Mon 100830 久米正雄「学生時代」が描く兄弟の確執について 兄弟ゲンカを法で裁けるか | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 100830 久米正雄「学生時代」が描く兄弟の確執について 兄弟ゲンカを法で裁けるか

 で、昨日の久米正雄「学生時代」「受験生の手記」であるが、尖閣諸島問題とこの小説がどういうキッカケで結びついたものか、正直言って自分でも不思議なぐらいである。しかし、9月26日の朝、まだ広島のホテルにいる頃から「ああ、これは久米正雄だ」「久米正雄を読まなきゃダメだ」「若いヒトたちにもぜひ久米正雄を読んでもらいたい」と心で呟きつづけていたのである。

 図書館で借り出さなければ読めないほどのレア物だから、カンタンに中身を紹介してしまえば、東大受験をめぐる兄弟の確執のハナシである。兄は「子供の頃は優秀だったのに」というタイプ。数学があまり得意ではなくて、それが受験が思うようにならない原因だと考えているが、やがて英語その他の科目にも自信が持てなくなっていく。案の定、現役での受験は失敗。浪人の憂き目を見、季節は進んでますます焦りは深まるばかりである。

 この兄に1歳下の弟がいる。優秀で、無表情&冷静沈着。兄が見ても着々と勉強を進めていて、兄の焦りを尻目に、どうも兄を追い抜いてしまったようである。志望は兄と同じ東京大学。数学の参考書も、英語の参考書も、兄より明らかに勉強は先に進んでいる。よくある悪夢であるが、このままだと来春は立場が逆転して、兄は再び不合格、弟は晴れて東大生、そういうことになりそうである。

 兄には熱心に心に思う女性がいるが、彼女の態度も最近何だか冷たく思える。受験がうまくいかない自分に遠慮しているだけなのかもしれないが、そうではないのかもしれない。ある日ふと彼女が弟と親しげに話し合っている姿を垣間みてしまう。受験でジリ貧を続けているうちに、憧れの女性まで弟のほうを向いてしまったらしい。重い苦渋の中、希望のない受験が近づいてくる。
久米
(今日も、久米正雄「学生時代」角川文庫)

 まあ、大昔に読んだ小説だから多少記憶違いがあっても許してくれたまえ。要するにそんなありふれた兄弟の確執のハナシである。あんまりありふれていて、もし久米正雄が大正文学史の真ん中に立っていた作家でなければ、今や誰も見向きもしないストーリー。ケータイ小説だって、いつもいつも「余命わずか」の薄幸の少女ばかりが主人公であることを除けば(パソコン君は「発酵の少女」という許せない変換をしてみせたが)、久米正雄に比較すれば、はるかに血も湧き肉も踊る。

 ではどうして今井君が「いま読むべき本3冊」の中に久米正雄を入れたかと言えば、こういうクラシックな兄弟の確執やクラシックな近親憎悪が、まさに日本と中国の対立とそっくりの構図だからである。かつてあれほど優秀と讃えられたのに、何かのハズミに行き詰まってジリ貧状態の兄=日本。兄の背中を見つめながら成長し、ヒタヒタと兄に追いすがり、無表情にひたすら愚直な努力を継続し、今や兄を追い抜きかけている弟=中国。

 まだ正式に認められたわけではないが、弟はどうやら実力で兄を追い抜いたのであり、自分も兄も家族も彼女も、すでに内心それを認めている。その弟の顔に一瞬浮かぶ勝利の冷たい微笑み。その冷たい笑いを兄は横目で感じ取っていて、「いったん追い抜かれたら、2度と逆転はできない」という閉塞感に、真綿で首を絞められるような日々を過ごす。
茶色い本
(大昔の文庫本はページが赤茶色く焼けてしまっていた)

 例えば、そういう秋の午後、兄が予備校から疲れて帰ってくると、弟が熱心に数学の参考書に向かっているとする(ここからは久米正雄ではありません)。昨年、兄が1/3ほどやりかけて、中途半端にして放っておいた微分積分の参考書である。「勝手に使うな、今すぐ返せ。それはオレのだ」と兄は言う。

 確かに1年前、「オレが東大に合格したら、オマエに譲るよ。オマエも来年は受験生だからな」と兄の余裕タップリに弟に言った記憶はあるが、正式に弟に譲ったわけではない。第一「オレが合格したら」という条件付きで譲る約束をしたに過ぎないので、今や浪人中の兄としては、弟に譲るつもりも必然性も全くないのである。

 ところが、弟は領有権を主張する。「これはオレのものだ」と居丈高になる。弟の主張には無理があって、実は弟自身も主張に無理があることは百も承知である。しかし、百も承知だからこそ態度が威丈高&傲慢不遜になるのは、古今東西を問わず人間に共通であって、決して盗人ではなくとも、人は皆「盗人たけだけしい」態度をとらざるを得ない心理に追い込まれるものである。

 兄は舌打ちをし、軽く弟の肩を突き飛ばして、自分の参考書を奪い取る。弟がいまちょうど積分の問題を1題解きかけているところだったのも承知の上である。これに弟は激怒する。

「なんだ、浪人のクセに」と口走り、兄に貸していた辞書を兄の机の上から奪い取る。仕返しである。壁を殴りつけ、テーブルをひっくり返し、「こんなことになったのは全部兄の責任だ、全責任は兄の側にある、直ちに謝罪を要求する」と怒鳴る。お隣の人がビックリして「どうしました?」駆け込んでくるほどの、たいへんな剣幕である。
おこされた
(お隣の兄弟ゲンカに驚いて目を覚ます 1)

 あまりのことに唖然とした兄は「わかった、わかった、参考書は返すよ」と泣き顔になりながら参考書を手渡す。超法規的措置であり、兄弟間の外交問題を考慮して国内法をシュクシュクやるのをいったん諦めたのである。

 しかし、弟は不気味にニヤリと笑って「領有権は、どっちにあるの?」と詰め寄ってくる。「領有権を譲渡したわけじゃない。オマエとの間に領有権問題は存在しない」。事態のよく飲み込めていない兄は冷然とそう言い放つ。

 弟はますます勝ち誇って、「わかりました。返してもらっただけじゃ、全く解決になってません。謝罪と賠償を要求します」「歴史認識が間違っているのです。今後、一切お兄さんには協力できませんし、いかなるレベルの交流も中止します。どんな重大な事態に進展しても、全責任はお兄さんにあります」。まあ、問題のきっかけになった参考書をスゴスゴ返還しても、事態の解決には全くならない。相手は、まさにこの時を待っていたのだ。
おこされた2
(お隣の兄弟ゲンカに驚いて目を覚ます 2)

 スミマセンね。今井君は、久米正雄からこんな筋違いな連想を引き出し、お風呂の中で1時間もニヤニヤ笑っていたのである。しかし、もし今回の件がこの種の兄弟ゲンカだとすれば「兄弟ゲンカを法で裁けるか?」「負けたジリ貧兄さんの進むべき方向性は?」を考えるのも決して無駄なことではないだろう。