Thu 100527 吹雪の夜が好きだ 停電の夜が大好きだ 翌日、爽やかな晴天のブダペスト | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 100527 吹雪の夜が好きだ 停電の夜が大好きだ 翌日、爽やかな晴天のブダペスト

 旧カニ蔵は精神年齢が驚くほど低いので、大雪でも大雨でも、降っている最中は何だか嬉しくてたまらない。吹雪なら風が強ければ強いほど嬉しいし、ニュースキャスターが雪の深さについて心配げに顔を歪めれば歪めるほど、ますます心が躍るのを抑えることが出来ない。
 もちろん大きな被害が出るほどのものであっては困るのだが、雪や雨が激しく屋根をたたく音を聞きながら、皆で不安な顔を寄せ集めている非日常性が、子供っぽい気分を昂揚させてくれるわけだ。「まだ止むな」「まだ止むな」と呪文を唱え続けたりする。これに雷が一緒についてきてくれたりすれば、クマどんの昂揚は、映画「台風クラブ」みたいなものになる。
 短時間の停電で、「ローソクはどこだ?」「ローソク、ローソク!!」ということになれば、もう申し分なくて、外は吹雪、窓ガラスがガタガタ揺れて、枝の間を風が吹き抜ける悲鳴のような音がして、しかし家の中は暖かい。ローソクの炎が小学校で習った通りに3層に分かれて燃えるのを見ながら、「ボクは科学者になる」と決意したりする。
国会議事堂とクリスマスツリー
(12月20日、雪があがって快晴のハンガリー国会議事堂)

 要するに「燃えろよ、ペチカ」の世界であって、「作詞した人は、ホントは『ペチカ』じゃなくて『ペイチカ』と発音させたかったんだよ」などという蘊蓄を、ママなりおばあさんなりが語りはじめるのも嬉しい。そうなると今度は「ボクは小説家になる」と決意が急展開して、「囲炉裏火はトーロ、トーロ」「外は吹雪」という幸福に浸るのである。
 そのときテーブルの上に、ミカンか紅茶かオヤツの残りの駄菓子でもあれば、言うことはない。日本では考えられないが、おばあちゃんがトロトロかき混ぜて煮てくれた昼ご飯のスープの残りでもすすっていれば、子供として幸せは絶頂に達する。「もしこのまま吹雪の夜が続いてくれれば嬉しいだろうな」と思わずコブシを握りしめたりするだろう。
 ローソクの赤い炎、壁にうつった大きな影、科学者になる夢、物語を書いて年老いていく夢、暖かいスープ、ミカン、おじいちゃんの昔話。囲炉裏火はトーロトーロで、雪の気配と風の音に聞き入っていればいいので、明日の宿題のことも、体育の跳び箱や鉄棒がイヤだなという心配も、受験がどうのこうのという面倒なことも、とにかく今は忘れてかまわない。
社会主義
(国会議事堂の警備担当兵士。ブレジネフ時代を髣髴とさせる姿である。バランス的に驚くほどの小顔であることに気づく)

 昔の北国には「石炭ストーブ」というものがどこの家にもあったし、吹雪になれば停電は日常茶飯事だったので、トーロトーロの世界は一冬に何度も訪れた。よく耳を済ますと「海鳴り」などというものも聞こえてきた。海から1kmも離れた町中でも、岸壁に巨大な並みが打ち寄せる音が重々しく響いて聞こえたものである。
 元気な朝日に満たされた健康な朝は、そういう夜の後は特に、多くの子供をガッカリさせるものである。「子供は風の子」などという大人のイメージとは、実際の子供はかけ離れた存在なので、ローソクと太陽ならローソクを選ぶし、爽やかな朝日の清々しい朝が訪れる快感より、科学者なり小説家なりになる夢にまだまだ浸りながら、いつまでもヌクヌクしていたいというのが普通の子供の本音である。
トラムを待つ人々
(トラムを待つ人々。ドナウ河左岸にて)

 吹雪の夜が明けて、12月20日のブダペストは朝から爽快な晴天。気温は相変わらず低いけれども、太陽の輻射熱で雪が融けはじめ、ホテル最上階の(と言ってもたかが9階だが)今井どんの部屋でも、どこからか雪のしずくの規則的にしたたる音がする。こういう朝が訪れると、昨夜の夢は瞬時に消え去ってしまう。宿題、体育、長い授業、受験の心配、その他諸々の不安と些事、面倒なことのすべてが一斉によみがってきて、父も母も、祖母や祖父や兄弟まで、昨夜の夢の優しい顔つきをとっくに失ってしまっている。
 こういう「夜大好き」「吹雪大好き」の性格を、小うるさくせっついて矯正しようとするうるさい人々が、旧カニ蔵は大嫌いである。品行方正で「元気で明るい活発な子」「みんなとよく協力する笑顔の子」みたいなものに子供を仕立てあげようとするのは、単に教師のエゴである。夜大好き、ローソクの灯り大好き、じいちゃんばあちゃんの昔話大好き、深夜のラジオ大好き。それはどうしようもない生まれつきの性格の問題である。
晴天のトラム
(市電2号線。快晴の冬空の下では、電車まで誇らしげである)

 朝からせっせと皆と協力しあって清掃活動に励むのは誠に素晴らしいし、朝型人間で朝5時に起きて勉強を済ませてしまうのもたいへん結構なことであるが、それではドストエフスキーもワグナーも理解することはできない。朝5時起きで2時間机に向かって勤勉にネルヴァルの小説を読む、朝4時に起きてバルトークを聞く、そういういうのは何かの勘違いであって、夜と怠惰の中でしかわからないことがたくさんあってしかるべきなのである。
雪をかたづける
(昨夜「傘地蔵」でいっぱいだったクリスマス市も、雪をかたづけて今夜の賑わいの準備を整える)

 ブダペストの今井クンは、こんなに爽やかに晴れ渡ってしまった朝に、二日酔いの重苦しい頭をかかえ、それを我慢して外に出かけるのはイヤである。シャワーを浴びて、日本から持参した温かい玉子スープを飲んで(そのためのマグカップまで持参している)、口の中が少し塩辛くなったのでビールを1本シュポンとあけて、「また眠くならないかな」とベッドに横たわってみて、とにかくそうやってダメな小中学生とそっくりの行動で(もちろん「ビールをシュポン」は別として)、「出かけなければ」という強迫観念を飼いならそうと努力する。
 それで誠にうまく再び睡魔が襲ってきて1時間でも30分でも「マタ寝」が出来れば、それでやっと気分が盛り上がってくる。出かけるのは11時半。2時半に夕暮れ、3時には暗くなる冬のロンドンやブダペストでは、11時半には既に1日が終わりかけた雰囲気があるが、のんきな旅行者としては別にそれでかまわない。日本人や中国人の団体ツアーみたいに「朝7時ロビー集合」「9時には美術館にご案内」「11時有名レストランでご昼食」などと異様に忙しいことをやっていたのでは、旅の醍醐味はわからない。

1E(Cd) Bernstein:HAYDN/PAUKENMESSE
2E(Cd) Fischer & Budapest:MENDELSSOHN/A MIDSUMMER NIGHT’S DREAM
3E(Cd) Coombs & Munro:MENDELSSOHN/THE CONCERTOS FOR 2 PIANOS
4E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE 1/2
5E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE 2/2
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