Sat 100529 ホロ酔いで夜景を満喫 ドナウ河の水辺まで降りてみる ダニューブって? | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 100529 ホロ酔いで夜景を満喫 ドナウ河の水辺まで降りてみる ダニューブって?

 午後4時にはもう夜が更けて、王宮もマーチャーシュ教会もみんな深夜の雰囲気に変わる。陽が沈んで、ドナウ河の向こう側でバラ色に染まっていた国会議事堂が闇に沈むと、「ぬるくゆるびもていけば、わろし」だった風景は一気にキュッと引きしまり、「さあこれから夜景を楽しむぞ」と気合いが入るほど空気が澄みわたってくる。
 ただし、空気も風景も澄みわたり引き締まっても、酔っ払いの気持ちは一向に引き締まらない。ススキに月見ダンゴを前にした平安貴族の皆様も、きっとお酒を飲みすぎて月にウサギがお餅つきの幻を見たのだったし、オヒナサマの前で赤い顔をしていた右大臣も「すーこし白酒めされた」せいで、ワラベたちに「あーかいオカオの右大臣」と囃されるハメになってしまった。
 では、そうやって酒に緩んだ精神のオジサマたちが悪いのかと言えば、悪いのはオジサンを待たせ放題に待たせた月や雪や桃の花のほうである。月見、雪見、花見、紅葉狩、そういうお楽しみには、人間がゆっくり待ってあげる時間にすべてがあるので、待つ時間の長さと、酒の酔いと、お楽しみの深さと、その3者には正比例の関係がある。耐え忍ぶ時間のないところに大きな快感はないのである。
夜の漁夫ちゃん
(午後5時、ブダペスト旧市街「漁夫の砦」)

 以上、ワケの分からない言い訳を延々と考えつつ時間は過ぎていき、午後4時に店の外に出てみるとホントにもう夜中である。街灯にホッとし、店の窓の明かりにホッとし、ヘッドライトにさえホッとする。いったん融けた雪が再び固く凍って、歩いていく足許でサクサク音をたて、ジャクジャク砕け、別の場所ではツルツル滑ってたいへん危険である。
よるの店
(この時間までですっかり酔っ払うことになったお店)

 「漁夫の砦」に出てみると、ブダペストの夜景は酔っ払った目にも、厳しく冴えわたって、鮮やか。絵ハガキの写真にはどうしても鎖橋しか登場しないけれども、橋それ自体よりも、橋の灯りを映してゆらゆら揺れるドナウ河の水面のほうが今井クンは好きだ。「オジサンなんかに好かれちゃ困る」と言って水面クンがイヤがる可能性もあるが、とにかくその水面の美しさが写真では伝えられないのが残念である。
漁夫ちゃん
(漁夫の砦からの夜景 1)

 ゆらゆら揺れて見えるのは鎖橋の近くの水面ばかりではなくて、その向こうにほぼ等間隔に並んでドナウ河を渡るすべての橋の下の水面が、同じように揺れながらきらきら光ってキレイである。せっかくだから、水面まで降りてみたいと思う。漁夫の砦から写真を撮りまくり、高台からの夜景を大いに堪能した後は、16番のバスで河べりまで降りていくことにした。
橋の夜景1
(漁夫の砦からの夜景 2)

 この時の16番バスの驚くべき混雑ぶりは、今回のブダペスト旅行で「市民市場探検」と並んで最も楽しい記憶の一つである。まるで貨物のように人間を詰め込めるだけ詰め込んで、曲がりくねった山道を実に乱暴にクネクネ走り降りるのであるが、他の乗客も例外なくニヤニヤ笑っている。「うわ、まだ乗るの?」「うわ、まだクネクネするの?」と嬉しそうに顔を見合わせては、このクネクネに耐えるのだ。
橋の夜景2
(鎖橋を徒歩で反対側にわたる。丘の上の王宮がライトアップされて夜景に加わる)

