Wed 100922 広島空港「かなわ」の牡蠣を食べそこなった プラハ、快晴の12月25日 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 100922 広島空港「かなわ」の牡蠣を食べそこなった プラハ、快晴の12月25日

 久しぶりに日常に戻ってみると、いろいろやりかけで放置してあることがあるのに気がつく。「やり残し」で何より悔しかったのが、広島で牡蠣を食べなかったことである。9月25日の広島第1回講演会の帰り、広島空港で偶然入った「かなわ」の牡蠣が意外に旨くて(生牡蠣「かき小町」が特に旨かった)、10月16日の第2回講演会の帰りにも「必ず食べるぞ」と固く決意して広島に来たのである。
 ところが、張り切って広島空港にやってくると、「ただいま満員で、料理をお出しするのに30分以上かかっている状態でございます」ときた。「ええっ、空港の牡蠣屋がそんなに混雑するの?」と呆然とする思いだったが、その日は「広島空港フェスティバル」。新幹線に押されて伸び悩む利用客数を何とかしようと、無数の親子連れを招待してのお祭りの最中だったのだ。
 空港内のどの店もフェスティバルにやってきた親子連れで満員。結局、昼食なしの空きっ腹を抱えて飛行機に乗った。2週間も3週間も楽しみにしていた広島の牡蠣を目前で諦めなければならなかった腹ぺこグマにとって、ANAプレミアムシートで出される軽食なんか、ドングリ1個程度のものである。
 「くそお、銀座店に行って、恨みを晴らしてやる。生牡蠣30個食ってやる」だ。「かなわ」には銀座店もあるのだ。マルセイユで生牡蠣20個/ニースでも生牡蠣20個/パリでも生牡蠣20個、それぞれ平らげて周囲の客の眉毛を上がりっ放しにしたクマさんだ。銀座店の牡蠣なんか、全部平らげてやる。
 ただし、問題は「かなわ銀座店」が銀座8丁目あたりにあるということ。交詢社ビルのすぐ脇だが、そのあたりは毎晩クラブ活動に励むイケナイおじさまたちや、そのクラブ活動を支援するオネエサマ&ママがウヨウヨしているあたりだ。クマさんは、こういう場所は苦手である。町なかを悠然と闊歩して射殺されてしまったヒグマの親子と同じ目に遭いかねない。おそろしや、おそろしや。
 そう思ってブルブル震えながら飛行機の窓から見下ろすと、右に淡路島が見えた。広島空港からの飛行機は、中国山地の上空から、伊勢湾付近で太平洋に出る。九州発の飛行機が四国の上空から太平洋に出るのとルートが違うのである。紀伊半島のお鼻をポキンと折って海に浮かべたような淡路島を、北の空から逆さまにして眺めるのは初めてだ。その姿に少しだけ癒され、今日のところは牡蠣は諦めて、スゴスゴ帰ることにした。
ティン教会
(快晴のプラハ、ティーン教会。12月25日)

 2009年12月25日、プラハ滞在3日目はクリスマスである。快晴。イエスさまが無事お生まれになったことでもあり、街の雰囲気はたいへん御目出度い。日本のお正月と同じ、和やかで、穏やかで、晴れ晴れした雰囲気である。プラハの25日は、ロンドンの25日(2008年に経験)と比較しても、ニューヨークの25日(2007年に経験)と比較しても、和やかさと穏やかさと晴れやかさの点で群を抜いていた。
 ニューヨークだと、「イエスさま」と穏やかに微笑むより、「ジーザス・クライスト/スーパースター」の絶叫するような少し荒っぽい感じなのだ。劇団四季なら「だーれだ、あなたは、だーれだー!?」である。25年前、鹿賀丈史と滝田栄と市村正親がサンシャイン劇場で走り回っていた、ああいう雰囲気になってしまうのだ。
 日本にいれば、25日は「すべて終わった」という荒んだ冷たい風が吹き荒れているのが25日。クライマックスは24日で、彼女にコクって結果を待つのも、雪のちらつく駅のホームで「きっと来ない」彼氏を待つのも、みんな24日で終わっている。25日の象徴は売れ残りのケーキの安売りか、売れ残った彼氏たち&彼女たちのヤケッパチのパーティーぐらいである。
 プラハ旧市街広場に出てみると、「イエスさまがお生まれになった情景」の再現のためなのだろう、ヤン・フスの銅像の足下に柵ができて、中では牛とロバとヤギとヒツジがのんびり草を食べている。家畜小屋の主役たちが例の顔でニヤニヤ笑う情景を、群衆が取り囲んで嬉しそうに眺めながら、チェコの言葉で和やかにニコやかに語り合っている。
家畜小屋
(家畜小屋の主役たち)

ひつじさん
(ヒツジさんとヤギさん)

ロバさん
(ロバさんの微笑)

 日本から来たのは野蛮なクマであるから、優しい家畜小屋には似合わないと判断。早速カレル橋に向かい、モルダウ河をわたって丘の上のプラハ城を目指す。いつからか、この河はヴルダヴァ河と呼ばれるようになって、ガイドブックでもヴルダヴァ、テレビの旅番組でもヴルダヴァである。もうモルダウは死語になったみたいで、モルダウと呼ぶのは今井君だけなのかもしれないが、スミマセン、今井君は頑固にモルダウと呼びたいのであって、スメタナの交響詩「我が祖国」の中でもこの河は意地でもモルダウである。「ぷるぷる、ぺれれ、モルダウよー」である。
橋塔
(旧市街からカレル橋に入る橋塔)

 快晴のクリスマスのカレル橋を渡りながら、どうしても口をついて出てくるのは「ぷるぷるぺれれ、モルダウよー」だが、さすがに声に出して歌うことは我慢。授業中に即興の歌曲を歌う今井君でも、穏やかなプラハの人々の晴れやかな顔を驚きで満たすことは、さすがに躊躇するのであった。
 プラハ城を見上げると、快晴だった空が曇ってきたのに気づく。というより、のんきにロバさんやヒツジさんやヤギさん(パソコンどんは「八木さん」と判断したが)を眺めているうちに、早くも夕暮れが近づいてきたのだ。チェコの12月、日の出は9時ごろ、日の入りは3時半ごろである。早くプラハ城にたどり着かないと、本当に日が暮れてしまいそうだ。
プラハ城
(カレル橋からモルダウ河とプラハ城を望む)


1E(Cd) Incognito:BENEATH THE SURFACE
2E(Cd) Incognito:100°AND RISING
3E(Cd) Incognito:LIFE, STRANGER THAN FICTION
6D(DMv) THE LAST CONCERT
9A(Rr) John David Morley:THE FEAST OF FOOLS:St. Martin’s Press
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