Fri 101001 雨が降ります&雨が降る 読書8時間 周遊型は忙しい プラハも残り2日 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 101001 雨が降ります&雨が降る 読書8時間 周遊型は忙しい プラハも残り2日

 金沢、前橋、2つの講演会が大成功の楽しい週末が開けて、再び日常が戻って来た。金沢では東茶屋街「蛍屋」の昼食もよかったし、金沢でも前橋でも、講演会後の懇親会がずっと思い出に残りそうな盛り上がりになった。こういう毎日を過ごせていたら、15年前に駿台の奥井潔師に心配していただいた「きみ、仕事ばかりしていたら痩せてしまうよ」の危険性はなさそうである。
 日常が戻ると、雨が寂しい。冷たい秋の雨が降り続いて、「雨が降ります、雨が降る。遊びにいきたし、傘はなし」、思わず歌いたくなる寂しさである。「紅緒(べにお)の木履(かっこ)も 緒が切れた」というほどではないが、笹塚で2年前に購入した普段用の靴のカカトはすっかり擦り減ってしまった(Mon 100927参照)。
 「紅尾のカッコーも尾が切れた」んだと勘違いして、「カッコーの赤いシッポが切れちゃったんだ。可哀想だなあ」と思っていたヒトもいるんだそうだが、とにかく雨が降って、靴のカカトが擦り減って、浮かんでくる歌も何だか薄暗い気分で、秋は寂しいものである。
 総入れ歯♨、おっと間違った、そういえば♨、「何とかの声聞く時ぞ秋は悲しき」というのがあった。何の声だったか、シカだったか。「総入れ歯」とか、バカなことを書いたせいで、Macちゃんは勘違いしてシカを歯科と変換したが、もちろん
「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき」
猿丸大夫である。古今集である。小倉百人一首である。「鳴く歯科の声」なんか聞いても秋はちっとも悲しくない。泣くのは歯科の患者の方である。
夕暮れのティーン教会
(12月26日、夕暮れのティーン教会)

 そういう寂しい気分でいたせいで、読書が驚くほど進んでしまった。紅緒の木履ではないにしても、靴のカカトが擦り減ったのが幸いすることもあるのである。朝8時過ぎまでゆっくり寝て、あとはほぼ連続8時間読書を楽しんだ。おお、こういう生活がもし20歳代前半からずっと続いていたら、今井君も相当な学者先生に成長していたに違いない。
 「毎日8時間の読書」などということは、高校生か大学生のころには憧れていても、普通の人間が食べていくために就職をすれば、その段階で「老後の楽しみ」として40年後か50年後にリザーブされるしかない。ところが実際に40年後や50年後になれば、とてもその気力は残っていないのである。
 そういう絶望をゴマかすための絶好の言葉が「晴耕雨読」である。実際より雨の日がはるかに多いことを想定したこの言葉に、上手にダマされて粛々と生きていけば、あんまり不満を持たずにいられるかもしれない。「日曜読書家」とか、「空き時間の知的活用法」とか、ビジネス書やビジネス雑誌に飽きるほど書かれているのがそういう方法である。
国民劇場とトラム
(夕暮れのプラハ国民劇場とトラム)

 まあ、悪いとかダメだとは言わないが、そのたぐいの読書家が日曜や雨の日に懸命に読んでいるのが結局またビジネス書で、せっかく「空き時間を活用」して読んでいるビジネス書のタイトルが「上手な空き時間の活用法」「スキマ時間活用の勉強法」だったりするところは、ほとんど不思議な煉獄的風景である。日本というのは、プラハの「飢えの壁」以上の不思議な煉獄なのかもしれない。というわけで、実に上手に話題を旅行記にもってきた。さすがカリスマ講師♡である。
国民劇場
(夕暮れのプラハ国民劇場。屋根で走り続けるおウマたち)

 しかし2009年の中欧東欧旅行は、やはり何だか中途半端に終わった感が拭えない。クマどんの旅行はいつも一都市滞在型であって、フランクフルトでも15日、リスボンでも15日、バルセロナでも15日、同じ都市の同じホテルに滞在して、そこから周辺都市に小旅行を繰り返す。周遊型旅行にすると、毎日のように荷物をほどいたりパックしたりに時間がとられて、落ち着いて一つ一つの都市を楽しむことができないからである。
チェコ軍団橋
(南側のチェコ軍団橋の東詰から見たカレル橋)

 ところが2009年の秋と冬は、どういうわけか周遊タイプの旅行が連続した。中欧東欧旅行の3ヶ月前のイギリスで、ダブリン3日→リバプール2日→ウィンダミア3日→エジンバラ4日→ロンドン3日という「周遊旅行ここにきわまれり」の忙しい旅をしたばかりである。その慌ただしさに十分懲りていたにもかかわらず、またまた慌ただしい旅の計画を立ててしまった。どうも、何か焦りがあったらしい。
芸術家の家
(プラハ、ルドルフィヌム)

 こうしてブダペストとプラハを旅してみると、「5日ずつ」などというのはいくら何でも中途半端すぎたことに気づくのである。近いうちに、プラハ15日、ブダペスト15日、そのぐらいのことをしないと、プラハとブダペストに申し訳ない。たった5日ずつだけでは、「無料招待講習」みたいなサンプル授業を5コマ受講して、それでその講師のことを全部理解したつもりになっているダメな受験生みたいなものである。
ストラホフ修道院
(プラハ、ストラホフ修道院「神学の間」。図書館である)

 26日のボクシング・デイも、「飢えの壁」に沿って丘を下っただけで午後になった。午後1時、早くもプラハの太陽は傾いて、街は夕方の雰囲気に包まれる。プラハにいられるのが残り2日だということに気づいて、今井君はもう大慌てである。まだ行っていないところがいくらでも残っている。次のプラハ訪問に備えて、駆け足でいいから出来るだけ多く回っておきたい。
 「日暮れて、道、遠し」である。それは普段の読書も同じ。読むつもりでいて、まだ読んでいない本がいくらでも残っている。「とにかく急がなきゃ」だ。というわけで、ここからひたすらトラムを乗り継ぎ、広いプラハ市内を走り回ることになった。
ロレッタ教会
(夕暮れのロレッタ教会。毎正時に鐘楼から綺麗な鐘の音楽が響き渡る。今井どんが聞いたのは午後3時。ガイドブックによれば、鐘楼の27個の鐘は1694年鋳造、曲は「マリアの歌」である)


1E(Cd) George Benson:TWICE THE LOVE
2E(Cd) George Benson:THAT’S RIGHT
5D(DMv) AMADEUS
8G(Rr) Rita Atkinson:INTRODUCTION TO PSYCHOLOGY:Harcourt Brace
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