 酔っ払いとは滅多なことでは懲りないもので、再び息が止まるほどの寒風に吹かれながら、鎖橋を徒歩で渡った。渡り終えたところに川辺に降りる石の階段があって、さすがにヒトの気配は皆無である。川辺には昨日の雪が残っていて、想像した通り、滔々と流れるドナウ河の向こうにライトアップされた王宮が美しい。鎖橋それ自体も、この角度からが一番キレイに見えるように思う。
 それより何より、ドナウ河の水に感動するのである。ウィーンを通り、ブダペストを通り、ベオグラードを通り、ルーマニアを横断して、やがてゆったりと黒海に流れ込むのだ。「黒海」と聞いてグルジア出身のヒゲの濃い大相撲の力士しか思い浮かばないようなオカタは別として、ドナウ河はライン川と並んで、国際法のモトになった2大国際河川である。
橋の下
(鎖橋の下で、酔っ払いはドナウの水に感動する)

 大学で国際法を勉強すると、ドナウ河は英語式にダニューブ河として登場し、英語帝国主義嫌いの人間を大いにムカつかせる。ダニューブだなんて、天国のヨハン・シュトラウスにどう言い訳するつもりだ。何がダニューブだ。良心的な日本人なら、意地でもドナウで通したいのである。
 そう考えて、「国際法の授業なんか絶対出てやるか」と決意し(たわけでもなかったが)、一橋大学からわざわざ早稲田大学政経学部の授業にやってきてくれていた(確か土曜日の3時間目だった)皆川洸教授の授業にも、夏までしか出なかった。学部3年の時のことであるが、要するに小学生の頃の「ぜんそく&昼のプレゼント」の怠けグセ、またはビョーキが再発しただけのことである。
 では、授業をそうやってボイコットしてどんな生活をしていたかと言えば、「下宿で寝ていただけ」である。その様子は昨年5月の当ブログ「松和荘時代シリーズ」に微に入り細をうがって説明したから、今日は省略。昨年5月、フランクフルトに13連泊してライン河を旅しながら、深夜から早朝にかけてホテルでノッソリ起き出して、大学学部時代のミジメな生活ぶりをあんなに詳しく思い出して書いていたのかと思うと、我ながら驚嘆に値する。
 もっとも、「ドナウをダニューブだなんて」からはじまる英語帝国主義ギライは、あの当時も今も変わらない、苦々しい思いで一杯である。あの頃、ドイツ語やフランス語の教授たちは、みんな苦虫を噛みつぶしたような表情で「英語式の発音はおヤメなさい」「英語式に、いちいち口をネバつかせて発音することは間違いです」と授業中にも露骨な敵意をこめておっしゃったものだ。
 何でも英語式発音、「結局、英語で何でも通じるんだから、英語だけでいいんじゃね?」、そういう考え方のせいで、何だか「世界中みんな一緒」でつまらなくなった。「人類みな兄弟」「世界は1つ」「人類も1つ」なのは素晴らしいことだとしても「ダニューブ」やそれに類したことはヤメにしたほうがいい。ついでに、最近日本中どこに行っても聞こえてくる中国語と韓国語のアナウンスも、正直言ってやりすぎにしか思えない。
夕景
(ドナウの夕景。どうしても「ダニューブ」なんかではない)

 諸君、タマには英語式発音を忘れて、気分転換にポルトガル語の音楽でも聞きたまえ。オススメ・アーティストはMadredeus。アルバム名「Anthologia」または「Ainda」。特に「O Tejo」「Ainda」の2曲で、人生が変わるかもしれない。ともにiTunesでカンタンに手に入る。

1E(Cd) Rubinstein:CHOPIN/MAZURKAS 2/2
2E(Cd) Karajan:BACH/MATTÄUS PASSION 3/3
3E(Cd) Münchinger & Stuttgart Chamber:BACH/MUSICAL OFFERING
6D(DMv) OCEAN’S THIRTEEN
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