Sun 100523 ヨーロッパ受難の年はあの寒波から始まった ライン河とドナウ河の眺め | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 100523 ヨーロッパ受難の年はあの寒波から始まった ライン河とドナウ河の眺め

 思えば、あの大寒波から今年のヨーロッパの受難が始まったのである。まず、12月19日早朝から大寒波が襲来し、「えっ、そんな南のほうで?」と驚くような、イタリアやスペインやポルトガルでも大雪になった。
 ミラノのマルペンサ空港も大雪で閉鎖されて、アリタリア航空の飛行機が重たい雪をかぶって震えている映像が繰り返し流れた。ロンドンとパリの間のトンネル付近でユーロスターが立ち往生したのもこの時。乗客の怒りや諦めの表情が連日テレビニュースに大映しになり、配布されるクロワッサンとミネラルウォーターを仕方なしに受けとる様子が痛々しかった。
 そういう状況がクリスマス明けまで続いて「せっかくのクリスマスをこんな場所で過ごすことになりました」という苦笑いが溢れた。ウワバミどんはと言えば、ここから2~3日ブダペストの大寒波に震えていたとはいえ、その後プラハに移動する列車も無事動いてくれたし、帰国はパリからだったが、帰国するころにはシャルル・ドゴール空港の大雪もやっとカタがついていて、大した影響は受けなかった。
ドナウ1
(大寒波のドナウ河。河の向こうはハンガリー国会議事堂である)

 あれから半年のうちに、おそらくヨーロッパの人たちが「わたしら、何か悪いことでもしましたか?」と神様にお伺いを立てたくなるだろうほど、連日の受難が続いている。4月はアイスランドの火山が大噴火、5月にもう一度大噴火、そのたびに飛行機は欠航して、リスボンに行く途中のクマどんも、ロンドンのヒースロー空港で丸1日足止めを食うことになった。
 経済のほうも、ギリシャ危機、ポルトガル危機、スペイン危機ときて、6月にはとうとうハンガリー危機。危機が表沙汰になる2週間前にソニーがハンガリー工場閉鎖を発表したのはさすがかもしれないが、経済はホントにたいへんそうである。
 それでも「さすがヨーロッパの粘り腰すごい」と感動するのは、こんなにいろいろ危機続きでも、「来年1月にはエストニアがユーロ導入」というニュースを見る時である。「ユーロ危機が止まりません」「円買いユーロ売りが加速しました」とか、そういうニュースに踊らされ、軽薄きわまりない短期的売買が続く中で、やはり着々とユーロは根を深く下ろしていくのである。
ドナウ2
(ブダペスト王宮付近からみた真冬のドナウ河。くさり橋が真ん中に見える)

 さて、大寒波の襲来の中で、クマどんも実に着実に歩みを進め、雪のカタマリを浮かべながら豊かに流れるドナウ河を、10分以上かかって左岸から右岸に向かって徒歩で横断した。「くさり橋」の上は強風が吹き荒れ、鼻の下のヒゲには塩辛いツララができ、顔も手も全て凍りつきそうである。
 諸君、ドナウ河である。ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスが、ゲルマン民族との境界線と定めたのがライン河とドナウ河。ここが防衛ラインだったのである。歴史スペクタクルものの大作映画で、いかにも統制のとれたローマ軍と、文明を知らない哀れな蛮族が雌雄を決する大舞台である。
 映画に登場するその蛮族たるや、身体に毛皮のボロ切れを巻きつけ、顔は泥だらけ、マトモな下着もつけず、信じるものは長老の呪文やシャーマンのお告げぐらい。そんなクロマニョン人みたいな姿の蛮族を相手に、いろいろ優れた武器や戦術を誇り文明を代表するはずのローマ軍が、意外に苦戦するところがまた不思議だが、まああんまり楽勝だと映画として盛り上がらないのだろうから仕方がない。
 もう10年も前の映画になってしまったが、リドリー・スコットの「グラディエーター」はそういう歴史大作の代表格である。映画冒頭、ゲルマン民族との決戦が描かれる。奇声をあげながら戦いに向けて盛り上がる蛮族の様子を眺めながら、副将格のクウィンタスが(日本語なら「5番目」。5番目に生まれた子だから。「五郎」に該当するわけだ)、主人公の将軍マキシマスに向かって、ふと漏らす慨嘆が
People should know when they are conquered.
すると、ラッセル・クロウ演ずるマキシマスが、戦いも人生も知り尽くした壮年の渋い声で、
Would you, Quintus? Would I?
と聞き返す。文法を無視してカッコよく訳せば、
「人間なら、自分が征服される時を知るべきだ」
「そうだろうか、クウィンタス。お前はその時を知るだろうか。私は、果たしてどうだろうか」
である。その一言が、奴隷として生き、奴隷として死ぬ、その後の彼の人生に対する不吉な暗示になって映画がスタートするのだが、とにかくドナウ河とはそういう舞台である。
ライン1
(ケルン付近のライン河。2009年5月。橋の向こうに聳えるのがケルン大聖堂である)

