Mon 100614 感動が大きかったとき、若者はどんな行動に出るべきか 諸君、肉を食おう | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 100614 感動が大きかったとき、若者はどんな行動に出るべきか 諸君、肉を食おう

 昨夜(書いている時点で6月30日夜10時前です)、朝2時までサッカーに絶叫し、そのあと興奮冷めやらぬまま、朝5時まで重い雨の音を聞いていた。ふと意識を失うように眠りにおち、蒸し暑さに目が覚めるとすでに11時半。マトモな人間の1日の活動時間はもう半分過ぎ去って、サッカー観戦とともに消費したアルコールだけが、まだ肉体も精神も支配していた。
 ビール700mlから始まって、日本酒600ml、続いて焼酎200ml、締めくくりに赤ワイン600ml。それぞれ概算ではあるが、20歳を過ぎたばかりでまだ酒に弱いヒトなら、意識不明に陥って救急車で病院に搬送される量。十分に「急性アルコール中毒」と判定されうるアルコール量である。そういう量を何とも思わなくなるほど、久しぶりにウワバミどんは感動したのである。
 素直さから遠く離れて生きてきたクマどんは、「感動をありがとう」「勇気をもらった」「元気をもらえた」の類いの発言が、ことごとくイヤであり、ことごとく恥ずかしいものだと信じてきた。しかし昨夜について言えば、まさに人生に何度あるかわからないほど「感動をもらってしまった」と言っていい。
 サッカーの中身について、それ以上くわしいことを発言する必要はない。プロもアマチュアもひっくるめて、日本中に1億人も存在する自称サッカー解説者たちが、著書やブログやツイッターやあらゆるメディアを利用して発言しているはずだ。「どれほど日本選手が素晴らしかったか」「どれほど駒野が泣かなくてもいいか」「どれほど岡田監督を見くびっていたか」「どれほど本田と川島と松井と長友が成長したか」「どれほど長谷部と遠藤のリーダーシップが優れていたか」その他、シロートの今井君が気づかないフォーメーションや控え選手の精神面での活躍について、微に入り細をうがって説明に努めているに違いない。おお、いいチームだった。
肉を食おう1
(諸君、感動したら肉を食おう。ブダペスト市民市場にて 1)

 今のクマどんが思っているのは、「駒野は、倒れるほど飲んだだろうか」「その席で、どれほど皆が黙り込んで、唇をかみしめつつ激しい感激に浸っただろうか」「パラグアイの選手たちをもっと称賛すべきではないか」の3点である。
 特にパラグアイの選手たちの健闘について、日本のメディアは絶賛の声をおくるべきである。120分にわたるあれほどの死闘が過ぎて、後味の悪い記憶が1つも残らないのは、パラグアイの選手たちの大健闘のおかげである。日本選手だけでなく、彼らの表情の中にも久しぶりにホントのひたむきさを見たように思った。
 昔から今井君はバカなので、野球でも何でもホンキで応援したチームが負けてしまい、それこそ「感動をもらう」経験をすると、外に飛び出してトレーニングを開始するクセがあった。小中学生の頃なら、遠投の練習か、バットの素振りである。高校野球の地元チームが負けた日は、日が暮れるまでバットの素振りを繰り返した。
肉を食おう2
(諸君、感動したら肉を食おう。ブダペスト市民市場にて 2)

 中2の冬、大雪が降った。ある午後、どんな種目で誰が負けたのだったか記憶にないが、とにかく悔しくて、感動も頂点に達し、日が暮れるまで遠投の練習に励んだ。チャンとボールで練習すればよかったのに、ボールだと拾いにいかなければならないのが面倒だったので、ボールの代わりに雪玉を握って投げた。握っては遠投、握っては遠投、気がつくと日はトップリと暮れて夜8時、右も左も素手のままで、真っ赤に腫れ上がっていた。
 雪玉は水のカタマリだから、野球のボールよりずっと重い。あの1日で肩をすっかり壊してしまい、あれ以後はあまりボールを続けて投げられなくなった。しかし少なくとも遠投力だけは抜群になって、センターからキャッチャーへの直球ストライクや、サードからファーストへの送球の速さで、たくさんの仲間を驚かせた。
 あんな無理をすると、コグマどんみたいに肩を壊してそれで終わりになるから、ホントに無理だけはいけないけれども、若い男子諸君、女子諸君、「感動をもらった」というなら、今晩も明日の晩も、思い切り暴れてみたらいい。もちろん、その暴れ方が渋谷や道頓堀の若者のようであってはならないので、野球部の諸君は今日も明日も明後日もバットの素振りを1000回でも1500回でも好きなだけやればいいし、テニス部もラグビー部も、夜が明けるまで走り込めばいい。倒れるまで腕立てに腹筋を繰り返してもかまわない。
 いや、そんなことはクマどんが勧めるまでもない。おそらく今日の部活はそういうふうだったに違いない。諸君、それを実行した諸君はたいへん頼もしい。コーチの制止を振り切ってそのぐらい暴れる若者でなければ、将来の日本もアジアも世界も託すことは出来ない。悔しいとき、感動したとき、思わず外に飛び出して、力のかぎり正しく暴れ回りたまえ。走り、鍛え、激しく前進すればいい。
肉を食おう3
(諸君、感動したら肉を食おう。ブダペスト市民市場にて 3)

