Tue 101005 10月の総括 型破り教師はもう古い 描いてほしい型通り教師&突抜け教師 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 101005 10月の総括 型破り教師はもう古い 描いてほしい型通り教師&突抜け教師

 10月の講演会/公開授業はほぼ終わって、残りは29日の松戸、30日の新松戸、31日の奈良の3校舎だけになった。ほぼ例外なく絶好調であって、たいへん御目出度い。
 しかし、昨日もちょっと反省した「延長の常態化」だけは絶対に避けなければならない。大爆笑の連続に酔って、「あれも言いたい」「これも言いたい」の欲望に負け、何でもかんでも喋りまくるうちに、ついつい延長してしまう。そういうのは、講師が一番避けなければならないダラしなさである。そういうダラしなさが授業に及べば、「思いついたことを全部説明していたら、テキストを7割しか消化できなかった」「半分しか終われなかった」というテイタラクになる。
広島1
(楽しかった10月 広島)

 そのとき、テイタラク講師は「量より質だ」などと言って自己を正当化したりする。「テキスト『を』教えるのではなく、テキスト『で』教えるのだ」という言い訳も、ダラしなさの正当化の一例。「テキストはあくまで道具に過ぎないので、その一部分だけを使用し、ムダな部分は捨ててしまっても構わない」と彼らは言う。学期や講習会の終講日に「やらなかったページは破って捨ててしまえ」と激烈な発言をして、実際に自分で率先してテキストを破ってみせるたりする、何ともカッコいい先生だって存在する。
金沢
(楽しかった10月 金沢)

 映画「DEAD POETS SOCIETY」で描かれたのも、そういう型破りな新任教師。だいたいドラマや映画の新任教師は型破りなものだが、テキストを半分ちょっとしか終われない教師のせいで迷惑するのは生徒たちである。日本史が江戸時代までしか終われなかったり、世界史がナポレオンで終わってしまったり、英文法が5文型のSVOCばっかりやっていて前置詞や関係詞が駆け足になってしまったり、そういうのは困るのだ。
 型破り教師がいくら喝采を浴び、「花まる先生の白熱教室」が「生きた教材で知的好奇心を刺激」してマスコミに絶賛されたりしても、それは教師のエゴイズムでしかない。うんにゃ、ただのスタンドプレーである。エゴイズムとスタンドプレーに生徒たちが引きずり込まれて、大切な時間をムダにするようではダメなのだ。
渋谷
(楽しかった10月 渋谷)

 話がそれるようだが、DEAD POETS SOCIETYの邦題は「いまを生きる」である。何なんだ、この邦題は? 漢字の「今」ではなく、「いま」と平仮名をつかったのも、クマどんは何だかムカつくのである。主人公・型破り先生の「Seize the day」という発言を日本語に訳したのが、これ。ま、TSUTAYAで借りて見てたもれ。
 型破り先生がクビになって教室を去る時、彼のファンだった生徒たちが一斉に机の上に立ち上がって吠える。その程度のことで「いまを生き」た気分になるのだが、ホントに今を生きるなら、そんなことで感動していていいのか。ホントに今を生きるなら、先生について敢然と学校を去るぐらいの勇気がなくてどうする? 
高田
(楽しかった10月 高田)

 先生。あなたも、「いまを生きる」ことの素晴らしさをあんなにカッコよく訴え続けたクセに、「私について学校を去れ」ぐらい最後に言えなくて、どうするんですか? その寂しそうな敗者の微笑は何なんですか? そんな寂しそうなあなたの背中を生徒たちに見せて、生徒たちが「いまを生きる」のが怖くなっちゃったら、水の泡じゃないですか。
 映画やドラマの最後に型破り先生が世間に負けて寂しそうに去っていく姿が、今井君はキライである。夏目漱石の坊ちゃんも、「いまを生きる」も、綾瀬はるか主演の「おっぱいバレー(ロンドン行きの飛行機の中で見てしまいました)」も、みんなおんなじだ。泣きそうな顔や寂しい背中を生徒たちに見せつけて、「誰か追いかけてこないかな」「何か奇跡は起こらないかな」と無言で訴えかけるのだが、せっかくカッコつけたなら、去り際まで全部カッコよく型破りでキメないと、先生のメッセージ自体が自己崩壊してしまうと思うのだ。
前橋
(楽しかった10月 前橋)

 というわけで、今井君の授業も講演会も、すべて「まさに型通り」。絶対に型なんか破らない。授業は文法を中心。基礎充実と徹底トレーニングを繰り返す。講演会ではそういう努力の重要性をひたすら訴える。完全にKUSO-MAJIMEなメッセージを90分おくり続けて、それでも生徒も父母も大爆笑を繰り返すのだ。
 おお、変なヤツじゃ。ドラマや映画なら嫌われ者の頑固な中年教師の役どころ。平泉成あたりに割り当てられそうな型通り教師。それなのにこんなに楽しくて面白くて、笑いをこらえることなんか不可能なのだ。たいへん不思議な現象であるが、本質は全くカンタンなことで、要するに「坊ちゃん好き」という映画やドラマ制作者のほうが、ずっと時代遅れなのだ。花まる先生の白熱教室をもてはやすメディアの皆さんの頭の中が、20世紀中頃の発想で止まってしまっているだけのことなのである。
稲毛海岸
(楽しかった10月 稲毛海岸)

 教育でも何でも、「型」は「破る」のではなくて「極める」ものである。型を破ってしまえば、中身が決壊するか崩壊するかして終わりである。極めれば、向こう側に突き抜けて、その向こうに次の時代の理想が見える。極めるのには時間がかかるから、徒弟制度の中でマスターと呼ばれるまでひたすら忍耐が必要。堅忍不抜が重要なのだ。
 もちろんそれでは映画にならないし、ドラマにしても視聴率はとれないから、映画とドラマの世界ではこれからも型破り教師ばかりが活躍するのだろう。しかし、せめてマンガでいい。小説でもいい。60歳の型極め教師、70歳の型突抜け教師、そういうものを描いてくれるヒトはいないだろうか。

1E(Cd) Solti & Wien:WAGNER/DIE WALKÜRE 3/4
2E(Cd) Solti & Wien:WAGNER/DIE WALKÜRE 4/4
3E(Cd) Barbirolli:ELGAR/THE DREAM OF GERONTIUS 2/2
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