Fri 100514 副詞が重要 Trust me→How? Why? 副詞ヌキは破綻する | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 100514 副詞が重要 Trust me→How? Why? 副詞ヌキは破綻する

 この1週間、余りに哀れな鳩山どんの末路だったが、それでも我々に深く考えさせてくれたことが一つある。この崩壊からヒトが学べる最大の教訓は、「副詞こそ大切」という一事であるように思うのだ。もともと政治の世界では「政治は動詞でするものだ」「副詞や形容詞の出る幕ではない」というのが常識。民主党のマニフェストは「動詞」と「名詞」の羅列で出来ていて、「これもやります」「あれもやります」の箇条書きに過ぎず、さまざまなハリボテの副詞が、追いつめられた首相の苦しい弁解に多用されただけだった。
 そのへんを小泉純一郎元総理が皮肉って「大風呂敷を広げすぎて自分で自分の首を絞めた」と発言したそうであるが、こういう失敗は政治の世界だけではない。ファミレスのメニューでも、予備校の夏期講習パンフレットでも、話は全く同じことで、ダメな店やダメな講師ほど「あれもできる」「これもできる」と羅列して、後で首が回らなくなる。「どうやって実行するのか」という方法論に関わる副詞節が欠如したところには、必ず同じ破綻が待っている。
 人気取りに汲々としている予備校の英語講師などが、「速読法」と称して「副詞や形容詞なんか無視してしまえ」と教室で力説することがある。つまり、
「副詞節や副詞句は、どうせ修飾語に過ぎないんだから、無視してしまえ」
「副詞的要素は、枝葉であって幹ではない。重要な情報は含まれていないから、読みとばしてかまわない」
のような指導である。しかし、無責任に読みとばすだけならそれでOKとしても、丁寧に精読して筆者の無意識まで読み取ろうとする時には、そういう読み方は必ず失敗につながる。
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(よく考える)

 クルマや家電のメーカーでも同じ、教師の授業計画でも、大学生のシューカツでも、受験生の学習計画表でも同じ、事情は全く変わらない。ダメな受験生の計画表を見れば一目瞭然であるが、彼ら彼女らの計画表は、カンタンにいえば問題集と参考書の名前の羅列であって「あれもやれたらいいな」「これもやっとかなきゃ」という白日夢に過ぎない。
 例えば単語集がやりたい。そこで一番有名な「ターゲット」か「速読英単語」をやることにして、計画表に「3ヶ月完成」と書き込む。数学が弱いから「チャート式」で「弱点克服」することにする。もちろん計画表に「夏休みはチャート式数学をマスター」と書き込み、ピンクのマーカーで色を塗る。それで終わりなので「どうやってマスターするのか」「そうやって3ヶ月で完成するのか」は全く考慮しない。
 民主党のキレイなマニフェストなどというものが、実はそのレベルのものであることは、3年も4年も前からわかっていたので、今井くんは受験生対象の講演会であっても、事あるごとに「民主党のマニフェストみたいな計画表だけは作成しないように」と口を酸っぱくして繰り返してきた。
 「高速を無料化します」なら「どうやって、どういう工程で?」だし、「最低でも県外」なら「どうやって他県を説得するのか?」が併記されていなければイミがない。それを怠るから「最低でも県外」は「最悪だったので、やっぱり県内」「交渉がうまくいかないから、やっぱりもとのママ」になり、「最悪だから辞任」「国民が聞く耳持たないから、政権は放り出す」という結果になるのは当然、自明のことである。
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(さらによく考える)

 つまり、やはりどんな場面でも「どうやって実行するのか」という副詞節/副詞句こそ重要なのだ。神宮球場に響いた応援は「早稲田を倒せ、オー!!」「慶応たおせ、オー!!」だったのだが、「早稲田を倒します!!」と宣言したら、問題は「どうやって?」である。「倒せ!!」「燃えろ!!」「かっとばせ!!」と言い放っていればそれで十分に機能するのは、応援団というある意味で無責任な存在だからこそなのだ。
 しかし、実際に勝負に責任を持たなければならない監督としては「どうやって燃えるのか?」「どうやって倒すのか?」「どうやってかっとばすのか?」という、疑問副詞howの疑問文に対して、常に明確な答えを示さなければ存在意義がない。早稲田応援団も「がーんばれ、がーんばれ、がんばれ早稲田!!」と声をそろえて歌えばそれで終わり。しかし大切なのは、「じゃ、どうやってがんばるの?」という質問に対する答えの発見である。
 繰り返しになるが、この点の欠如が、民主党マスコット「マニくん」「フェストちゃん」の大きな欠陥である。「あれもやる」「これもやる」という名詞と動詞(正確には他動詞と直接目的語)の羅列のみがあって、「どうやって」の部分が決定的に欠落している。昨年の選挙前に「財源は?」と突っ込まれると「なんぼでもある」としか答えられなかったのがその証拠だった。
降りる
(大切なのは「どうやって」降りるかである)

 いや、何よりの証拠は、副詞と副詞句/副詞節に関する彼らのボキャブラリー不足である。「きっちりと」「しっかりと」「誠心誠意」「命をかけて」「職を賭して」「熱意をもって」「まじめに」「心から」「全身全霊で」「いっしょうけんめい」。彼らの副詞は、色とりどりに見えるとしても、結局「約束したことがうまく実現しなくても、こんなに努力しているんだから許してもらえますよね」という青白い弱気を、いろいろに言い換えただけのものなのだ。
 「マニフェスト」なるものが、どうにもアテにならないキレイゴトを並べただけの一覧表に過ぎないというのはハナからわかっていた。要するに野球の応援団と同じで「きっちりとー、燃えろ!!」「しっかりとー、かっとばせ!!」「誠心誠意、倒せ!!」「心からー、がんばーれ!!」では、滑稽なだけで、噴飯ものと言ってかまわない。
 「助けてー!!」の悲鳴に「待ってろ!!」「Trust me!!」と答えたまではよかったが、「どうやって?」の部分は、わからずじまい。「しっかりと、待ってろ」「きっちりと、待ってろ」、そういう不思議な「待ってろ」が8ヶ月続いたのである。
 こういうことは、マニフェストを作成する側ばかりでなく、マニフェストを読んで理解する側にも重要なことである。選挙民として成長するには「何をやるのか」を読み取るばかりでなく「どうやるのか」「どうやって実現するのか」「どういう方法で防ぐのか」、そういうhowに対する回答が、それこそ「しっかりと」「きっちりと」盛り込まれているかどうかに着目しなければならない。
 「Trust me!」と言われたとき「How?」と聞き返すのは、なかなか手厳しい態度である。「Trust me!」に「Why?」となると、その手厳しさは最高度であって、終わりかけた男女関係の描写にしか登場することは考えられない。

1E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du Pré
:BEETHOVEN/PIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 3/9
2E(Cd) Amalia Rodrigues:SUPERNOW
5D(DMv) HELEN OF TROY
8G(Rr) クセノポン/松平千秋:アナバシス 敵中横断6000キロ:岩波文庫
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