Mon 100726 岐阜についての思考 国盗り物語 高麗人参とフッフッフorカッカッカ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 100726 岐阜についての思考 国盗り物語 高麗人参とフッフッフorカッカッカ

 岐阜の「阜」の字については、昨日書いたばかりである。「阜」は盛り上がった山や丘陵を意味し、だから「阜」の字を簡略化して部首となったコザトヘンやオオザトは、「盛り上がった」「繁盛した」「旗のたくさん翻った」の意味を付け加える部首であることが多い。確かに、あの部首、旗がハタハタ翻っているように見える。
 で、実際に東海道線で名古屋から岐阜に近づいていくと、岐阜城のある稲葉山を見ながら「おお、これが『阜』の字のモトになった山か」と感動するほど、稲葉山は元気に盛り上がっている。城を頭上に乗っけて高々と盛り上がった稲葉山を「阜」とし、木曽川や長良川や揖斐川が様々な分岐を形成しながら滔々と流れる様子を「岐」とすれば、山と河のある街=岐阜と名づけることになるのは当然である。
 豊かな河が多くの分岐を作り、その平野の中心に街を睥睨するように盛んに盛り上がった山が聳える。当然その街も、ヒトビトの豊かな活動によってたくさんの旗が翻るように繁栄、他の街を圧してそびえ立つ街に成長するというわけだ。
sleep tight
(ニャゴ姉さんのsleep tight)

 今井君が子供の頃、NHK大河ドラマに司馬遼太郎原作「国盗り物語」があった。斎藤道三が平幹二朗、織田信長が高橋英樹、明智光秀が近藤正臣、辛抱強く光秀を励ます糟糠の妻が中野良子。道三が美濃から追い出してしまう土岐のトノサマが金田龍之介。
 松坂慶子の濃姫がウツケモノ信長に嫁いできて、ホントの名前は帰蝶(きちょう=嫁いでも、やがて帰ってくる蝶のような存在)なのに「美濃から来たから濃姫じゃ」と決めつけられるシーンは印象的。子供だった今井君は「ウツケモノなのに、『姫』と呼ぶとはなかなか立派じゃないか」とあげ足を取って楽しんだものだった。
 その中で、後の桃太郎侍・高橋英樹の織田信長は、当時の「井ノ口」=新しい城下町「岐阜」の名前を、完全に学者まかせで、ぞんざいに決めさせる。丸投げである。ヒゲの学者先生がもっともらしく述べ立てる命名の理由など、半分も聞かないうちに「おお、それでいい、それにせよ!!」と叫んで席を立ってしまうのだ。
 今井君が「学者になろうかな」という子供時代の夢をポイ捨てしたのは、このドラマのせいである。だって、これじゃ学者って、アホと言うか、いいツラのカワと言うか、要するにツベコベ言ってるだけで結局は時代の流れに圧倒される、茶坊主みたいな存在じゃないか。
 ドラマではそこで画面が切り替わって、明智光秀の屋敷。秀才・光秀は、越前一乗谷で朝倉家の客分として迎えられてはいるが、ライバル信長の勢力伸張を遠く眺めながら、歯ぎしりしつつもひたすら我慢して指をくわえているしかない時代である。「岐阜」という命名を聞いて、歯がコナゴナに砕けそうなほどの歯ぎしりをしながら、「信長め、『岐阜』とは、よお名付けた」「岐阜とは、よお付けた」と繰り返す。
 明智光秀は当時一流の学者でもあるわけで、「岐=運命を決める分岐点」「阜=運命は盛り上がり、勢力は膨らみ、町は旗が豪勢に翻る大繁盛に至る」という難しいお話を熟知していたのである。確か、ドラマの中では、光秀ちゃんはそれがショックで肺病を病む。おお、ニャンとも難しいヤツである。
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(夏はやっぱりsleep tight)

