生物がそういう男に見えたとすれば、絶叫オヤジは視界が歪んでしまうほど酔っぱらっていたのだ。しかしそこまで飲んでも、みんな底抜けに楽しい、気持ちのいいヒトたちだった。ニャゴのことで滅入っていた気分も、少し明るくなったようである。博多の屋台に、大いに感謝する。

1E(Cd) AZERBAIJAN Traditional Music
2E(Cd) Ibn Baya:MUSICA ANDALUSI
3E(Cd) T.Beecham:BERLIOZ/LES TROYENS 1/3
4E(Cd) T.Beecham:BERLIOZ/LES TROYENS 2/3
5E(Cd) T.Beecham:BERLIOZ/LES TROYENS 3/3
total m102 y1743 d5842