 知的に卓越した人物と遭遇し、自分との隔たりの大きさにショックを受けて「思わず朝までセッセと勉強」という経験もあるはず。まだその経験がないのは、不幸である。そういう時、少なくとも若かった今井君は「高校の図書館の本を全部読み尽くすぞ」と宣言したり、「世界中の言語で読書しまくるぞ」と友人に宣言したり、音楽や演劇や映画に奔走したり、今思えばこれ以上恥ずかしいことはありえない、激しい燃え上がり方をしたものである。
 諸君、どうだい、あのサッカーの翌日こそ、その類いの燃え方を経験してみる好機ではないか。本も、演劇も、音楽も、本来そういう炎の対象になるべきものではないが、そんなに冷静に醒めてしまっていては、燃える楽しさも中ぐらいで終わってしまう。
 だから、あなたが今もし受験生なら、今晩も明日の晩も、ひたすら英語の音読に励みたまえ。単語集の例文でかまわないから、CDを聞いては音読し、聞いては音読し、聞いては音読し、聞いては音読し、聞いては音読し、聞いては音読し、聞いては音読し、聞いては音読し、聞いては音読し、聞いては音読し、聞いては音読し、聞いては音読し、聞いては音読し、聞いては音読し、聞いては音読し、聞いては音読し、聞いては音読し、聞いては音読し、聞いては音読し、聞いては音読し、聞いては音読し、気がつくと夜が明けかかっている。単語集のページは一晩で50ページも進んでいる。
 スズメがさえずり、カラスが鳴き交わし、草の葉には大きな朝露が光り、草むらに小さなカエルが跳ね、鮮やかなチョウが湿った羽を朝日の中で乾かし、おお、もうすっかり朝である。そういう朝を明日も明後日もその次の朝も、継続できるかぎり継続したまえ。
肉を食おう4
(諸君、感動したら肉を食おう。ブダペスト市民市場にて 4)

 そういうエネルギーの爆発こそ、必ずや実を結ぶ輝かしい記憶となるのである。昔なら、そこに冷たい牛乳を配達する牛乳屋さんが自転車で訪れ、一息で飲みほす冷たい牛乳こそが思い出の焦点になったものである。
 よし、諸君、肉を食おう。ウシ、ブタ、トリ、何でもかまわない。ガンガン肉を食って、豪雨の中で乱舞して、投げ、歌い、走り、絶叫しよう。クマ、シカ、イノシシ、何でもいいから、とにかく肉を食おう。肉を焼いて食おう。食って、食って、食って、エネルギーの塊になって、いつか必ず勝とう。
 あれま。どうしちゃったの? 日本食肉協会の回し者みたいじゃないか。ま、いっか。こういうわけで、本日の写真は全てブダペスト市民市場の食肉売り場のもの(2009年12月22日)。本来ならブログでここを訪れる前に「登山電車」「王宮のラビリンス」の紀行文を書かなければならないのだが、感動のあまり、あえて順番を無視した。
 若い諸君に、いわゆる「ガッツリ」肉を食べて、どんな世界でもいいから、「いつか爆勝する」という決意とともに、いますぐ走り出してほしい。そのために絶叫してほしい。草食系とか呼ばれて半分バカにされているのは、もうここでヤメにしてほしい。そういうことを言いたかったのである。

1E(Cd) Dorati & Washington D.C.:TCHAIKOVSKY/SYMPHONY No.4
2E(Cd) Barenboim & Chicago:TCHAIKOVSKY/SYMPHONY No.5
3E(Cd) Gergiev & Kirov:TCHAIKOVSKY/SYMPHONY No.6
4E(Cd) Argerich, Chailly & RSO Berlin:
TCHAIKOVSKY/PIANO CONCERTO No.1
RACHMANINOV/PIANO CONCERTO No.3
5E(Cd) Gergiev & Kirov:RACHMANINOV/SYMPHONY No.2
total m51 y973 d5072