Sun 100725 汽車の「汽」の字と、岐阜の「阜」の字 大垣と網干と、閑話休題と湿度 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 100725 汽車の「汽」の字と、岐阜の「阜」の字 大垣と網干と、閑話休題と湿度

 長い間書いた記憶のない漢字というものがある。汽車の「汽」の字がそれであって、汽車という単語が死語になってから、汽車の汽の字を手書きすることなんか、中国の自動車会社でもないかぎり、まずなくなってしまった。
 この字を習ったのは、確か小学校3年生の頃である。教科書でも、市販のワークブックでも、学習雑誌でも、必ず元気の「気」の字といっしょに登場した。間違いやすいというか、混同したりゴッチャになりやすいセットとして、国語の時間に先生がよく話題にしたものである。
 小学館や学研の学習雑誌でも、パーマンやウメ星デンカやオバケのQ太郎やその仲間のカバオ君が登場して、「気」と「汽」の違いを盛んに強調した。そういう単純な間違いを繰り返すのは、決まってカバオ君かオバQ(つまり男子のキャラクター)で、パーマン3号なり、妹のP子チャンなり、とにかく賢い女子のキャラクターに指摘され、苦笑いしながら頭を掻いている姿が典型的な挿し絵だった。「ダメよ♡『気』の字と違ってサンズイのつくほうの『汽』の字は、中にバツ印がないのよ♡」とか、まあそんな挿し絵である。
 そう言えば、「頭を掻く」という行動も見かけなくなった。これもまた死語になりつつあるのかもしれない。HMV渋谷店も閉店、阪急デパート(「阪急でパート」はないだろう、パソコン殿)四条河原町店も閉店。そういう時代に、汽車の汽の字を間違えて頭を掻いているような間の抜けた小学生はもういないのである。
大垣1
(岐阜県大垣での講演会)

 汽車の汽の字と同じぐらい書く頻度が低いのが、岐阜の「阜」の字である。「岐」のほうは、いま自分が人生の分岐点に立っていたり、岐路にさしかかっていたり、高校野球で土岐商業が活躍したり、斎藤道三による土岐家の乗っ取りに歴女がウットリしたりすれば、日記にも手紙にもシューカツのエントリーシートでも、しょっちゅう書く機会があるだろう。
 しかし、岐阜の「阜」の字のほうとなると、話が全く違ってくる。岐阜県に友だちがいて頻繁に手紙のやりとりをするとか、岐阜で生活していて役所への届をたくさん書かなければならないとか、そういう人でなければ岐阜の阜の字を書くことはまず考えられない。小学校で習ったとき、賢いがフザケ放題の今井君は「もしも岐阜県がなかったら、『阜』の字をつかう機会があるのだろうか?」の類いの発言をして先生の怒りを買ったものである。
 高校の地理の時間に「曲阜の孔子廟」というものが登場。今でも記憶しているが、高1の地理の中間テストでこれが出題され、それだけどうしても思い出せなくて、惜しくも98点にとどまった。おお、今井君の人生は、岐阜の「阜」の字に悩まされつづけているのだ。何しろ、コザトヘンやオオザトの元になった、由緒正しき漢字である。丸く盛り上がった山や丘陵を意味するのである。盛り上がっているんだから、勢力の盛んな様子まで意味するのである。そんな漢字を敵に回して、今井君なんかに勝ち目があるはずがない。
大垣2
(大垣での講演終了後、花束をもらう)

 7月9日、その岐阜県の大垣に出かけて講演会。岐阜は、懐かしい。クマどんの予備校講師経験は、河合塾岐阜校から始まった。日曜日午後10時まで埼玉県春日部(まだ「過スケベ」をやってるのかい、パソコン殿)の塾で仕事があって、月曜日9時から河合塾岐阜校で授業。朝1番の電車で岐阜に向かってもどうしても間に合わないので、毎週23時40分発の大垣行き夜行普通電車に乗った。そんな強行軍を毎週繰り返しても何ともなかったのは、「若かったから」というより「予備校で授業することに異常と言えるぐらい興奮していたから」であったろう。
 しかし、岐阜は懐かしいが、大垣は初めてである。電車の終点だから名前は熟知していても、実際には一度も降りたことがなくて、これからもおそらく縁のない駅というものがある。常磐線沿線の人にとっては我孫子や取手がそれだろうし、湘南新宿ラインを利用する神奈川県民にとっては、籠原とか小金井がそれである。今井どんにとって、大垣は久しくそういう街でありつづけた。JR新快速を利用する関西の人なら、野洲とか近江今津とか網干(あぼし)とかだろう。
大垣3
(花束をもらっても、まだ喋るクマ)

 網干ねえ。今井君は、網干といえば「アボシ・サモジロウ」の名前が頭に浮かぶぐらいである。子供のころの今井君は、夕方のNHK人形劇「新八犬伝」が大好き。そこに登場するスケールの小さな悪役がアボシ・サモジロウである。「タマヅサが怨霊」のようなきわめてスケールの大きな悪役ではなくて、企む悪事も人生自体も、みんなサモしい小悪にすぎない。
 サモジロウは、前回の登場から2ヶ月ぐらい経って、視聴者がその存在を忘れかけた頃に、チョイ役でチョイと出てきて、すぐに追い払われる。ただ、その登場が大きな事件に発展するキッカケになるので、物語の構成上無視することはできない。物語にも、人生にも、歴史全体にも、そういう小悪人が存在するものである。
 さて、話はいくらでもそれていくが、そろそろ閑話休題にしなければならない。もっとも、この「閑話休題」についても、幼い今井君が「新八犬伝」の中でナレーター役の坂本九から習い覚えた言葉である。人形劇冒頭、しばらく(と言っても1~2分だが)坂本九の雑談が続き、いよいよ物語の本筋に入っていこうとするときに、必ず「閑話休題」という一言が入った。
 大正から昭和にかけての小説家は、この閑話休題に「それはさておき」というルビをふった。「かんわきゅうだい」という漢語の響きではなく、「それはさておき」と和語にすることで小説の世界の湿度を保とうと努力したわけである。そんな努力も、すでに死語の世界に消えたのかもしれない。
 そこでクマどんも、閑話休題、それはさておき、本題の岐阜県大垣講演会の話にしたいのであるが、気がつけば既に「1日A4版2枚以内」という自らに課した字数制限を超えようとしている。閑話休題する前に、閑話だけで終わる。これも心地よい湿度を保つ一法かと思うのだが、やはり時代遅れのそしりを免れないのだろうか。