Thu 100715 下北沢「珉亭」 銀座コリドー街、牛タンの四郎 草むらの暗闇が深い | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 100715 下北沢「珉亭」 銀座コリドー街、牛タンの四郎 草むらの暗闇が深い

 8月上旬は、重い夏風邪からの快気祝いをしながら風邪の後遺症と戦うという、まさに矛盾に満ちた毎日を過ごした。暑さが頂点に達した3日だったか4日だったかには、まず下北沢の中華料理「珉亭」でラーメンをすすった。大汗を拭いながらラーメンをすすっていたのは、縦置きの超旧式クーラーの前。巨大タンスから白く曇った寒風が強烈に吹付けるタイプである。気温36℃の炎天下で暑いラーメンを食べても冷気に凍えるぐらいだ。
 「珉亭」で食べたのは、店の前のノボリにも染め抜かれた「江戸っ子ラーメン」。ラーメンと半ラーメンがセットになった「ラーチャン」と並ぶこの店の名物である。半年前にこの店に来たときにはラーチャンを注文したのだが、その量の多さとチャーハンの赤い色にさすがのクマどんも音を上げた。で、今回は一歩譲って江戸っ子ラーメンにしてみた。
 あくまでラーメンの素人にすぎない今井君の意見だが、うーん、これはどう見てもラーメンにタップリ載せたキムチが余計である。せっかくの旨いスープにキムチの酸味が出て、何だかすべてを中途半端にしてしまっている。せっかくの麺の食感もキムチで台無し。ちょうど口内炎で苦しんでいる最中だったから、キムチが口内炎にあたって痛いことこの上ない。せっかく「日本で3番目に旨い店」(世界で、だったかもしれない)の看板をあげたのだ、「夏だからキムチの酸味でサッパリと」のような軟弱なグルメさんの意見は無視していいのではなかろうか。
みん亭
(下北沢「珉亭」の江戸っ子ラーメン。食べてる途中の写真でスミマセン)

 銀座にも2度出かけた。確か8日日曜日、熊谷から帰ってすぐだったが、銀座から新橋にかけて南北にのびるコリドー街を歩くのが楽しかった。今井君の東京生活もすでに四半世紀になるけれども、昔から銀座にこんな楽しい飲食店街があった記憶がない。
 定番の寿司屋や和食屋の他に、イタリア風/スペイン風/折衷風の様々な居酒屋が並び、ロンドン風パブ、トルコ料理屋、和菓子屋、1列にズラリと並んだ店がみんな小綺麗で、どの店に入っても間違いなく楽しそうである。店先には、愛想のいい笑顔で迎えてくれる店員さんが並んで、熱心に呼び込みに励んでいる。
 長かった夏風邪に疲れ、咳のしすぎや鼻のかみすぎで疲れ、8月に入ってからはその快気祝いの連続に疲れたクマどんにとって、疲れを癒すのにこれほど素晴らしい街はない。どの店に入るか迷いに迷って、コリドー街をまず南から北へ、次に北から南へ、最後に再び南から北へ。3度も行ったり来たりしているうちに、呼び込みの店員さんたちにすっかり顔を覚えられてしまった。
銀座リクルート
(銀座・電通通り、リクルートビルのじゃらんショールームで踊っていたニャゴ姉さん)

 結局、コリドー街の一番北、数寄屋橋寄りの牛タン屋「四郎」に入った。牛タンの本家・仙台には「仙台四郎」という福の神がいて、その名をとって「四郎」である。しっとり落ち着いた店で、牛タンの生姜煮、牛タンの味噌漬け焼き、どれを注文しても旨かった。
 口内炎はだいたい治りかけていたから、牛タンみたいな固いものを噛みつづけていてももう大丈夫だったのである。冷や奴や生タマネギにポン酢をかけただけの単純な料理も旨かった。まだ4月に開店したばかりなので「クチコミをよろしくお願いします」とのことだった。料理や酒の品数が少ないのが欠点かもしれないが、まあそのぶん牛タンを堪能すればいいのである。
四郎
(銀座コリドー街、牛タンの「四郎」)

 8月上旬、銀座には大昔からの友人たちに連れられてもう1回出かけた。その時は銀座に繰り出す前にすでに相当の酒を飲んだ後だったから、銀座に到着した段階ですでに泥酔状態。銀座で何があったのかほとんど記憶がない。普段はクマどんなんかコワくてとても入れない会員制の高級な店に連れられて入り、慣れない高級な酒でさらに3時間、泥酔に泥酔を重ねた。こういう店の中にも大昔の生徒が存在して、薮から棒に「6~7年前に代ゼミ生でした」などと口走られると、泥酔の淵から奈落の底に落ちていく気分である。
 うにゃにゃ、午前2時だか3時だかになってタクシーを呼んでもらい、ようやく代々木上原にたどり着くと、つい1~2ヶ月前ならこの時間帯にはもう朝の気配に包まれていた草むらが、まだまだ深夜の風に中に眠りこけている。秋が来たのを実感するのは、こういう時間帯。「草むらの暗さにぞ、おどろかれぬる」である。
 8月8日深夜から、東京では夏の終わりを告げる本格的な雨になった。気温も25℃を下回った。9日の夜が明け、雨は止んでも風は涼やかである。セミの声よりそろそろコオロギの声が似合うように思える、爽やかだが寂しい朝であった。