 昔のテレビ時代劇の定番として、こういう場合、医師は患者の妻(またはカノジョ)に向かって「高麗人参でなければ、命をあがなえませぬ」と実に冷たく言い放つ。貧乏で必需品もマトモに買えない妻(またはカノジョ)は、高麗人参をあがなうために、過スケベな悪代官に身を売るしかない。「ふっふっふ」という悪代官の笑いも、「近う寄れ」「酒のシャクをせい」「何をなさいます」「いいではないか、ふっふっふ」という安易な話の展開も、フスマを開けると2つ並んだマクラも、帯をひっぱって→クルクルも、すべてあまりにも下らないオトコ社会の定番である。
 ただし、この展開は江戸中期以降のものなので、設定が戦国時代なら「ご乱心あそばされましたか?」「おお、確かに乱心いたしたわ♨かっかっか♨」というバリエーションになる。もしも脚本家や演出家がこの陳腐を嫌った場合、「美しい髪を切って売ってしまう」「髪を売ったカネで高麗人参を購入する」という方法をつかう手もある。
 さすがNHKだけあって、あのとき光秀の妻は「髪をバッサリ切って売り払う」という人生ゲームを選択。「ふっふっふ」も「かっかっか」も「くるくる」もなしである。いきなり光秀の貧しい屋敷に場面が切り替わり、鍋の中では高麗人参ナベとおぼしき煮物がクツクツと煮えている。目を覚ました近藤正臣の光秀クンに、妻は「高麗人参でございます。たくさん購うて(あがのうて)参りましたゆえ、たんと(イタリア語のtantoと何故か意味が一致)召し上がってくださいませ」とうつむきつつ、煮物の鍋をゆっくりヒトマゼかきまわして見せる。
 おお、よく出来た、出来過ぎのカノジョである。もちろん、秀才・光秀としては、高麗人参がどれほど高価なものであるか、知らないはずはない。起き上がった彼は、ハタと気がつき、「オヌシ、その髪は、いかがいたした…」と物凄い目でカノジョを睨んで絶句する。
 そして、もしも行間を読むなら、彼の目に光るもの、彼の目に宿るものは、「信長め、いつかこの恨みを晴らしてくれるわ」。この場面で既に本能寺に向かって彼を駆り立てる妄執が、伏線として燃え上がるのである。
neoki
(寝起きは、少し不機嫌である)

 子供時代の今井君が思ったことは、以下の通り。
(1)せっかく購入した高麗人参を、そんな一気に煮ちゃダメじゃないか。煮物にしたら、腐敗も早い。女の命=緑の黒髪を売ってまで買ってきたなら、もっと大事につかわなきゃ。
(2)医者って、ひどいな。高麗人参が高価であること、患者の家族が貧困に喘いでいること、それを知っているなら、そんな冷たく突き放した発言はないだろ。それじゃ、「ふっふっふ」「かっかっか」の犠牲になって「クルクルをやるしかござりませぬ」と暗に示唆しているようなものじゃないか。もし医者がその程度のものなら、医学部進学はヤメたほうがいいかな。
 こうして、明智光秀の苦悩とともに、今井君の人生から「学者」「医者」という夢がハラハラと散っていった。NHK大河ドラマとは、なかなかに残酷な存在である。ついでに、「高麗人参」というシロモノを初めて食べたのは、30歳代も終わりに近づいた頃。南新宿・サザンタワー2階にむかし存在した「真露ガーデン」である。韓国宮廷料理・参鶏湯(サムゲタン)を注文したら、高麗人参のでっかいカタマリがゴロっと入ってきた。
 「おお、明智光秀が、カノジョの美しい髪と引き換えに、tanto召し上がった高麗人参だ」。快哉を叫んだ今井君は、学者と医者を諦める契機になったそのゴロゴロの固いカタマリにむしゃぶりついた。そしてその余りの苦さに呆然とし、「こりゃ退散だ」「フッフッフも、カッカッカもあったものじゃない」「こんなゴロゴロをtanto召し上がるなんて、そんなんだったら、別に信長にも光秀にもならなくていい」と決意。そうして予備校講師のまま年をとってきたわけである。