Tue 100706 河口湖合宿が終わって3日が経過 阪和線での出会い その後、風邪をひく
7月30日に河口湖合宿から帰り、すでに3日が経過する。その間に大学学部時代のゼミ同窓会があったり、その2次会・3次会で泥酔して、その二日酔いのせいで翌日が丸々1日潰れたり、要するにずいぶん若々しい日々が戻ってきた。
毎年、河口湖合宿で今井君は一気に若返る。17歳18歳の若者たちと10日間も寝食を共にすれば、それで気が若くならないほうが不思議である。ま、それは大いに素晴らしいことであるが、河口湖合宿が終わってしまった後の寂寥感は予想以上に大きい。
「今年の夏は終わりました」というセリフは、甲子園大会閉会式でのNHKアナウンサーの定番であるが、今井君にとっては7月30日の合宿閉講式がそれにあたる(ようになってしまった)。
さて、7月14日に戻ろう。深夜、和歌山から難波まで帰らなければならないのだが、もうJR線の特急は全て終わっている。南海は相変わらず土砂崩れで不通のまま「復旧のメドはたちません」をやっている。仕方なく乗ったのが、JR阪和線の天王寺行き快速電車。車両全体がライトブルーに塗りたくられた、大昔の国電である。
20歳代の人は知らないかもしれないが、国鉄時代、首都圏や関西圏の通勤電車を「国電」と呼んだ。国鉄の電車だから国電。単純だが、いい名称だった。JRに民営化されたとき、国電の名称も変えようということになった。
一般公募し、民営化されるのだから「民電」でいいだろうという投げやりな結論で落ち着きかけていたのを、何故か音楽家の小林亜星がシャシャリ出てきて、「E電」というおかしな名前に決まってしまった。余りに恥ずかしいので「E電」などと呼ぶ人は(小林亜星以外には)誰もおらず、結局そのまま名称が決まらずに20数年が過ぎ去った。
(河口湖合宿の記憶 富士山を覆う怪しい黒雲2)
天王寺行きの阪和線は、何を隠そうその国電だかE電だかの成れの果てである。スカイブルー一色に塗りたくられた車体は、大昔の京浜東北線や京葉線、関西では京都⇆西明石を走っていた電車のものである。
何の因果でこんな嵐の夜に30年近く前の亡霊のような電車に乗らなければならないのかわからないが、とにかく「これしかない」というのだから、やむを得ないものはやむを得ない。
和歌山で電車に乗りこんですぐ、ついさっきまで和歌山での講演会に出席していた高校生3人に声をかけられた。「公開授業、出席していました」「ものすごく楽しかったです」という男子3名は、夢中で「なぜ楽しかったか」「どう楽しかったか」を語りはじめ、周囲のお客はそれを面白そうに聞き入っている。
だれでもわかるだろうが、こういうのはたいへん誇らしい。ニヤニヤ笑って遠巻きにしているだけとか、ついこの間の中央線車内でのように、目の前にいるのにツイッターで感動なりビビリなりを呟くようなのは、今井本人としてはつまらないことこの上ない。
(河口湖合宿の記憶 深夜、音読に励む)
ただ、少なからず心配である。この日の和歌山は、この時間帯になっても雷鳴が轟き、雷鳴を伴わないナヨナヨした稲妻も、絶え間なく空を行き来していた。いつまたゲリラ豪雨が襲ってこないとも限らない。
夕方目撃した山中渓の濁流だって、おさまってはいないだろう。いつ彼らが帰宅できなくなるか、ハラハラしながら彼らの陽気な話に耳を傾けていなくてはならないのである。
講演会後、ウワバミどんは和歌山の塾長先生に連れられてお寿司を食べ、銘酒「黒牛」を2本も飲んできた後だ。すっかり酔っ払って上機嫌になっている。それより、なぜキミたちは和歌山駅に残っていたんだね。
まあ「感動を互いに語り合っていた」ということだろうが、本来そんなことをしていてはイケナイはず。今井君は、確か「走って帰って、今夜からすぐに本格的な学習に取りかかりなさい」と言っておいたはず。電車の中で、思わずお説教が始まりそうになり、しかしちょうどいいタイミングで彼らの下車駅に到着し、お説教が炸裂する直前に彼らは感動しながら家路についた。
(河口湖合宿の記憶 クラス閉講式、開始直前)
その後、天王寺まで1時間半かかり、天王寺から地下鉄御堂筋線に乗り換えて、ようやく難波にたどり着いた。日付はとうの昔に変わってしまっている。
ホテルのエレベーターでインド人の集団が妙に身体を押しつけてきて、これがまた癪に触り、癪に障った分だけ疲労も増した。せっかくの難波の夜なのに、もう道頓堀にくりだす勢いは全くない。「ま、こういう日もあるものだ」と自分に言い訳して、この日はそのまま眠ることにした。
で、この夜にたいへんな風邪を引いた。翌日15日起床の段階で喉が言語道断に痛かったし、おそらく高熱が出ていて、目の前が何だか曖昧に泳いでいるようだった。熱のせいで右肩の関節が痛かった。その風邪が、もう半月たっても完治していない。それが、3日前の記事で書いた河口湖合宿中の惨状だったのである。
1E(Cd) Madredeus:ANTOLOGIA
2E(Cd) Alban Berg Quartett:SCHBERT/STRING QUARTETS 12 & 15
3E(Cd) Alban Berg Quartett:SCHBERT/STRING QUARTETS 12 & 15
