Sun 100516 ついにブダペスト到着 治安情報にあるような危険は、ほぼ皆無である | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 100516 ついにブダペスト到着 治安情報にあるような危険は、ほぼ皆無である

 12月18日、ブダペストの駅に着く直前から、車窓が急に薄暗くなってきた。もう午後2時、確かにヨーロッパの12月は午後3時には日が暮れる。4時にはもう深夜のような雰囲気にかわり、暖かそうな赤い明かりの灯った窓からは「もう子供は外に出ては行けません」「早くベッドに入りなさい」「歯は磨いたの?」「ママ、お話読んで」という会話が聞こえてきそう、それでふと時計を見ると「なんだ、まだ5時だ」と驚嘆することになる。
 この日も、オーストリアとハンガリーの国境あたりまでは太陽が顔を出していた。空中を漂う細かい雪に、冷たい白い陽光がキラキラ反射していたのだが、気がつくと空は分厚い雲に覆われてしまった。午後2時だというのにもう「カラスといっしょに帰りましょ」という暗さになっている。いや、むしろ「そろそろ子供はおうちに帰らないと、悪いオジサンにさらわれますよ」である。
 ブダペストに近づくにつれて風景はますます荒涼となり、荒らされ放題の工場の廃墟、落書きに覆われた煤けたアパート群、赤く錆びたクルマが山のように捨てられた荒れ地、社会主義時代の残骸、薄暗い車窓にはそういうものが続き、積もった雪もすっかり汚れてしまっている。
近郊1
(荒涼としたブダペスト近郊、車窓より)

 少なくとも、別に用もないアジア人がノコノコ観光旅行にくる都市には見えない。切迫し、荒れ果てた緊迫感が漲っている。確かに、この半年後にはソニーのハンガリー工場は閉鎖を決めた。「従業員は解雇する方針」というのである。6月6日の新聞では「ギリシャ危機の後はポルトガル・スペイン危機だが、ユーロ導入前のハンガリーもまた危機の引き金を引きかねない」らしい。ハンガリーはユーロ導入直前で、コインもユーロ硬貨にそっくり。「今から国民はユーロに慣れておきましょう」ということなのかもしれなかったが、まさか半年後にこんな危機の真っただ中に立つことになろうとは、のんきなウワバミどんの予測できることではなかった。
 ただし、ブダペストで列車を降りると、少なくとも事前にガイドブックやネットで大量に読まされた治安情報のような、イヤな危機感は全くない。確かにタクシーの客引きはいくらでも歩き回っている。彼らはお金持ちのいっぱい乗っているオーストリアからの特急列車を待ち受けていたのである。しかしそれは別に犯罪の対象として待ち受けていたのではなくて、タクシーに乗ってくれるお金持ちが、西のほうからゴッソリ運ばれてくるのをじっと待っていただけである。
ケレティどん
(実際には危険なことは何もなかったブダペスト・ケレティ駅)

 同じ「カモ」でも、犯罪のカモとは全く違うのだ。客引きのオジサンたちも、身分証明書をちゃんと首からぶら下げた善良そうなヒトたちばかりであって、治安情報に書かれている「客引きについていってはいけません」のような、まるで犯罪都市のような有り様ではない。
 そういう情報にタップリ脅されていたから、クマどんも確かに「客引きのオジサンについていったり」はしなかったが、おかげでタップリ遠回りをして駅の反対側のタクシー乗り場からホテルに向かうことになった。乗ったタクシーのドライバーは、ドライバー仲間でちょっとバカにされているタイプの男。クルマは汚かったし、客待ち中なのに居眠りしていて仲間に怒鳴られたり、シートにはポテトチップスのかけらが散らばっていたりしたけれども、まあ問題なくクルマはホテルに向かうことになった。
駅
(夕暮れのケレティ駅)

 ふう。変に怖がることなんか、何もなかったのである。警察官だって、ニセ警官はおろかホンモノの警官にだって、全く声をかけられなかった。アヤシイ客引きも、不法な両替商も、ちっとも出会わなかった。ローマやニューヨークなら見かけないこともない「見るからにヤクチュー」も、困った酔っ払いも皆無。すこぶる安全な街であって、夜の新宿や渋谷に比べれば健全もいいところである。
100
(ハンガリーの100フォリント硬貨と1ユーロ。うぉ、そっくりである)

 あえていえば、ガランとした国際列車のチケット売り場のあたりでスケボーに興じている若者たちがいて、ガイドブック的に言えば「ネオナチ」スタイルのボーズ頭が、多少の恐怖心を誘わないでもなかった。しかし、もしも「ボーズ頭が恐怖心を誘う」というなら、何を隠そうこのウワバミどんも同じスタイルである。彼らにはない凶暴そうなヒゲまで黒々と生やしていて、公平に見て、こっちのほうが凶悪に見えないという保証はないもない。要するにオアイコであって、彼らだって別に「ネオナチふうの若者に近づいてはいけません」という対象どころか、単に「街の元気な若者たち」であるに過ぎないのだ。
200
(ハンガリーの200フォリント硬貨と2ユーロ。うぉうぉ、そっくりである)

 なお、ここまでのブダペスト紀行で12月17日と書いていたのは、すべて12月18日の誤りであった。半年も前の旅行記を書くと、さすがのクマどんも迂闊にも日付を間違ってしまったりする。うにゃ。どうでもいいような気がしたが、まあ訂正しておくに越したことはない。