Fri 101029 まだ・ウワバミの速攻闘病記 いよいよ病室に入る 手術前夜の準備が続く | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 101029 まだ・ウワバミの速攻闘病記 いよいよ病室に入る 手術前夜の準備が続く

 11月8日夕刻が近づき、小春日和の1日は終わろうとしている。緊急入院が決まり、明日午後の緊急手術も決まり、血液検査、心電図、レントゲン、その他手術に必須の一連の検査が続いた。執刀は教授であるが、主治医として今後普段の面倒を見ていただく若い医師にも引き合わされた。
 危機に瀕している右眼の眼底写真を見せてもらうと、その網膜の剥離の有様はまさに「凄まじい」の一言。まあ、下世話に言えば「モノの見事にペロンとムケちゃった」ということである。
 例えば、天津甘栗を買ってきて、上手に渋皮だけを残して剥いてみたまえ。甘栗は渋皮がパリパリしていて剥きにくいなら、普通の栗を茹でてもいい。とにかく渋皮を残して栗を剥いてクリ。その栗を机の上に置いてクリ。その栗を眼球模型だと思ってクリ。残った渋皮が眼の網膜に該当するもので、これが写真のフィルムであり、渋皮がなければモノは一切見えない。
 で、机の上の「渋皮つき栗クン」を金槌か木槌で一発ガーンと殴ってみてクリ。もちろん栗全体がつぶれない程度に力を加減しておクリ。ほらほらほーら、衝撃で渋皮がパックリ&ペロンと剥けたでしょ!? その有様を観察してクリ。それが、11月8日に日本医大病院の検査室で今井君が目撃した、自分の網膜の哀れな姿とピッタリ重なるのである。見せられた写真の網膜には四角い穴がパックリあいて、確かにその部分に「黒い影」が見え、その周囲を16分音符または♬がヒラヒラ踊り回っていた。
点眼予定
(手術当日朝の点眼予定表)

 これから1週間入院する病室に案内されて、ナースから懇切丁寧に手術の準備の説明を受けた。緊急の点眼薬だけでも4種類あって、この4種類を5分間隔で手術までに5回ささなければならない。手術を受けるには、患者の手間も大変だし、特に心の準備が大切。ナースも大変だ。「もしものこと」があった場合、例えば「もしも手術後に眼球の中に細菌が入り込んで眼内炎が起これば、限りなく失明に近くなる」、そういう可能性についても説明してコンセンサスをとっておかなければならない。
 いったん代々木上原に戻って、入院の支度を整える。シャツ7枚、パンツ7枚、湯呑み、コップ、歯ブラシ、割り箸、スプーン。ヒゲを剃らなければならない可能性があるので、新しいカミソリ。諸君、前回の手術から15年間剃らなかったヒゲも、この日は危機に瀕していたのだ。
 眼の手術だから読書は出来ないと判断してiPod、iPodの充電器、病院内ではケータイは禁止だが、まあとりあえずケータイの充電器も。枕が臭くなったときに備えて(なぜ枕が臭くなるかは後日詳述)リセッシュ、しばらくは風呂もシャワーも禁止だからギャツビーの顔拭きタオル&カラダ拭きタオル。30分で荷物は出来上がって、タクシーを呼んで病院に戻った。
マンション
(802号室。マンションみたいだが、これが病室である)

 タクシーの中でも、関係各所にケータイでどんどん連絡を取らなければならない。まず何といっても東進である。突然の1週間入院となれば、校舎にも本部にもたいへんな迷惑をかけ、業務を停滞させることになる。ひたすら丁重に詫びを述べなければならないが、口先の詫びだけで済むことではない。
 電話で話しながら、回復後にどんな形で恩返しするかもいろいろ考え込んでしまった。「失明の危機にあるのだ、これは一生の大事だ」と開き直ってしまえないこともないもないが、そういう態度も発想も余りに情けない。「回復後、どれほどたくさん良い授業をするか」にかかっているだろう。そう思いつつケータイを切った。
 病院に戻ったのが20時。主治医の若い医師が「今日は当直なので」と明るく笑いながら、20時から21時を過ぎるまで、明日の手術に備えて今井君の右眼の検査を続けてくれた。その丁寧な検査ぶりには、感動で涙が滲むほどである。明日は眼底の網膜をレーザーで眼底に貼り付けて再生させる。そのために眼のレンズを切開して、その穴から治療を行うのだ。後から人工のレンズを嵌め込んで仕上げをするが、今ここでその人工のレンズを作ってしまわなければならない。つまり、若い医師の仕事はまだまだ深夜まで続くのである。
病室
(手術前夜の病室風景)

 それに比べて、患者は気楽なものである。病室に戻って、部屋の中を飛んでいた蚊を発見、「重症の飛蚊症患者に叩き殺されるモスキートとは、全く呆れたダメなヤツじゃないか」と笑いつつ、部屋の電話でさらに関係各所への連絡を続けた。
 22時、消灯の放送があって、もう1度しっかりと覚悟を固め(Mac君は「覚悟を片目」とタイムリーな変換をしてくれたが)、明日の厳しい手術にも眉毛一つ動かさずに耐えてみせようと決意。なにしろ、修理工場に入ったのだ。泰然自若として修理に全身をゆだねなければならない。
 こうして、少なくとも自分史には深く刻まれるであろう11月8日は終わった。今朝3時にムックリ起き上がって異変を自覚、行動を起こそうと決断してから、すでに20時間近くが経過。確かに事態はプラスの方向に向かって力強く走り出したのである。