4E(Cd) Alban Berg Quartett:SCHBERT/STRING QUARTETS 12 & 15
total m24 y1072 d5171
毎年、河口湖合宿で今井君は一気に若返る。17歳18歳の若者たちと10日間も寝食を共にすれば、それで気が若くならないほうが不思議である。ま、それは大いに素晴らしいことであるが、河口湖合宿が終わってしまった後の寂寥感は予想以上に大きい。
「今年の夏は終わりました」というセリフは、甲子園大会閉会式でのNHKアナウンサーの定番であるが、今井君にとっては7月30日の合宿閉講式がそれにあたる(ようになってしまった)。
(河口湖合宿の記憶 富士山を覆う怪しい黒雲。今年はこういう空の日が続いた)
さて、7月14日に戻ろう。深夜、和歌山から難波まで帰らなければならないのだが、もうJR線の特急は全て終わっている。南海は相変わらず土砂崩れで不通のまま「復旧のメドはたちません」をやっている。仕方なく乗ったのが、JR阪和線の天王寺行き快速電車。車両全体がライトブルーに塗りたくられた、大昔の国電である。
20歳代の人は知らないかもしれないが、国鉄時代、首都圏や関西圏の通勤電車を「国電」と呼んだ。国鉄の電車だから国電。単純だが、いい名称だった。JRに民営化されたとき、国電の名称も変えようということになった。
一般公募し、民営化されるのだから「民電」でいいだろうという投げやりな結論で落ち着きかけていたのを、何故か音楽家の小林亜星がシャシャリ出てきて、「E電」というおかしな名前に決まってしまった。余りに恥ずかしいので「E電」などと呼ぶ人は(小林亜星以外には)誰もおらず、結局そのまま名称が決まらずに20数年が過ぎ去った。
(河口湖合宿の記憶 富士山を覆う怪しい黒雲2)
天王寺行きの阪和線は、何を隠そうその国電だかE電だかの成れの果てである。スカイブルー一色に塗りたくられた車体は、大昔の京浜東北線や京葉線、関西では京都⇆西明石を走っていた電車のものである。
何の因果でこんな嵐の夜に30年近く前の亡霊のような電車に乗らなければならないのかわからないが、とにかく「これしかない」というのだから、やむを得ないものはやむを得ない。
和歌山で電車に乗りこんですぐ、ついさっきまで和歌山での講演会に出席していた高校生3人に声をかけられた。「公開授業、出席していました」「ものすごく楽しかったです」という男子3名は、夢中で「なぜ楽しかったか」「どう楽しかったか」を語りはじめ、周囲のお客はそれを面白そうに聞き入っている。
だれでもわかるだろうが、こういうのはたいへん誇らしい。ニヤニヤ笑って遠巻きにしているだけとか、ついこの間の中央線車内でのように、目の前にいるのにツイッターで感動なりビビリなりを呟くようなのは、今井本人としてはつまらないことこの上ない。
(河口湖合宿の記憶 深夜、音読に励む)
ただ、少なからず心配である。この日の和歌山は、この時間帯になっても雷鳴が轟き、雷鳴を伴わないナヨナヨした稲妻も、絶え間なく空を行き来していた。いつまたゲリラ豪雨が襲ってこないとも限らない。
夕方目撃した山中渓の濁流だって、おさまってはいないだろう。いつ彼らが帰宅できなくなるか、ハラハラしながら彼らの陽気な話に耳を傾けていなくてはならないのである。
講演会後、ウワバミどんは和歌山の塾長先生に連れられてお寿司を食べ、銘酒「黒牛」を2本も飲んできた後だ。すっかり酔っ払って上機嫌になっている。それより、なぜキミたちは和歌山駅に残っていたんだね。
まあ「感動を互いに語り合っていた」ということだろうが、本来そんなことをしていてはイケナイはず。今井君は、確か「走って帰って、今夜からすぐに本格的な学習に取りかかりなさい」と言っておいたはず。電車の中で、思わずお説教が始まりそうになり、しかしちょうどいいタイミングで彼らの下車駅に到着し、お説教が炸裂する直前に彼らは感動しながら家路についた。
(河口湖合宿の記憶 クラス閉講式、開始直前)
その後、天王寺まで1時間半かかり、天王寺から地下鉄御堂筋線に乗り換えて、ようやく難波にたどり着いた。日付はとうの昔に変わってしまっている。
ホテルのエレベーターでインド人の集団が妙に身体を押しつけてきて、これがまた癪に触り、癪に障った分だけ疲労も増した。せっかくの難波の夜なのに、もう道頓堀にくりだす勢いは全くない。「ま、こういう日もあるものだ」と自分に言い訳して、この日はそのまま眠ることにした。
で、この夜にたいへんな風邪を引いた。翌日15日起床の段階で喉が言語道断に痛かったし、おそらく高熱が出ていて、目の前が何だか曖昧に泳いでいるようだった。熱のせいで右肩の関節が痛かった。その風邪が、もう半月たっても完治していない。それが、3日前の記事で書いた河口湖合宿中の惨状だったのである。
1E(Cd) Madredeus:ANTOLOGIA
2E(Cd) Alban Berg Quartett:SCHBERT/STRING QUARTETS 12 & 15
3E(Cd) Alban Berg Quartett:SCHBERT/STRING QUARTETS 12 & 15
4E(Cd) Alban Berg Quartett:SCHBERT/STRING QUARTETS 12 & 15
total m24 y1072 d5171