Tue 100824 「赤本をやって愕然としている諸君へ」を語る カフカの生家を見に行く | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 100824 「赤本をやって愕然としている諸君へ」を語る カフカの生家を見に行く

 21日にお茶の水で東進の浪人生たちに語ったのは、9月下旬から10月上旬の過ごし方である。どんな受験生でも、この時期には「そろそろ赤本だ」と考えることになっていて、書店で出そろった赤本の1冊を恐る恐るひもといてみる。

「そろそろ赤本だ」には何の根拠もないのだが、高校の先生や予備校講師や、先輩または親&親戚&兄弟という名の素人たちが、こぞって「オレの体験」「私の体験」を語り、「だからそろそろ赤本だ」という結論にもっていくのである。

 体験を語るヒトのほとんどは、自らの極めて限定的な体験を「成功体験」しかも「普遍的成功体験」として語る傾向があって、「オレはこうして成功した、だからオマエも模倣すべきだ」と、相手のとるべき行動を無責任に固定してしまう。

「秋の始めに赤本をやって、オレは成功した。だからオマエもやるべきだ」ということである。そういう人物に決定的に欠けているのは「赤本を9月に(10月に)やったから成功した」のか、「もともと成功する力のある人物が、偶然9月に赤本をやったにすぎない」のかについての思考である。

 だから、成功者たちのアドバイスは実に呵責のないもので、「9月に赤本をやらなければ必ず失敗する」「必ず落ちる」「絶対ダメだ」というふうに、いつの間にか「必ず」「絶対」の文字が入りこんで、限定的個人体験に過ぎないものを普遍的必然にスリかえてしまう。

 そこで受験生は「必然的失敗」に脅迫されて、おそるおそる赤本をめくる。ケータイのアラームをセットして、「制限時間内で実際に解いてみる」。で、結果は。ほぼ例外なく、玉砕なのである。

 制限時間内で解けた問題は6割程度。答え合わせをしてみると、どんどんバツがついて、マルは解けた問題の6割程度。6割×6割=4割弱であって、つまり「正解率40%」という過酷な結果に愕然とする。

 ヒトが第1志望と考えるような大学なら、合格のために必要な正答率は70~80%であるから、いま赤本をやって40%しか正解できないなら、「来春までの5か月で合格圏内に入ることは極めて困難である」ことは誰にでもわかる。

 しかし、実際にはほとんど全ての受験生がこういう経験をしているのである。つまり、半ば脅迫されて赤本を開き、時間を計ってやってみて、呆然とし&愕然とし&慄然とする。成功体験を得々と語る先輩も親も親戚も兄弟も、実際にはそうだったくせに、その後の成功に浮かれて、当時の苦しみや衝撃を忘れているに過ぎない。

 「御三家」みたいなヤンゴトナキ高校に通うヤンゴトナキ人々は別として、私立公立を問わず、普通の高校で地味にコツコツ勉強している高校生が9月に赤本をやったら、誰だって惨憺たる有り様になって当然である。

 まして、この時期になっても「伝統の体育祭だ、棒倒しだ」「合唱コンクールだ、めざせ優勝」「文化祭だ、彼女を呼ぶぞ」とか、そんな牧歌的なことに夢中になっている素朴で素敵な高校生たちに、赤本が優しい顔をしてくれると思ったら、大間違いなのである。

 お茶の水に集まった東進の浪人生に語ったのも、そんな話である。「きっとみんな、昨日とか一昨日に赤本に取り組んで、たいへんなショックを受けているだろう」という語り出しで、出席していたほぼ全員が自然にこちらを凝視した。では、その時いったいどうすればいいのか。明日の記事で語りたいのはそれである。
ツリー
(2009年プラハ、旧市街広場の巨大クリスマスツリー)

 さて、プラハであるが、天文時計が12時を告げるのを、世界中から訪れた人々とともに大口開けて見上げた後、佳境を迎えた24日昼のクリスマスマーケットをしばらくぶらついた。ブダペストで見た煙突型の旨そうなパンを、ここでもそこいら中の店で売っている。

 しかしブダペストに比較して気温がずっと高いから、煙突から濛々と湯気の上がるような迫力はない。ブダペストで見かけたときは「あの煙突パンの中には濃くて熱いスープがタップリはいって、中でトップントップン揺れているんじゃないか」と勘違いするほど旨そうに見えたが、プラハで見るそれはいかにも甘そうな巨大お菓子に過ぎない。
えんとつ
(プラハのクリスマスマーケット、煙突パンを焼く店)

 旧市街広場の向こう側、聖ミクラーシュ教会のすぐ脇にはカフカの生家がある。今回のプラハ旅行の前1か月ほど、毎日お風呂の中にカフカ全集を持ち込んで「城」「変身」「判決」「ある流刑地の話」を再読した。再読と言っても、前回読んだのは高校2年の時であるから、すでに四半世紀以上が過ぎている。つまり、前回カフカを読んだ頃、今井君はまだ「まあ、東大ぐらいは合格するだろう」「医学部を目指すのも悪くない」「最悪でも作家にはなりたい」「医師&作家が理想」など、バカバカしいことをヌカしていたのである。
ミクラーシュ
(カフカの生家のすぐそば、聖ミクラーシュ教会の内部)

 当時はブレジネフ書記長が健在の東西冷戦時代。カフカの世界は、ともすれば東西冷戦やヒトラーの犯罪の影の中で語られる傾向があって、その解釈に反することを口走ると、「風上にも置けない愚か者」という扱いが待っていた。映画化された「審判」の全編を通してアルビノーニのアダージョが奏でられて「戦争と悲惨を告発」したり、もしもカフカが聞いたらガックリうなだれてしまいそうな恥ずかしい解説やら批評やらが溢れた時代であった。
カフカ1

カフカ2
(カフカの生家)

 今こうしてカフカの生家の前に立ってみると、要するにこれこそカフカが連日連夜眺めていた光景であることに、やはり感銘を受ける。思わず頭の片隅にアルビノーニのアダージョが流れはじめたのを大急ぎで打ち消していたら、代わりにスメタナが力強く「モルダウ」を歌いはじめた。「ふにゃらら、ふにゃにゃー、モルダウよー!!」である。おお、もうこんな時間だ、そろそろそのモルダウ河を渡りに行かなければならない。
カフカの生家から1

カフカの生家から2
(カフカの家の脇から見たティーン教会)