Mon 101011 奈良での講演会 関西の国立大の英語入試 もし伊藤和夫が生きていたら | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 101011 奈良での講演会 関西の国立大の英語入試 もし伊藤和夫が生きていたら

 10月31日日曜日、朝8時に代々木上原を出て、奈良には13時前に到着。奈良といっても正確には大和西大寺。近鉄奈良駅よりも2駅ぶん京都大阪よりである。講演会開始15時、終了17時、出席者80名強。普通なら「台風一過」で澄みわたる秋晴れを期待するところであるが、曇りがちだった東京よりも一歩先に、昼過ぎの大阪も奈良も小雨が降り出していた。
 今日も昨日の新松戸と同じ「父母向け」講演会であり、しかも対象は高1と高2のご父母である。地元奈良の高校の先生がたの出席もあったが、まだ受験にそれほど関心の高くない高1高2の父母のみで、よく80名以上の出席を確保したと思う。校舎スタッフの努力に感謝する。
奈良1
(奈良・大和西大寺講演会 1)

 関西は国公立天国である。首都圏だと、東大があって、東工大と一橋大があって、あとは早稲田と慶応ということになるが、関西はその辺の事情が全く違う。東大も選択肢で、しかし京都大と大阪大と神戸大があって、大阪府立大と大阪市立大もあって、私立大学というのはなかなか選択肢に入ってこない。
 だから、昨日の新松戸と同じ父母対象講演会であっても、話す内容には大きな違いがある。特に京都大学と大阪大学は、全国の国公立大学の中でも目立って頑固に、昔ながらの入試英語を出題し続けている横綱クラスである。読解問題はどこまでも頑固に和訳&和訳&和訳、ひたすら和訳のみ。英作文もどこまでも頑固にひたすら「和文英訳」。大阪大学なんか、2008年だったか2009年だったか、夏目漱石の「こころ」の一節を英訳させたりしている。
 21世紀になって、明治の文豪の小説を英訳させることにどんな意味があるのか、今井君には全く理解できない。夏目漱石本人だって、天国で目を白黒させているに違いない。何故「こころ」の英訳なんだ。何故その一節なんだ。「こころ」の英訳が上手にできたら、大阪大学はどうして合格させてくれるんだ。理学部や工学部や医学部で勉強しようとする青年たちが、どうして「こころ」の一節を6行も7行も英訳しなきゃいけないんだ。理学工学医学を選考する学生たちに、どうしてその特殊能力を要求したんだ。
 徳川家康の言葉を英訳させたこともある。「人生は重き荷を負いて遠き道をゆくが如し」で始まる6~7行である。正直申し上げて、「何やってんだ、このヒトたちは?」としか言いようがない。今井どんは、受験生がどれほど真剣に日々勉強しているかを常に目の当たりにしている。単なる思いつきとか、「お、それ、面白いね」とか、その程度の軽佻浮薄な態度で入試の問題を作成してほしくないのだ。温厚おじさまをもう1ヶ月近く継続できているクマどんでも、こういう入試問題には久しぶりにキレキレぶりを発揮したくなるのである。
奈良2
(奈良・大和西大寺講演会 2)

 こういうわけで、関西の受験生が可哀想でならない。大学側が学生の選択にマジメに取り組んでいないのである。夏目漱石や徳川家康を訳させるような発想の大学が、答案の採点をマジメにやっているとは思えないのだ。問題作成を思いつきでやっている大学が、「採点のほうはマジメにやってます」ということはないだろう。真剣に受験し、人生をかけて真剣に書いた答案が、そういう態度で採点されるとすれば、クマどんが腹を立てるだけの理由はあると思う。
 この際、関西の受験生たちが思い切って京都大学や大阪大学をボイコットできるぐらいでないと状況は変わらないのではないか。自分たちの真剣な取り組みを夏目漱石と徳川家康で茶化すような大学入試を、本来なら許すべきではないのだ。「そんなことなら誰も受験しません。チャンとした入試を作成してください」という敢然とした態度が必要なのかもしれない。
 しかし、現状はそういうわけにもいかないのである。どうしても京都大学様、大阪大学様、神戸大学様であって、お殿さまに楯突くことは、関西では完璧に御法度。一部の受験生が楯突けば、そのスキをついて他の受験生たちが京大阪大神戸大に合格してしまう。関西ではこの3大学に合格すれば、合格したモン勝ちであって、合格もできないでゴネているヤツは「犬の遠吠え」と言われて終わりである。
 そういう状況だから、たとえ夏目漱石と徳川家康でも、文句を言わずに、民主党政権の「シュクシュク、シュクシュク、粛々と」「何でもかんでも縮減/削減/廃止/見直し」みたいに、権力ある者に無言で従うヒトたちが主流になる。「京大は和訳しか出さない。だからこなれた日本語を書く練習が必要」「阪大は古い日本文学の英訳が出る。リスニングなんか無意味、発音なんかどうでもいい」、そういう英語教育が関西だけでまかり通る。それがそのまま地域の地盤沈下に直結するとしても、京大様阪大様に歯向かうより、時代遅れな入試問題を「知の頂点」と持ち上げる。そういう茶坊主みたいな予備校に、生徒はみんな足を運ばざるを得ない。
瓢箪山2
(再び瓢箪山。ひょっこりひょうたん山。おそらく前方後円墳である、さすが、関西の歴史は深い)

 今井君の奈良講演会(Macちゃんは「奈良講演会」を「奈良公園かい?」と尋ねてきたが)では、そういう今井君の基本認識にご父母は、まず微笑し、次に苦笑し、やがて爆笑し、最終的には深く深くうなずいておられた。実は、受験生もそのご父母も、関西の国立大学の現状(特に入試英語の現状)に大きな疑問と危機感をいだいていらっしゃるのが如実に感じられた。
 「このままでは関西だけが置いていかれる。確かに息子や娘は京大や阪大に入学してほしいけれども、とにかく今の京大阪大入試は関西の恥さらしだ。」ご父母まで既にチャンとそういう感じ方なのである。なのに、なぜ関西の各予備校は何も発言しようとしないのだろう。今ある入試のありかたを無条件で肯定し、前世紀の遺物のような問題の解き方や、「和文和訳」「こなれた日本語」みたいな、実は英語とは何の関係もない無意味な勉強を生徒たちに強いて、それでご満悦の態なのは何故なのだろう。生徒や高校の先生方はどうして抗議の声を上げないのだろう。
 せっかく青本「京都大学」を出版しているのに、駿台はどうして京大阪大の英語入試に敢然と抗議しないのだろう。「今、もしも伊藤和夫が生きていたら」、今井君はそう思うのだ。伊藤和夫なら、21世紀も中盤を見据える時期に入っているのに夏目漱石と徳川家康を英訳させる入試について、昂然と怒りを述べ、敢然と改善を求めただろう。
 おやおや。どうも、その役目は今井どんに回ってきたのかね。そんな年齢になったかねえ。マコトに残念だが、今井君にはまだそんな権威も能力もないし、権威のない者には機会も回ってこない。今のところ、何だか空しいけれども、とりあえずこのブログで細々を抗議の声を上げておくことにする。