Thu 100722 小倉での講演会 小倉の記憶2種 「どこを省くか」こそが、教師の真骨頂 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 100722 小倉での講演会 小倉の記憶2種 「どこを省くか」こそが、教師の真骨頂

 7月3日、福岡県小倉で講演会。梅雨の終わりの大雨がひどくなって、朝の羽田空港では、熊本便と鹿児島便について「天候調査の上、着陸できない場合は福岡空港か大阪空港に着陸することが予想されます」「ご了承の上ご搭乗ください」など、ひどく緊迫した状況になっていた。
 福岡空港着13時、博多駅前のANAホテルにチェックインして、1時間ほど仕事をしたあと小倉に移動。小倉で降りるのはこれで3回目である。1回目は、もう15年も前のことになるが、駿台の福岡校に週1回出張していた頃。「駿台の若手のエース」ということで、名門・東筑高校の九州大学対策講座に出かけた時であった。
 その前日に、なぜか物理や地理の講師たちと博多中洲を飲み歩き、翌日ホテルの床で目が覚めたのが、既に午前11時。どうしてベッドに入らなかったのか全く記憶がないが、福岡の西鉄グランドホテルから小倉の講演会場まで1時間以内でたどり着かなければ、完全に遅刻である。左の頬にはホテルの床の模様がベットリと痕になって残り、ネクタイもしたまま、ワイシャツも着たままなのであった。
 風呂に入って寝癖を直す暇もなく、まして教材の予習をしっかりし直す時間なんかもっとなくて、激しい吐き気を伴う二日酔いの中、とにかく博多駅まで疾走しなければならない。発車寸前の新幹線の自由席に飛び乗って、まあ何とか遅刻だけは免れたが、そんな状況でマトモな授業が出来るわけはない。
 それでも50分×2を力ずくで乗り切る体力があの頃はあって、予習もチャンとしていない九州大学の入試問題を2問、チャンと解説し終えて帰ってきたし、東筑高校の生徒たちからの評判も決して悪くはなかった。強烈な寝グセについての指摘もなかった。
 あの頃は、ヒゲは生やしていたけれども、頭のほうもまだ長髪。寝グセは左の側頭部である。本来なら重力に従い、真下に向かっているはずの頭髪が、頑固に上空を指差したまま決してうなだれようとしない。「怒髪、天をつく」はずが、「寝グセ、天をつく」になってしまっているのだ。
 頭皮が引きつれる感覚が全身に伝わるほどの頑固が寝グゼだったけれども、なぜ生徒が誰も指摘しなかったのか、よくわからない。まさに若気の至りの失敗談であるが、おそらくは生徒たちの優しさに救われたのである。あれが15年前だとすれば、優しかった生徒たちも既に33歳、既に社会の中核で縦横無尽に活躍していることと思う。
小倉1
(7月3日、小倉での講演会)

 小倉で降りた2回目が10年前、代ゼミ博多校に夏期講習5コマだけの出張で来た時である。ゲリラ豪雨で駅前が冠水した日の午後に、代ゼミ北九州地域担当のAM(AMは呼びにくいから、エリマネと呼んでいた。エリア・マネージャーの略称である)に連れられて、お忍び(incognito)で訪れたのが、今日の東進・小倉校。その後10年の間に、代ゼミサテライン予備校から東進衛星予備校に移ってきた加盟校さんである。
 今井が東進に移籍してきたのが既に5年半前。代ゼミ古文の某・超超大大先生も3年前から東進である。そうやって主力講師がどんどん東進に移ってきたんじゃ、代ゼミサテラインなんかやっていても何のプラスにもならない。というか、サテライン予備校というのは、授業のビデオを見せるだけの予備校。DVDを貸し出して、見終わったら返却してもらう。それだけじゃ、何だか貸しビデオ屋さんみたいである。
 代ゼミのフランチャイズから東進衛星予備校に移ってきた当初は、「何でこんなに細かいことにうるさいんだ」「確認テスト受験率だの、月間向上得点だの、ゴチャゴチャ面倒くさい。もっと自由にやらせてほしい」と、おそらくは誰でも思うのである。しかし、痒いところに手が届くほど小うるさい指導の細目があって、はじめて塾や予備校はうまく行くのだし、痒いところを掻いてもらってはじめて生徒の成績は向上するのである。
小倉2
(小倉パンパンパン)

 10年前、小倉の塾長先生と英語の指導方針について真剣に話し合ったことがある。印象的だったのは「今井先生は、必要のない情報を驚くほど見事に省略して授業を組み立てている。今井先生の最も優れた点はそこだ」という指摘であった。おお、さすが。余りにもさすがである。
 英語教師が最も陥りやすい陥穽は、「何でもいいから思いつくまま詳細に説明して、生徒の語学能力のキャパシティを忘れてしまう」ということである。だから、今井の基礎クラスの授業を見てみると、ダメな英語の教師なら「あれも説明していない」「あれを省いてしまっている」「あれも説明しなきゃいけないのに」「ええっ、それも説明しないで終わっちゃうの?」と、不満ばかり感じるのである。
 しかし、詳細をあえて説明しないことにより、細部をあえて無視することによって、どれほど英語がわかりやすく楽しくなるか。逆に、我慢できずに何でもかんでも授業に盛り込むことで、どれほど生徒の頭を混乱させてしまうことか。そういうことをキチンと考えれば、「あれも言ってないじゃないか」という外野の批判をどれほどの勇気をもって振り払い、たとえ批判にさらされても生徒たちの理解度と満足度を確保するということのほうが、本来の教師の役割として遥かに重要なのだとわかる。
小倉3
(ウワバミは、小倉が大好きである)

 そういうことをキチンと踏まえた塾長先生と話すのは、楽しい経験である。小倉の塾長先生は、今井の授業をあえて逆から受講させることも厭わない。自信過剰な生徒には、まずB組で長文読解を受講させ、次にC組で英文法を受講させ、最後にD組で最も基礎的な文法をカンペキにさせる。それで九州大学にどんどん合格するというのだから、不思議というより、どれほど基礎の徹底が重要かの証拠にもなるのである。
 この日は、たくさんの生徒が出席を予定していた小倉西高校がちょうど甲子園の県予選の日。しかもその試合が延長戦にもつれ込み、講演会開始のギリギリになるまで決着がつかない。欠席者がたくさん出ることが危惧されたけれども、幸い200名近くの出席者で会場はパンパンパンになり、冒頭から最後まで会場は爆笑に包まれた。
 なお、北九州と沖縄担当の東進ACは、10年ほど前に代ゼミ生で、今井の英語や某・超超大大先生の古文の授業を熱心に受講していたという男である。最初会ってみるとその若々しさに驚くが、ぜひこれからの東進を背負っていってほしい大事な人財である。沖縄でも、福岡でも、全然構わない。10月でも11月でもいい。どんどん講演会に呼んでくれたまえ。