Fri 100528 ぬるくゆるびもてゆけば、わろし 夜景を待ちながら、飲むべき酒を考える | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 100528 ぬるくゆるびもてゆけば、わろし 夜景を待ちながら、飲むべき酒を考える

 こういうふうで(スミマセン、昨日の続きです)、12月20日の旧カニ蔵の行動は、たいへん限定されたものになった。昼直前にホテルを出て、市電を乗り継いで国会議事堂前へ。美しい国会議事堂と、誰も見ていないクリスマスツリーと、ほとんどヒトのいない国会議事堂前のクリスマス市をブラブラする。暖かくなって、だんだん雪も融けてきた。残念でならない。
 やっぱり「冬はつとめて」であって、「ぬるくゆるびもてゆけば、わろし」である。今井クンは「ひろし」であって「わろし」ではないが、そんなことはどうでもいいとして、枕草子の清少納言チャンにブツブツ言われるまでもなく、冬は寒いほうがいいのである。「火桶の火も白き灰がちになりて」ではやっぱり「わろし」だ。
 キリッと寒くて、炭火でもローソクの炎でも火桶の火でも、寒さのおかげで真っ赤に染まり、その赤さが忘れられないほど鮮やかに冴える。昼が近づき、気温が上がり、屋根の雪が滴になってポタポタ軒から垂れ、ネコが縁側で居眠りを始める。コタツの上では食べかけのミカンが乾いてしまい、そろそろ一杯ぐらい飲んでも文句を言われる心配もない。テレビでは正午のニュースが終わって、「昼のプレゼント」が始まる。そういうのは「わろし」である。
議事堂
(晴天の国会議事堂とクリスマスツリー)

 なお、「昼のプレゼント」というのは30年ほど前まで、NHKの平日12時20分から45分までを飾った名物番組。今は同じ時間帯に「ふるさと一番」というのをやっているが、昔の「昼のプレゼント」は、毎回ゲスト歌手が真っ昼間から濃厚な演歌を唸ってみせるほどの本格的バラエティであった。うわばみチャンは、今でもそのテーマ曲を歌える。
 小学生時代のうわばみチャンは、体育の跳び箱や鉄棒がイヤで、「ぜんそく」を口実によく学校をズル休みした。そういう日には必ず「昼のプレゼント」を見た。小学4年から5年にかけて、まず担任の先生が大嫌い(家庭科とダンスが専門のヒトだったが)。跳び箱とマット運動と鉄棒も大嫌い。「友情の輪を広げよう」という学校の標語も大キライで、ぜんそくを口実にした「ズル休み」は、一度味をしめてしまうと、もうヤメられなくなった。
漁夫の砦
(ブダペスト旧市街「漁夫の砦」)

 「ズル」以外に、実際に秋口になると、呼吸困難に至るほどの激しいぜんそくの発作に襲われることがしばしばだった。そういう時にも「昼のプレゼント」を見た。呼吸困難に陥るのは、9月下旬から10月いっぱい、よく晴れた涼しく爽快な秋の日である。今井どんがいまだに夜や吹雪や大雨が大好きで、「よく晴れた爽快な朝」を嫌うのは、当時のトラウマのせいがあるかもしれない。秋の快晴=呼吸困難。秋晴れの1日=ズル休み。爽快な晴天=昼のプレゼント。そういうとき、秋ではあっても「ぬるくゆるびもてゆけば、わろし」とひろしクンは考えたものである。
遠景
(漁夫の砦からのドナウ河と、国会議事堂の遠景)

