Mon 100823 懐かしいお茶の水で久しぶりの生授業 プラハのティーン教会と天文時計 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 100823 懐かしいお茶の水で久しぶりの生授業 プラハのティーン教会と天文時計

 9月21日は朝9時から猛暑のお茶の水に出かけて、お茶の水の校舎で浪人生向けの生授業をした。お茶の水橋から水道橋に向かって降りていく道の左側、他にも中学受験の塾などが入った雑居ビルの3階と5階が東進である。他の校舎とはちょっと扱いが違って、「東進リーダー塾」という呼称になっている。普段は「東大特進クラス」(いくらなんだって「東大と苦心」はないだろう、パソコン殿)の生授業に使用しているようである。
 お茶の水は懐かしい。18歳の時、現役で早稲田政経&法には合格したが、どうしても東大を諦められずに駿台に通った。まさに「第1志望はゆずれない」である。当時の駿台は朝8時20分授業開始、午前中4コマ、午後2コマ。ビッシリ授業がつまっていて、鈴木長十/伊藤和夫/長岡亮介/秋山仁/坂間勇、その他今思えば今井君なんかにはもったいない素晴らしい先生方に大きな影響を受けたものである。
 一昨日も、授業開始前に校舎の窓から眼下の風景を眺めながら、当時のことをいろいろ思い出していた。月日の経過するのは早いものである。ただし、駿台の授業にマジメに出席していたのは最初の2~3ヶ月だけ。その後は池袋や高田馬場の映画館に入り浸って、東京大学合格はどんどん遠ざかっていくばかりであった。
 その12年後、今度は駿台講師としてお茶の水に舞い戻った。最初は5号館とか8号館とかアカデミー校舎とか、そういう周辺校舎で細々と教えていたが、3年目の秋から本部校舎(当時は3号館と呼んだ)に呼ばれた。超人気講師であった入不二基義師が突然抜けた(山口大学の准教授になられたのだった)アナを埋めるアトガマとして、この今井君がちゃっかり「東大スーパークラス」に入りこんだワケである。入不二師とは一面識もないが、いまや青山学院大学文学部心理学科教授になられている。「すさまじきものにして見る人もなきブログ」というタイトルのブログもあるらしい。
 あの時代もあまりに懐かしい。何だか天下を取ったような晴れがましい気分で、お茶の水界隈を肩で風を切るように歩き回った。昔の日本語で「のして歩く」という言い方があったが、まさにそれである。山の上ホテルのバー「のんのん」のカウンターで連日連夜同僚と酒を飲み、日付が変わってから埼玉県の奥の方までタクシーで帰るような(タクシー代は20000円もした)勘違いの日々を過ごしていた。
 その懐かしいお茶の水で、久しぶりに生授業ということになった。首都圏各校舎で浪人している生徒80名ほどが熱心に集まってくれた。朝、あまりの暑さに空調がストライキを起こしたとのことで、今井君が校舎に入っていったときはサウナも顔負けの蒸し暑さのまっただ中。授業を開始するころにはやっとクーラーどんが重い腰を上げて働きはじめ、それでも今井君はダラダラ汗をかきつづけたが、11時半、無事に授業を終了した。そこでどんなハナシをしたかは、明日の記事で書くことにする。
ティーン教会
(プラハ、ティーン教会とクリスマス市)

 さて、プラハであるが、12月24日、旧市街広場はまさにクリスマス市の真っただ中である。ヤン・フス像を真ん中に、東側がティーン教会。12世紀創建、14世紀半ばに建て替えられた教会であるが、プラハの第1のシンボルになっていて、「場面はプラハです」ということを一瞬で示すのに使われる。映画「存在の耐えられない軽さ」でも、この教会が画面に一瞬現れて、「さあ、場面はプラハに変わりました」ということになる。東京なら浅草雷門とか東京タワー、大阪なら通天閣か大阪城、まあそういう役割を担う教会である。
みくらーしゅ
(プラハ、聖ミクラーシュ教会とクリスマス市)

 南西側が旧市庁舎と天文時計。この天文時計がプラハ観光の目玉で、毎正時になると天文時計の仕掛けを見るために広場に大量のヒトが集まってきて、身動きがとれないほどになる。仕掛けはたいへん精巧で、そんな昔に作られたものとは思えない。死神クンが鳴らす物悲しい鐘の音とともに、キリストの12使徒が順番に小窓に姿を現し、現れては消え、現れては消えて、最後にニワトリが鳴いて終了する。
旧市庁舎
(プラハ、天文時計と背中合わせの旧市庁舎)

 その間20秒程度である。懸命に見上げていた観光客のオバサンが「ええーっ、これだけ?もう終わりなのお?」と叫んで苦笑いしている。互いに目を見交わせば、みんな嬉しそうな苦笑いである。英語と、ドイツ語と、フランス語と、イタリア語と、スペイン語と、まあ何とか聞き取れるのはそのぐらいであるが、みんな例外なく自分の国の言葉で「ええーっ、これだけ?もう終わりなのお?」と嘆いて、満面の笑顔を見合わせる。
天文時計
(プラハ、天文時計)

 ハンガリー語もロシア語もスロバキア語もあっただろうし、中国の人も韓国の人もいただろう。はるばる世界の裏側や、半分裏側や、1/4裏側から、何時間も何十時間も旅をしてこの天文時計にたどり着き、30分も前から「今か今か」とヤキモキしながら見上げていて、「チーン、チーン、チーン」「クル、クル、クル」「ケコー」で、それでみんな終わってしまうのだ。彼ら彼女らの心の底から嬉しそうな嘆きは至極当然なのである。
しかけ1

しかけ2

しかけ3
(プラハ、天文時計の仕掛けたち。真ん中左が鐘を鳴らす死神サマである)

 きっと、あれから9か月経っても、「プラハの天文時計って、チーンチーンのクルクルクル、ケコーで終わっちゃうんだ、あっけないよお、ホントに」という土産話が、世界中で花開いているはずである。そのテーブルには、紅茶が優しい湯気を立てていたり、エスプレッソの砂糖がカップの底に溶け残っていたり、番茶や煎茶がすっかり冷めてしまっていたりするだろうし、ウィスキーの大きな氷がキーンと冷たい音をたてながら回っていたりするだろうが、「あっけないんだよ、ホントに」というセリフと、いかにも自慢気な笑顔は、おそらく世界中共通である。