Mon 100628 京都南禅寺界隈で花菖蒲を見る 岐阜の高級焼肉店に連れていってもらう | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 100628 京都南禅寺界隈で花菖蒲を見る 岐阜の高級焼肉店に連れていってもらう

 さて、6月18日にもどるが(スミマセン、おなじみの「昨日の続き」でございます)、奈良で公開授業をした後は京都に戻ってウェスティンホテルに宿泊した。「ブライトンがそんなに好きなのに、なぜ?」であるが、ウェスティンも好きなのだから、これもまた仕方がない。特に6月のウェスティンに泊まれば、東山の美しい新緑が満喫できる。南禅寺を中心に哲学の道あたりを歩き回れば、アジサイも花菖蒲もちょうど見頃。夜に出歩くことが出来れば、ホタルとの遭遇も期待できる。
あじさい1
(6月中旬、京都大原のアジサイ 1)

 6月18日は、京都に少し早めに着いて、ウェスティンからタクシーで大原の三千院に向かった。ちょうどアジサイ祭の開催中で、のんびりアジサイをみて、ソバにおでんを食べて、呂川に沿って山をブラブラ下りていくのも悪くないと思ったのである。ただし、この時はまだアジサイには早すぎた。新緑に埋もれて、まだ薄緑色のアジサイが、「まだ早すぎますかね」と遠慮がちにみんなで首をすくめているだけであった。
 それでも、花菖蒲は確かに満開であった。このところNHKで東山南禅寺界隈の大邸宅と大庭園を何度か特集したせいもあって、非公開の庭園をチラ見してみたい中高年観光客で散歩道は早朝から混雑している。奈良講演会の翌朝9時過ぎ、ウワバミどんも蹴上のウェスティンホテルから野村美術館周辺を散歩してみた。
あじさい2
(6月中旬、京都大原のアジサイ 2)

 異様に湿度の高い朝で、濃い新緑の東山からはミストサウナも顔負けなほどの湯気が濛々と上がっていた。南禅寺を右に、東山高校の手前まで5分ほど。東山高校はレッドソックス・岡島投手の出身校である。野村美術館を左に見ながら右折すると、舗装されていない細い散歩道に入る。NHKが特集した大邸宅に大庭園が連なるのはこのあたりである。
 「散歩道」とは観光客の立場からの都合のいい解釈であって、こんな静かな生活圏にヨソモノがゾロゾロ入り込んできたら、地元のヒトの迷惑ははかりしれない。遠慮会釈のない大声で解説するガイド、不必要に騒がしい声で自らの感動を語るオバサマ集団。ペットボトルもポイポイ気軽に捨てられる。「そんなもの、そこに捨てられたら困ります」と地元のヒトが静かに指摘しても、「チョー、ムカつくぜ」と吐き捨てるか、もっと悪いのは「完全無視」。無視したあげくの果て、「ヒトがせっかく静かに風情に浸っているのに、突然横からそんな注意をするのは失礼だ」「観光客の心を踏みにじる京都のヒト」みたいな話を、新聞に投書するなりTWITTERで呟くなりして、それで鬱憤ばらしをした気になる。
湯気
(大原の山からも湯気が上がっていた)

 かく言う今井君も、「さぞかし地元のヒトは迷惑だろうなあ」と考えながら、結局は無遠慮に静かな邸宅街を歩き回ったのだから、五十歩百歩というか、同じ穴のムジナというか、その程度のシロモノである。「恐る恐る」「ビクビクしながら」という変にへりくだった態度以外は、大声で語り合っているオジサマオバサマ集団と何ら択ぶところがない。
 評判の花菖蒲は、高い垣根越しにわずかに覗き見できるばかりである。花は「意外に大胆な深窓の令嬢」のイメージで、高い垣根に守られ、安心しきってワラワラ咲き乱れている。そもそも、花菖蒲とかアヤメとか、あの種の花はダラシないほど大胆なのだ。白い花も、薄青い花も、濃い紫の花も、草食動物の舌を思わせる外側の大きな花弁を(実は花弁ではないのかもしれないが)シマリなくダラリと垂らして、京都の初夏の蒸し暑さに喘いでいる様子。キリッと冷房の効いた部屋の中から眺める分には涼やかなイメージだが、湯気の上がるような湿気の中でワラワラ喘いでいる姿をみると、思いがけない媚態を垣間みてしまったようで、むしろこちらが恥ずかしくなる。
 まあ、6月の京都ではそういう散歩をして楽しんだ。7月の京都では祇園祭の山鉾巡行は見逃すことになってしまったが、熊本マリのコンサートも間近で聴けたし、嵯峨野の人力車君の「今井先生ですか」にも遭遇できた。出張の連続というのも、こうして楽しみ尽くす気力があれば決して悪いことはないのである。
あじさい3
(ガクアジサイ、京都)

 翌日(7月9日)は大垣で講演会。講演会の中身については、写真も掲載しながら後日詳しく書くことにする。雨の中、新幹線で京都から移動、名古屋マリオットに宿泊した。講演会終了後、岐阜の焼き肉屋さんでスタッフの皆さんと食事会。滅多に食べられない高級な牛肉が目の前にズラリと並んだのだったが、何しろ今井君は育ちが豊かではないから、肉は高級でないほうが好きなのだ。つまり「アブラの甘味が最高」とか「口に入れた瞬間に融けてしまうほど」みたいな高級肉は、どうもダメなのである。
 肉は、固くて、アブラなんか全くなくて、噛んでも噛んでもまだ固くて、「どうだ、オレみたいな固い頑固な肉を、食えるもんなら食ってみろ」というような、強くて依怙地な意地っ張りの肉でなければならない。理想は、昨年の夏に何度か通った西麻布「またぎ」の熊の肉である。普通サイズの肉5~6枚を、こちらも意地になって噛んで噛んで噛みまくって、それだけのことでアゴのあたりが筋肉痛になった。
 「そういう肉のほうが好きだ」という日本人は絶対にたくさんいるはずなのだが、「あまーい」「やわらかーい」というグルメ番組の洪水に辟易して、今はみんなどこかに潜伏、あるいは逼塞しているのだろうと思う。不用意に「かたい肉のほうが好きだ」などと言ってしまったら、「ウソでしょお?」「マジっすかあ?」と変人扱いされかねない状況では、なかなかホントのことを言い出せないのは仕方がないことである。

1E(Cd) Holliger & Brendel:SCHUMANN/WORKS FOR OBOE AND PIANO
2E(Cd) George Benson:ABSOLUTE BENSON
3E(Cd) Argerich:RACHMANINOFF 3/TCHAIKOVSKY 1
4E(Cd) Ricci:TCHAIKOVSKY CONCERTO/PAGANINI CAPRICES
total m118 y1040 d5139