 さて、ブダペストに戻ろう。そこにはすっかりオジサンになり、ぜんそくに苦しんだ子供時代のヒヨワさなど微塵もない大グマが、美しい国会議事堂の前に驚嘆して立ち尽くしている。「国会議事堂ガイドつきツアー」というのもあって、数名のヨーロッパ人が列を作っているのかいないのか、どっちなのかよくわからない微妙な表情で、雪の積もった議事堂入り口に集まっている。しかし旧カニ蔵はこの種の「覗き見ツアー」は苦手。ジュネーブの国連ヨーロッパ本部ツアー、パリのオペラ座ツアー、そういう舞台裏覗き見タイプの観光は全て敬して遠ざけている。
 再び市電に乗って、鎖橋のたもとまで戻る。晴天の鎖橋をまたまた徒歩で、ドナウ河の向こう側にわたった。16番バスがすぐにやってきて、昨日は吹雪の中で何も見る気にならなかった旧市街の丘の上に上がった。丘の上からブダペスト市街を見晴らすと、ドナウ河の向こうに、さっきの国会議事堂が美しく見おろせる。
バラ色に
(夕陽に染まる国会議事堂、遠景)

 「漁夫の砦」から見おろす国会議事堂が一番美しい。午後2時、次第に夕暮れが近づいて、国会議事堂の壁が白からピンクに、または赤の強いオレンジ色に、最も正確にはバラ色に染まっていく光景については、筆舌に尽くしがたい。beyond descriptionである。おお、さすがカリスマ♡講師である。最近はそこいら中にカリスマがいて、むしろカリスマでない講師を見つけることのほうが難しいぐらいだが、「筆舌に尽くしがたい」とか、そういう死語を臆面もなく平気でつかってみせる勇気がないと、なかなかホントのカリスマ♨にはなれないものである。
カフェ
(ブダペスト旧市街のカフェ。相変わらず、ホットワインを2杯。狭いが、いい店だった)

 ま、何だかワケの分からないバカ話はこのぐらいにして、実は今日の予定の最大の部分はこのあとから始まる。ブダペストの冬の夜景を「漁夫の砦」から満喫しようというのである。しかし、「夜景を満喫」するためには、夜になってもらわないと困る。「夜から砦にくればいいじゃないか」などという至極当然な意見は、シロートか団体ツアー客のいうことであって、真の意味の「夜景満喫」は、陽がとっぷり暮れるまでカフェやレストランでのんびり過ごす時間つぶしの中にあるのだ。
救われた店1
(昨日の吹雪の中で、グヤーシュに救われた店 1)

 「きっとキレイだろうな」とニヤニヤしながら、真っ暗になるのを待つ。待つには酒がつきものである。ゆっくり待つにはビールみたいに性急な飲み物では趣きに欠けるし、強い蒸留酒では「待つ」より「眠る」ほうに傾きがちであるから、ゆったりと待つ時間に相応しいのはどうしても醸造酒である。世界のどこでも、月が出るのを待ちながら王朝の貴族が傾けるのは、ほんのり甘い醸造酒でなければならない。日本酒かワインの冷たすぎもせず温かすぎもしないのを、笑いさざめきながら1本また1本とカラにしていく時間が「待つ」ということの本質を支える不可欠の部分である。
 そもそも「待つ」という動詞はたいへん不思議なヤツで、文法上「状態動詞」と「動作動詞」のどちらに分類されるのか、ハッキリわからない。英語の侵略に負けずに今も世界に残っている言語のうちで、何%が「状態」に、何%が「動作」に分類しているか、そういうことを調べるのも、学部生のレポートぐらいだったら、いくらか点数稼ぎになるかもしれない。
救われた店2
(昨日の吹雪の中で、グヤーシュに救われた店 2)

 こういうふうで、昨日見かけた雰囲気のよさそうなカフェに入って、あいかわらずホットワインで温まるのもいい。ホテルを出る段階でそれを今日の計画の中に入れておいた。それでも足りなければ、昨日の大雪の中、今井どんを凍死から救ってくれたレストランに入って、グヤーシュスープとワインで時間をツブし、午後4時過ぎぐらいから丘の上からの夜景を満喫しようと考えていたのである。

1E(Cd) Brendel(p) Previn & Wiener:
MOUSSORGSKY/PICTURES AT AN EXHIBITION
2E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN 1/2
3E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN 2/2
4E(Cd) Holliger & Brendel:SCHUMANN/WORKS FOR OBOE AND PIANO
5E(Cd) Indjic:SCHUMANN/FANTAISIESTÜCKE CARNAVAL
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