Wed 101020 水戸で講演会 参加した中3生の心の中は? どうやって大成功に導くか | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 101020 水戸で講演会 参加した中3生の心の中は? どうやって大成功に導くか

 11月6日、水戸講演会。開始13時15分、終了14時45分。出席者約150名。昨年も同時期に同じ会場で同じ趣旨の講演会を実施したが、参加者数までほとんど同数であった。
 主な対象者は主催した塾の中3生たちであり、その父母も参加できる。こういう講演会を予備校用語で「もちあげ」と呼ぶ。中3の塾生に対して「高校合格後も気を抜かずに勉強を続けるように」と継続の重要生を訴え、高1の春から大学受験のための学習を早速始めなければならないと説くのである。
 この種の講演会での今井君の第一声は「水戸市とか、茨城県とか、そういう小さなコップの中での争いは、今日を最後にしてほしい」である。あくまで冗談として、「目の前のクマどんがどれほど全国規模で有名か」「どれほど全国どこに行っても声をかけられるか」をツカミとして話すのだが、「大学受験というハナシになれば、都道府県内で何番目とか、市町村内でトップとか、そんなことがどれほどバカバカしいか」をまだ意識していない中3生たちは、みんな最初のうちはあっけにとられることになる。今井どんの第一声に、いかにも不満そうに顔を伏せてムクれてしまう子さえ存在する。
 たとえば、「クラスで何番目なら水戸一高に合格できる」「土浦一高に合格するには、市内の模試で何番目じゃなきゃダメだ」のような、むしろこっちが呆気にとられるほど小さな世界でのデータに夢中になって毎日を過ごしているわけだ。そこに、いきなり東京から変なヒゲのクマがやってきて「そんなのは今日で終わりにしなさい」などと変なことを言い出すわけだ。最初ムクれるのは、何故か男子が多い。
水戸
(11月6日、水戸講演会)

 もともと彼らは「大学受験の予備校講師の話なんか、聞いたって何にもならなくね?」と考えて、講演会に出席すること自体が不満でならなかったのだ。せっかくの休日なんだから、「寝て過ごしたい」または「自分の勉強をしたい」と思うのも当然である。それなのに、塾の先生が「すごく役に立つ話だから、絶対出席してね」としつこく出席を促す。あんまり言われるから、仕方なく「出席」に丸をつけて出席票を提出しただけなのである。
 ママもパパも「高校受験も終わっていないのに、何で大学受験の講師なんだ?」とやっぱり納得がいかない。1970年代80年代の予備校講師の怪しいパフォーマンスを記憶しているパパなんかは、「そんなもの、出なくたっていいんじゃないか?」と予備校講師を否定したりもするだろう。
「パパが高校生の頃はな、予備校なんか行かなかったもんだ」
「高校生になったら、自分でやるもんだ。1冊の参考書をボロボロになるまでやってみろ」
「文化放送の『ラジオ講座』でいいじゃないか。旺文社の『百万人の英語』もいいぞ。大学受験は『Z会』がいいんじゃないか?」
その他、完全に時代錯誤のアドバイスに励むパパも少なくない。「ラジオ講座」も「百万人の英語」も、今や遠い昔の話。たった百万人しか英語人口がいなかった時代の番組であって、今の高校生に「お父さんたちはラジオで数学をやったもんだ」という話をして、信じる高校生はいない。「赤ペンで答案を添削してもらって、郵便で答案のやり取りをする」、おお、余りに古くさい。
熱血
(熱血講師は何故ダメかの話は、もちろん水戸でも欠かせない。写真は「ダメな熱血講師」を演ずるサトイモどん)

 こうして、たくさんの中3生が膨れっ面で会場を埋め尽くす。「何があっても、笑ってなんかやるもんか」「どんなに面白くても、オレは絶対笑わない」「たとえ面白くても、気のせいに過ぎない」「パパが言ってた通り、もし面白かったらそれは講師の怪しいパフォーマンスだ。ダマされてはいけない」。そういう頑な決意の表情で、会場は重く固く頑固に固まっている。
 そこに現れた半クマ半人間が(正確には1/3クマ+1/3サトイモ+1/3ウワバミが)、狭い地域的価値観をいきなり激しく否定してみせる。「水戸市内で何番とか、茨城県内での偏差値とか、その手の価値観に夢中になっていることの、何とバカバカしい、何と狭苦しいことよ」と訴えることから始まるのだから、中学生たちは完全に不満顔。「こいつはアホだ」と決めて、もう絶対に聞く耳を持たないという顔をする子も1人か2人は存在する。
 しかし、付き添ってきたパパやママはこのあたりで思いっきり盛り上がり始める。狭苦しい地域的価値観や「市内で何番目」の枠に、子供たちが嵌め込まれて身動きが取れないこと、小さく小さく凝り固まってしまいつつあることに、親として寂しさと不安を感じていた矢先だったのである。父母は思わず拍手し、学生時代を思い出して爆笑し、さっきまで「予備校講師の話は怪しいぞ」と忠告していたパパほど、顔を真っ赤にして笑い転げる。
花束"
(大成功だった水戸講演会、時間通りに終了。卒業生から花束をもらうジャガイモどん)

 こうして、開始3分も経過しないうちに、会場はもうみんな今井君の味方である。中学生たちだって、パパやママが大きくうなずきながらクマさんの話を聞き、大いに納得している様子を見ながら、「どうもこの楽しさは本物らしい」「この今井とか言うヤツの言っていることはホントらしい」「市内で何番という価値観は、つまらないものだったらしい」と気づいていく。
 聴衆がみんな笑顔になったところで、次に今井君のヤリダマに上がるのが、「いいか、高校入試まであと4ヶ月、死に物狂いで勉強してみろ。合格したら、いくらでも遊べるんだ」というアリガチなアドバイス。「近未来に遊び呆けるために、今は我慢してろ」と言った途端、いま目の前にある勉強の全ては「無意味なもの、下らないもの、『将来遊び呆ける』ただそれだけのために自分を拘束する下らない邪魔者」と化してしまうのである。
 むしろ大切なのは、合格した後の学習の継続である。合格から入学式までの1ヶ月をどう過ごしたかで、その後の人生が決してしまうほどである。高校入試でも、大学入試でも、シューカツでも、その事情は全く同じことである。おお、このあたりから、パパとママのうなずき方、拍手の仕方、笑い方、すべて「これ以上は考えられない」という激しさになって、講演している自分で言うのもおかしいが、まるでアイドルのライブのような盛り上がりになる。
 しかも目の前にいる講演者のルックスは、揚げジャガイモさん/茹でサトイモさん/クマどん&ウワバミどんなのだから、恐れ入る。よほど話が上手でなければこんなことには決してならない。
 今日の水戸では、近くの中学校で特別授業があったとかで出席者の比率はご父母の方が高かった。会場のドアが開いたとたん(盛大な拍手とともに入場という演出になっているのだ)、まるで女子校の同窓会に招かれた来賓のような気分になったが、それほどママ比率が高かった。150人中70人はお母様だったのではなかろうか。同窓会のような会場を見回したとたん、「おお、今日も最高の講演会になるな」と確信。そして開始3分後、確信は既に現実に変わっていた。