Sun 101024 衝撃性の網膜剥離になっちゃった … ウワバミどんの速攻闘病記(その1) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 101024 衝撃性の網膜剥離になっちゃった … ウワバミどんの速攻闘病記(その1)

 油断するとすぐ昨日の記事みたいに長くなるから、「眼を疲れさせないように」という医師からの厳命もあるわけだし、大いに注意しながら「今井君の速攻闘病記」を書かなければならない。
 異変に気づいたのは、10月29日金曜日に遡る。右眼の飛蚊症が悪化しているのは気づいていたが、決定的だったのは29日、松戸の講演会終了直後である。これは既に「飛蚊症」のカテゴリーには入らない。目の前に激しい砂嵐が発生して、白い壁を見ても、千代田線の車内を見回しても、モウモウと砂が舞い上がり、視野は霞み、目の前のお姉さんやオジサマの顔も霞み、電車内の照明が風呂場の湯気を通して見るようにボヤけている。
松戸
(10月29日松戸講演会。この時すでに自覚症状があった)

 「講演会での熱演が過ぎたのだ」「疲労が眼に来ただけだ」「時間が経過すれば少しずつ収まるだろう」という自己欺瞞が通用するレベルをハッキリ超えている。何か重大なことが起こって、人体の大きな部品をソックリ入れ替えるオーバーホールが必要になっていることは、松戸からの帰りの電車の中ですでに気づいていた。
 実際には、それより5時間ほど前、29日の夕方4時半に代々木上原の自宅を出たときに、右眼の右下端がちょっと引きつれるような微妙な感覚があって、引きつれたちょうどそのあたりで白い細長い光が一瞬ピカリと光った。時計と反対周りに小さな円を描いて、白い筋がクルリと光りながら回転したのである。網膜で決定的な剥離が発生したのは、おそらくあの時である。破裂のような剥離とともに、網膜のカケラが眼球内に無数に飛び散り、それが砂嵐になって見えたのだと思う。
新松戸
(10月30日新松戸、自覚症状に耐えつつ熱演するウワバミ)

八王子
(11月1日、奈良から直接向かった八王子での講演会。白い壁に無数の黒い斑点が浮かんで見えた)

 事態は「安静にしていればそのうち消滅する」などという生半可なものではなくて、翌日30日台風直撃のまっただ中での新松戸講演会、翌々日31日の奈良・大和西大寺での講演会、さらに11月1日の八王子講演会、講演会それ自体はいつもと同じ何食わぬ顔の大熱演で成功を繰り返していたが、右眼の激しい砂嵐に心は暗く覆われ、成功の割に感動は熱くならなかった。
 砂嵐の状況は、アナログテレビのサンドストームと同じである。アナログテレビの消滅&地デジ化に伴って「サンドストーム」という言葉はまもなく死語になるのであるが、放送終了後にテレビ画面が砂嵐状態になるのがサンドストーム。
 昭和の大学生なら、午後2時にうたた寝からふと眼を覚ましてテレビがサンドストームになっているのに気づき、「このままじゃダメだ、生活を立て直さなきゃ」と決意したことが何度でもあるはずだ。せっかくだから、入院していた病室のアナログテレビからサンドストームを撮影しておいた。見よ、これがまもなく昔話になるサンドストームである。
サンドストーム1

サンドストーム2
(アナログテレビのサンドストーム。文京区千駄木、日本医科大病院の病室で)

 今井君の眼の中では、この砂嵐のまっただ中を、網膜の大きなカケラが2つ、真っ黒い16分音符の姿でヒラヒラ踊り続けた。眼を動かすと、2つの16分音符が絡まり合いながら右眼の真ん中あたりを踊り回る。裏返ったり、回転したり、回転しながら一瞬日光を反射して白くキラリと光ったり、彼ら2名は楽しそうだが、煩わしくてとても読書どころではない。飛蚊症のカテゴリーを超越しているという判断は正しいだろう。
♬たち
(音符たち)

 それでも忍耐強い今井君は、時には連符♬♬のように肩を組んで踊り回る真っ黒で不吉な16分音符2個♬♬をなだめすかしながら、ツルゲーネフ「ルージン」を読破したのであるが、それが11月2日。「どうもオーバーホールは避けられそうにない」「決定は時間の問題だ」と暗く重たく認識しつつ、せめて6日の水戸講演会が終了するまでは決定を先延ばしにせざるを得ないと考えて、ジリジリしながら週末を待っていた。