Thu 101007 大物台風が、衰えながら接近するらしい プラハはいよいよ最終日になる | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 101007 大物台風が、衰えながら接近するらしい プラハはいよいよ最終日になる

 10月29日金曜日、これから松戸校での講演会に向かう。普段の首都圏各校舎での公開授業は、校舎内で一番大きな教室の机を取り払い、イスだけをありったけ並べて100名ぐらいで実施する。しかし松戸校にはそういう教室がないので、大きな会場を特別に借りての実施になる。昨年もこの時期に松戸校に呼んでいただいたが、今日の会場も昨年と同じ松戸商工会館の大会議室である。あと1時間ほどしたら代々木上原を出て、千代田線の電車1本で松戸に向かう。
 問題は、雨と台風である。昨日の天気予報では「明日は晴れ間が広がって暖かくなるでしょう」とのことだったが、1階の部屋にいて読書しているかぎりでは、昨日の異常な寒さが相変わらず続いている。しかし、もし冬用のコートを着て出かければ、さすがに大袈裟すぎるだろう。鞄に傘にコートに、全部揃えて重装備で出かけるのは何だか気が重い。
ボヘミアンガラス
(ボヘミアングラスの店)

 そこに、「非常に強い台風」が迫ってくる。「勢力を弱めながら北上」とは言っても、新聞で見れば935ヘクトパスカルである。今井君なんかの子供の頃は、ヘクトパスカルなどという新参者の単位ではなく、由緒正しく「ミリバール」で通したものだった。935ミリバールと言えば、秋田みたいな北のはずれでは滅多にお目にかかれない大物である。
 その大物がやってくる。美空ひばりか、アリスか、QUEENか、おっと、ベイ・シティ・ローラーズか、ずうとるびか、フォーリーブスか、何だか知らんがそういうたいへんな大物である。その大物が、冷たい冬の空気の中を、可哀想なことに「勢力を弱めつつ」やってくる。
 こちらとしても大歓迎してお迎えしなければならない。ティッシュで薔薇の花をたくさん作って壁を飾ろう。色紙のワッカをつないで、教室の天井を斜めに結ぶチェーンを作ろう。万国旗も飾ろう。黒板には、チョークを横にして「大物台風さん、秋の日本へようこそ」とカラフルに書いて大物を迎えよう。大物なのに、勢力を弱めつつ、きっとヨレヨレになってたどり着くのだ。暖かく、彼の権威やプライドを傷つけないように迎えよう。
 ちょうど上陸が予想される明日の午後は、今井君は新松戸で父母対象の講演会が予定されている。台風の接近に怯える日本で、今井君ごときの講演会にいったいどのぐらいの皆さんが集まっていただけるか、今からたいへん不安である。
 しかしもっともっと不安なのは、31日午前の奈良への移動である。「勢力を弱めつつ」と言っても、何せまだ935ミリバールの大物。この台風が意地になって大雨でも降らせたら、31日午前中の関西への移動にいろいろ支障が生じないとも限らない。奈良での講演開始は15時。14時には奈良に到着していたいから、代々木上原を出るのは午前9時ごろである。天気図をニラメッコしながら、ちょうどその時刻に大物ヨレヨレ台風が東京を直撃しているだろうと判断した。
 そこで早速、クマどんは旅行通ぶりを発揮。これは前日のうちに関西に移動しておくに限る。30日に新松戸での講演会が終了するのは17時。その後すぐに移動すれば、大阪に21時過ぎには到着できる。宿泊代はゲバラ、おっと、ジバラ(一昨日の記事参照)。そんなことは全然かまわないので、いつでも安心して講演に臨みたいのだ。「やっとのことで間に合った」とか、会場に駆けつけた直後、ふうふう汗をかきながらの授業とか、そういうのはどうしても避けたい。さすが、予備校講師になって以来一度も遅刻したことのないクマどんは、日頃の心がけが違うのである♨
トラム
(トラムでプラハ城に向かう)

 さて、プラハ滞在記もとうとう最終日になった。12月27日が滞在最終日で、28日にはプラハの空港からパリ経由で帰国するだけである。やっぱりたった5日では短すぎたので、プラハの主な観光地の表面をサラッとなでて見たに過ぎない。ぜひ近いうちにもう1度プラハを訪れて、近郊の街もいろいろ訪ねてみたい。2010年12月にはお隣のポーランドに行くが、それと絡めることはしないで、どうしてもチェコだけで2週間滞在してみたいのだ。
 滞在最終日だから、おなじみ「見残し」をやる。見残しておいた場所を丹念に1つずつツブしていくのと、もし時間があればもう1度訪ねてみたい場所を訪問しなおすのである。「見残し」はユダヤ人街とモルダウ河のお船。「もう1度」は聖ヴィート教会とドゥヴ・コチェック。ドゥヴ・コチェックはプラハ滞在中4回目である。店のヒトにさえ「あなたも好きですね」と呆れられそうであるが、だってネコが好きなのだし、「2匹のネコ」がニャゴロワとナデシコにそっくりなのだ。プラハとはしばらくのお別れになる以上、挨拶ぐらいしていくのが筋というものである。
旧新シナゴーグ
(プラハ・ユダヤ人街、旧新シナゴーグ)

 ユダヤ人街は、旧市街広場の北側、カフカの生家の裏側に広がる地域。たくさんのシナゴーグが立ち並び、迫害されたユダヤの人々が隔離されていた元のゲットーであって、カフカの書いたものを少しでも読んだことがあれば、観光客としてブラブラ歩きながらでも、カフカの世界が間違いなくここであることが皮膚で感じられる。
儀式の家
(プラハ・ユダヤ人街、儀式の家)

 ただし、観光客が多すぎる。そして彼ら彼女の顔がことごとく明るい笑顔である。自分だって同じ立場だから偉そうなことは言えないが、どのシナゴーグも大型バスから降りてきた大集団で占領され、とても中に入れないどころか、シナゴーグの周囲も2重3重の列に取り巻かれていて、思わず観光ということの空しさがこみ上げてくるほどである。
 笑顔でVサインを作り喚声をあげながら写真の撮りっこをする場所でないことは、何となくでも理解して観光すべきなんじゃないか。そう考えて、サッサとその場を去った。モルダウ河のお船乗り場はすぐ近くだったが、「お船は夕方がいいかな」「晴れているし、夕陽が川面に映る時刻のほうが、お船はより楽しいかな」と考え、トラムに乗ってプラハ城を目指した。3日前に訪れたプラハ城では、「長髪のイタリアンオヤジ」の写真を撮るのに夢中で、聖ヴィート教会をチャンと見ていなかった気がしたからである。