Sun 100718 とうとう1ヶ月遅れました 6月15日市ヶ谷講演会 荒木町と荒木と早実 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 100718 とうとう1ヶ月遅れました 6月15日市ヶ谷講演会 荒木町と荒木と早実

 こうして、ついに実際の日付とブログの日付が一ヶ月ずれてしまうことになった。2009年の年末、ハンガリーとチェコに旅行をして、インターネット環境の悪さにムカつくあまり2週間近く更新を怠ったのが、そもそもの始まりである。2010年5月、再びリスボンでインターネット環境が思う通りにならないことにムカついて、更新の遅れは3週間になった。
 7月から8月にかけて重症の夏風邪に悩まされ、ついでに全国を講演会で飛び回ったり、河口湖合宿で多忙をきわめたり(やっぱりなかなかインターネットに接続しにくい状況になったりして)、ついに「8月18日なのに7月18日の日記を書いている」という事態になってしまった。
 今井君としては本来若い受験生諸君に模範を示さなければならない立場なのだから、1ヶ月遅れなどというみっともない姿を見せるワケにはいかないのだが、諸事情が重なってこんな事態に立ち至った。誠に誠に申し訳ない気持ちでいっぱいである。
市ヶ谷1
(市ヶ谷講演会。復活した「予想の3倍重い鞄」とともに)

 もちろん、このままダラしなくみっともなく申し訳ない状況を放置する気持ちはない。ケリもキリもいい「1ヶ月遅れ」というところでチャンと立ち直って、いよいよこれから一気に追いついていく計画でいる。「一気に追いついていく計画」などというのも、受験生独特の「どうせ実現できないタイプ」のハリキリ方であるが、さすがにこれ以上ダラしない見本を見せるワケにはいかないだろう。どうしても踏みとどまって、少しはカッコいいところを見せたいと思う。
 しかし、1ヶ月遅れてしまえば、1日に2日分を着実に更新したとしても追いつくまでに丸々1ヶ月かかる。しかも、これほどの長文ブログである。滅多なことで「毎日2日分更新」などということが実現できそうにないのもまた確かである。うにゃにゃ、たいへんである。とても酒なんか飲んでいられないし、とても海外なんかに行っていられるワケがない。だって8月も9月も授業収録がヤマほどあって、しかも「ブログ毎日2日分更新」のノルマが課せられようとしているのだ。
市ヶ谷2
(市ヶ谷講演会。次第に盛り上がるクマどん)

 ところが、そこは今井君のことである。そうはカンタンに快楽を諦めたりしない。快楽を諦めるのは、命がなくなる時ぐらいでいい。今井クマどんは、8月から9月にかけて(これほどせっぱつまっているにもかかわらず)ロンドンとスペインとを旅行する。9月のスペインは、バレンシア地方である。またまた「インターネット環境の悪さにムカつく」に決まっているような土地を旅して、それでも何とか努力して10月中旬までには「ブログ上の日付と実際の日付の整合性をつける」というところまでもっていくつもりである。
 もちろん、ゴマカシは一切したくない。それも若い生徒諸君や、昨年や一昨年の生徒諸君が見守っていることである。いきなり毎日の記事が短くなったとか、写真ばかりになったとか、写真の解説だけで出来ている紙芝居型ブログになったとか、そういうダラしなくみっともないゴマカシに励む姿を見せるわけにはいかないのである。
市ヶ谷3
(盛り上がるクマどん 市ヶ谷にて)

 6月15日、市ヶ谷で講演会。市ヶ谷はちょうど半年ぶりである。前回はブダペスト&プラハ旅行に出かける直前の12月中旬で、その直後に「全速力で土壁に激突」「ヒタイの皮が7~8枚一度に剝ける」「ヒタイからリンパ液をタラタラ流しながら渡欧する」という悲劇が起こったのであった。おお、懐かしい。ブログをBIGLOBEからアメブロに切り替える直前のことである。
 前回どうしても出席できなくて(今は昔の話になったが、例の新型インフルエンザのせいだった)、手紙だけ書いてくれた生徒がいた。当時高2だったが、今は国立大学付属高の3年生である。バレー部で最後まで活躍して、もう部活も引退、東北大学医学部を目指して受験勉強に励んでいる。今回はしっかり講師控え室に挨拶にきてくれた。おお、こういう硬派で礼儀正しい生徒が多いから、東進での講師生活は楽しいのである。
市ヶ谷4
(語るクマどん 市ヶ谷にて)

 19時開始、21時終了、出席者100名強。やっぱり教室としては「立錐の余地もない」であるが、市ヶ谷の教室はある程度の面積を確保しているから、生徒一人一人にしっかり机があって、授業としても十分余裕が持てる。医学部系の予備校が所狭しと軒を並べる市ヶ谷で、雑居ビルの一室の校舎にこんなにたくさんの受講生が集まってくれたことは、間違いなく感謝に値する。
 夜10時、校舎を出ると生温かい梅雨の雨が降り出していた。校舎を出たところで大昔の友人とバッタリ出会い、市ヶ谷から荒木町と飲み歩いた。首都圏に住みついて四半世紀になるが、「荒木町」などというシックな街がこんなに繁盛しているとは夢にも知らなかった。「大昔は遊郭だった」とは、後で聞いた話である。
 そう言えば、「遊郭」などというものが昔は存在して、ちょうど今井君が生まれたころに日本から姿を消したはずである。今井君はたいへん無粋な人間(というよりクマ)だから、「荒木」と聞いて思い浮かべるのは、荒木又右衛門か荒木大輔かそのどちらかである。
 早実の荒木大輔が大活躍して、愛甲の横浜高校と決勝戦で死闘を演じたのは、いったい何年前のことだろうか。斉藤祐樹の早実が優勝してから、荒木大輔の記憶は少し薄れたが、ほれほれ、油断していたらまた早実がたいへんな勢いで勝ち上がった。確かにベスト8進出を逃しはしたが、今年の戦力を見ればよくここまで健闘したと讃えていいことは間違いない。倉敷商戦、中京大中京戦、どちらも見事だった。