 同じ「ゲルマンとの境界線」でも、ライン河はこれほど荒々しくなかった。2009年5月、フランクフルトに2週間滞在して、ケルン・コブレンツ・ボッパート・マインツなどライン河流域の街を訪ね歩き、ついでに白ワインで有名なモーゼル河に入ってトリアーまで旅した。あと少しでルクセンブルグやストラスブールまで行けたのだが、まあその時のことは別の旅行記でしっかり書くとして、穏やかな5月のライン河と12月の大寒波の中のドナウ河では、比較するほうに無理があるかもしれない。
ライン2
(ドイツ・コブレンツ付近のライン河。2009年5月。向こう側から来るモーゼル河と合流して、右方向に流れていく)

 くさり橋を渡りきったところに小さな広場があって、そこに16番のバスが来ることになっている。ここから小高い山の上に登って、そこが王宮と大聖堂を中心とした旧市街。ブダペストを歩くなら、何といっても旧市街から始めなければならない。旧市街に登るにはケーブルカーかバス16番。バスなら地下鉄72時間券を使えるから、停留所で待つ6~7人のヒトたちと固まって、風を避けながらしばらくバスを待っていた。
 ところが、ドナウ河の河風が吹き荒れる極寒のバス停に、10分待っても15分待っても、一向に16番バスはやってこない。「これ以上待てば、凍える」「これ以上待てば、鼻ヒゲのツララが命取りになる」そう判断して、結局ケーブルカーで旧市街に向かうことにした。片道5ユーロだったか6ユーロだったか、ま、「命をカネで買う」という行動をとったわけである。バス停で耐えていた他のヒトたちも、やがてバラバラとクマどんの行動に倣いはじめたのであった。
ケーブル
(ドナウ河畔から旧市街方面に登るケーブルカー。左上方に光っているのは「くさり橋」の通るクルマのヘッドライトの列である。まだ昼ちょっとすぎなのに、すでに薄暗い)

 ヨーロッパ人も根性なしだねえと思ったが、彼らが話し合っている言葉を聞いてみると、何とスペイン語である。おお、スペインからわざわざブダペストに家族でクリスマス旅行にやってきたのだ。ハプスブルグ家つながりなんだろうけれども、さすがにそりゃ寒いだろう。沖縄のヒトが北海道にやってきて、そこで大寒波に出会ったようなものである。ケーブルカーを待ちながら、彼らがこの寒さを心から楽しんでいる様子なのが面白かった。

1E(Cd) Richter:SCHUBERT/”TROUT”&”WANDERER”
2E(Cd) Kirk Whalum:IN THIS LIFE
3E(Cd) Rubinstein:CHOPIN/MAZURKAS 1/2
6D(DMv) OCEAN’S ELEVEN
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