Mon 101025 続・ウワバミの速攻闘病記 昨年12月の「土壁との激突」が直接原因か | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 101025 続・ウワバミの速攻闘病記 昨年12月の「土壁との激突」が直接原因か

 ただし(スミマセン、昨日の続きです)、10月29日夕刻の「ピカリ」よりも遥か以前に、徴候があったことは書いておいた方がいい。思い当たる直接原因は、昨年12月13日の「土壁との大激突」である。大激突の状況については、当時のブログを参照してほしい(091218参照。カレンダーで2010年1月7日をクリックしてください)。
ひたい
(昨年12月13日の「土壁に大激突」の惨劇のあと。12月15日朝、ウィーンで撮影)

 ボクサーが突然引退を表明するとき、その多くは「失明の危機」であるが、打撃の衝撃は網膜の損傷に直結し「失明を避けるためには引退を選ばざるを得ない」ということになる。今井君はボクサーではないが、ファイターではある。壁を相手に不可能な戦いに猛然と突入を試みた時、おそらく網膜への決定的な打撃が加わったのである。
 あれから1年近くが経過しているが、今回の入院で血液検査をしても、網膜症につながる糖尿病その他の内科的疾患が一切見つからないことを考えると、最初のきっかけはあの激突だったことは間違いなさそうである。
 実際、激突の後遺症は今年1月~2月にかけての腰痛に現れていた。何だかカッコ悪いからブログには書かずにいたが、風呂に入るためにしゃがみ込むのにも、ウンウンうなるほどの腰痛にしばらく悩まされたりしていたのだ。1つの激しい衝撃が肉体のさまざまな場所に波及するのは当然なのである。しかも激突の場所と今回の網膜はあまりにも近い。というより、骨一つを隔てた表と裏である。
赤め君
(手術翌日の今井君。眼帯は外してもらったが、何だか急激に年老いたような)

 激突から半年、2010年7月下旬には剥離の最初の徴候も現れた。重い飛蚊症である。7月下旬の東進英語科講師は「河口湖合宿」の真っ最中。今井君は7月中旬からキツい夏風邪に悩まされ、高熱が下がらずに苦しんでいた。石原都知事も入院したという筋金入りの流行性夏風邪であったが、10日間の合宿の後半5日は熱が39℃に接近し、空き時間がくるたびに、部屋で布団にくるまってガタガタ震えている状況であった。
 Tシャツ10枚を汗まみれにしてようやく回復したが、「回復したかな?」と起き上がった瞬間(7月29日)、右眼の前に黒い底引き網のような大きなモヤがかかった。おそらくあれが最初の剥離である。お互いに律儀に90°に交わる細い直線が多数現れ、直線と直線の交点には黒い碁石のような斑点が浮かぶ。まさに底引き網である。「これは決定的なことが起こったな」と思いつつ、1週間ほどで底引き網は右眼の底に姿を消し、それっきり自覚症状はなくなった。
飛蚊症
(飛蚊症の病室に現れた本物のモスキート君。クマどんの一発で殺されてしまった)

 今回の入院当日(11月8日)、医師の診断で「激しい剥離が3回起こってますね。まず2回剥離して、2回ともいったんは沈静化している。でもその時に出来た裂け目から、最後に大きく裂孔が拡大しています」とのことであった。小噴火が2回あって、その時の噴火口から最後にマグマが大量流出したという図式である。
 「噴火」という言葉をつかうと、内心忸怩たる思いがある。要するに爆発/破裂/噴火、そういう「カッカし過ぎ」「教師としての熱誠指導の行き過ぎ」が今回の事態の遠因である可能性だってあるのだ。「早く年齢相応の温厚&温和オジサマになりなさい」、そういう天の声&神の声が今回の緊急手術騒ぎのモトにあったかもしれないのである。
手術翌日
(手術翌日のウワバミどん。弱味の右眼を隠して、まだまだ意気軒昂である)