Wed 100714 熊谷の帰り、高3生に話しかけられる なぜ今井君は医学部を諦めたか | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 100714 熊谷の帰り、高3生に話しかけられる なぜ今井君は医学部を諦めたか

 熊谷で目覚めたのが8月8日朝。日本一暑い熊谷のはずだが、この夏はどうも昨日がピークだったようで、1泊14000円、恐るべき12階のキングスイートから見おろす熊谷の風景は、すでに何となくどこか秋めいている。考えてみればいよいよ立秋を過ぎたわけで、雲が薄くかかった熊谷の空は、風の音よりもむしろ「空の色にぞ、おどろかれぬる」という風情であった。
 熊谷駅に向かう途中、熊谷校舎前をウロウロしていると「昨夜の公開授業に出られなかったのですが」という高3男子に話しかけられた。「今井先生はなぜ医学部をあきらめたのですか?」という質問なのである。この2日酔いの真っただ中、衰えたりとはいえ日本一の猛暑の真っただ中に、今を去ること数百年前の今井君の高校生時代についての質問をされるのは、なかなか苦しい話である。
 まあ、いいだろう。新幹線の発車時間まではまだ20分以上残っていたから、校舎前の路上にカバンを置いて、「なぜ医学部をあきらめたか」の長い長い話を聞かせてあげることにした。事情は余りに長い。医学部を志望したのは高2の10月。それまではカンペキな文学部志望だったのだが、ふとチェーホフだったか森鴎外だったか、加藤周一だったかもしれないが「医師でかつ文学者」の話を読んで「ならば医学部へ」とフラフラしただけの話だったのである。
ライオン
(熊谷キングアンバサダーホテルの前に現れたニャゴ姉さん)

 この選択に対する友人たちの反響は大きかった。「今井、文学部ヤメたってよ」「今井、医学部志望だってよ」のウワサはウワサを呼び、「桐島、部活ヤメたってよ」以上の反響が翌日にはすでに高校を駆け巡り、高校全体を揺るがす騒ぎになったものである(というほどのことはなかったが)。
 文学部から医学部に志望を変更した翌日に、素晴らしいタイミングで「理系文系の選択票」というものを配布された。今や医学部志望の今井君は、迷うことなく「国公立医系理系」にマルをつけて提出。選択科目は、物理・化学・日本史・世界史。ま、王道中の王道ですな。さて、これで「医師でかつ文学者」への準備は整った。
 ところが、選択票が受理され、いよいよ「国公立医系理系」のクラスに登録された瞬間から、すでに今井君は自分が医学部志望であることが信じられなくなってきた。「あれれ、何で医学部志望なんかにマルつけちゃったの?」である。幼稚園か小学校低学年ぐらいから「ボクちんは、東大の文学部に行くんだ」と信じつづけていた今井クンにとって「医学部志望の今井君」という存在自体、「あれれ、そんな存在が許されていいのだろうか」ぐらいの違和感のあるものであった。
 衝動買いで買ってしまったジャケットが、一回り大きいならまだいいが、一回り小さくて、どうしても前のボタンが締められないとか、無理してきても背中が蛇腹になる。そういう時の失望を味わったことのないヒトは少ないだろうが、今井君は大切な大切な人生の選択において、ジャケットの衝動買いのような行動をとってしまったことになる。
ごかぼ
(熊谷名物・五家宝)

 衝動買いの愚かさに気づいた今井君は、直ちに自らの本道に戻り「東大文Ⅲ志望」のガチガチの文学部少年に復帰したのであるが、その日から21世紀日本のネジレ国会を遥かに凌ぐネジレ受験生に変貌せざるを得なくなった。
 来る日も来る日も、数Ⅲの微分積分に、物理、有機化学。クラスはみんな医学部志望。先生方の雑談だって、医学部関係の話ばっかり。古典の授業はナシ。現代文や世界史の授業もあるにはあるが、先生方は「すみませんね、ムダな授業で時間をムダにつかわせて」みたいなイジケた態度だし、友人たちは「睡眠の時間」扱いをして憚らない。
 ところが、今井クンにとっては微分積分や有機化学こそ本来なら居眠り用の時間。しかし居眠りしていたら中間期末試験でたいへんなことになるから、居眠りなんかしているより、授業をチャンと受けておいたほうが無難。第一、「文学部志望だから数学と物理が苦手」「理系科目はパー」というのでは余りにもカッコ悪いではないか。
ごかぼの店
(熊谷駅前、五家宝の老舗)

「文学部だけど、得意科目は数学と物理。数学こそ、血湧き肉踊るじゃん。趣味は何と言っても数学だね。現代文?古典?歴史科目? そんなの、授業なんか受けなくたって、自分で本読めばいいじゃん」
これこそ、文学部志望の少年が「一度は言ってみたい」と憧れる発言である。そういう夢をコッソリ見ながら、「チャート式」や「解法のテクニック」を買いそろえる。いつかはそれをミッチリやって、「趣味は数学」発言に相応しい成績を残し、周囲の歓声を一身に受ける夢を見続ける。
 しかし現実はそんなに甘くはなくて、結局ネジレ受験生は最後まで数学とマジメに格闘することをせず、数学のせいで「超」の字のつく私大文系人間となった。諸君、夢みる時があってもいいが、夢みるのと並行して数学に取り組みたまえ。文学部少年にとって「自分がどれほど数学ができないか」の自慢は楽しいことこの上ないが、それでは病院の待合室で自分の病状自慢をしているおじいちゃんやおばあちゃんと同じような話になってしまうのである。
 そういう話で、熊谷の高3生と路上で盛り上がり、ついでだから駅前のいかにも老舗らしいで熊谷名物「五家宝」を購入。90歳過ぎと思われるいい感じのおばあちゃんと、その息子が細々と続けている店である。「その息子」などと言っても、今井君よりは明らかに年上。懐かしのランニングシャツ+ステテコの古典的なオジサンであった。