Wed 101006 呼び起こされる記憶 今泉清と「いーち、にー、さーん、しー、ごー!!!」 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 101006 呼び起こされる記憶 今泉清と「いーち、にー、さーん、しー、ごー!!!」

 遥か昔から記憶の中に突然呼び起こされる名前があって、先月から池辺良・谷啓・池内淳子が次々に亡くなり、「そういえばしばらくお目にかかっていなかったな」と溜め息をつくことになる。

 池辺良については、我々よりずっと上の世代、ちょうど親の世代に属する俳優であって、石坂洋次郎とか、「青い山脈」とか、「父も夢みた、母も見た」「旅路の果てのその果ての」とか、そういう話だから、戦後というより戦中世代の思い出の中の人物である。

 いまもカラオケで歌えと言われれば歌えないことはないが、少年時代の今井君から見れば、親の思い出話の中でしか活躍しない、要するに昔のヒトなのであった。

 しかし池内淳子となると、NHK大河ドラマの代表作「国盗り物語」の中で若き日の斎藤道三(平幹二朗)を支える有馬の女狐・お万阿であって、「セカンドバージン」より35年も前のNHKとしては、限界まで艶めいた場面もたくさん登場した。

 今井君としても思い出深い大人の女優さんである。谷啓も同じ「国盗り物語」に脇役として登場。役名「耳次」は、司馬遼太郎の原作を読まなければ、どんな人物なのか分からないほどの脇役であった。
思い出にふける1
(思い出に耽る 1)

 昨日のテレビニュースショーを見ていたら、今泉清と中森明菜が記憶に蘇った。今泉清は20年以上前の早稲田大学ラグビーのスター選手である。

 堀越・今泉・藤掛・郷田・吉雄・守屋で支えた早稲田バックスの黄金期であって、早稲田の中に日本代表選手が3人もいた頃である。その後カリスマ監督になる清宮克幸もN0.8で活躍していた。

 今泉は大分舞鶴高校から早稲田に入学し、すぐに「スーパー1年生」として活躍。ゴールキッカーとして、どんな難しい角度からのキックもことごとく決まる。

 1年生の頃の決定率は、最近の早稲田の五郎丸に匹敵するほどだったし、蹴る前にボールを前において5歩後ろに下がる独特のリズムは、秩父宮でも国立競技場でも大人気だった。

 スタジアム全体が彼のリズムに合わせて「いーち、にー、さーん、しー、ごー!!!」と絶叫したものである。彼らの時代には、社会人ラグビー優勝の東芝府中を日本選手権決勝で破って、大学生チームとして最後の日本チャンピオンになった。
思い出にふける2
(思い出に耽る 2)

 12月の早稲田vs明治戦は伝説中の伝説。24-12のダブルスコアで負けていた試合を、残り2分から一気に同点に持ち込んだ「早稲田奇跡の同点劇」については、このブログで触れたこともあるはずだ。YouTubeでももちろん見ることができる。

 インジュリータイムから、今泉がライン際を一気に駆け抜けてトライするシーンは、余りにも劇的。その直後、守屋が「夕日に向かって蹴った」奇跡の同点ゴールとともに、松任谷由実の「No Side」に象徴されるラグビーブームを象徴するものであった。このときの明治のキャプテンが現監督の吉田である。

 この時、今泉はゴールポスト下にトライできたのに、あえて左端にトライ。トライで24-22の2点差に追いつき、その後のゴールキックが決まらないと同点にならない状況だったから、どうしても真ん中にトライすべきだったのだ。

 実況していたNHKの斉藤アナウンサーも「真ん中に行かないとダメ。ここではどうだ?」と疑問の言葉をまず口にし、ひと呼吸置いてから「トライ! トライ!! 最後に早稲田の素晴らしい粘りです」と叫んだものである。

 それほどに「なんで、そこなの?」「なんで、真ん中に行かないの?」という不思議なトライだった。自陣深くからの独走が余りにも印象的だったぶん、感動と不思議が奇妙な具合に入り混じった。

 運命のゴールキックを蹴る守屋は、今泉からボールを受け取りながら何か今泉に囁いたようである。おそらく「何で真ん中に行ってくれなかったんだ?」と言ったに違いない。

 キャプテンの堀越は、喜びの中にも厳しい表情で「何でアイツは、真ん中に行けるのに端っこにトライしたんだ?」と、思わず宙を睨んでいた。
思い出にふける3
(思い出に耽る 3)

 「早稲田!! 早稲田!!」の大歓声の中、ゴールを狙うのは守屋。1年生のころ「いーち、にー、さーん、しー、ごー!!!」で大人気だった今泉は、上級生になってキックが不調。狙うのは、SO守屋であった。

 12月初旬、午後3時半の国立競技場、ゴールポストの向こうからは夕日がマトモに守屋の顔を照らす。夕日はちょうどゴールポストの真ん中から守屋の正面にあったのだ。彼が「夕日に向かって蹴った」のは、別にカッコつけたのではなくて、そうするしかなかったのである。

 斉藤アナの「どーかあ!?」という絶叫とともに、ボールは低い軌道でゴールポストの真ん中を通過。歴史に残る「早稲田、奇跡の同点!!」の瞬間である。「残り2分で12点負けていたんですからねえ」と解説者までうならせたのであるが、その立役者が今泉である。

「目の前にポッカリ道が開けて、自分を導いてくれるものがあった」「真ん中に行くより、左端のほうがいいと感じた」など、この時のトライを巡っても不思議な発言が多かった。

 守屋に花を持たせたかったのかもしれない。ま、大学生版&ラグビー選手版の「不思議ちゃん」である。その後の今泉については、ニュージーランドに留学したり、早稲田のコーチになったりヤメたり、クラブチームの名門タマリバクラブの中心選手として活躍したり、そういうニュースの切れ端だけが聞こえてきたものであった。
思い出にふける4
(思い出に耽る 4)

 その今泉の名前が、突如としてワイドショーやらニュースショーやらに登場した。「涼風真世と離婚成立」というのである。は? 涼風真世? その名前から言っても、明らかに元宝塚女優である。

 結婚したのも知らなかったし、ゴタゴタしていたのも知らなかったし、何よりも我々の時代のヒーローが、いくら不思議ちゃんだったといっても、20年も25年も経過してこういう形でニュースショーに登場するのは残念無念なことである。

 中森明菜も、やっぱり残念無念。別に彼女のファンだった訳でもなんでもないが、ちょうど今井君が電通に短く籍を置いたころの大スターである。

「赤坂プリンスホテルから生中継」「総合司会はタモリと小林克也」がウリの歌謡曲番組の舞台の袖から、まだ新人だった彼女を眺めて、嬉しかったものである。おお、余りにもなつかしい。「復帰を祈る」という気持ちはないが、もし重病なら、その病気からの回復だけはもちろん祈らないではいられない。