Wed 100428 ウィーン3日目 ニット帽を貫く寒さ フードで対抗、かまくらの白日夢
12月16日、ウィーンの3日目の予定は(いよいよ今日から中欧東欧旅行記に戻ります)、午前中がシュテファン寺院の塔に登ること、午後からベルベデーレ宮殿のクリスマス市に出かけてみることである。
朝から分厚い雲の間に晴れ間がのぞいて、雲の間から青い空の切れ端が見えたり、暖かい日の光が街中を一瞬照らしたりするが、基本的にはドイツの12月である。ポケットから手を出せば凍りついて、あっという間に針で刺されるような痛みに襲われる。
![シュテファン1](https://stat.ameba.jp/user_images/20100525/02/imai-hiroshi/4b/db/j/o0270036010557699610.jpg?caw=800)
(ウィーン、シュテファン寺院の内部。うぉ、寒そうである)
納得のいかないのは、耳の痛さである。ニットの帽子を持参してきたのだが、これがあまり用をなさない。ニットの網の目を通して、針でつつかれるような鋭い痛みが耳に侵入してきて、防ぎようがないのである。ニットなんかで防げる寒さと防げない寒さがあるのだ。
周囲のオーストリア人や、ロシア人観光客を見ると、防寒具は基本的に皮革製品。映画でよく見かけるナチスの兵士の黒光りする革手袋には、その意味では合理性があるのだ。ロシア人の例の毛皮の帽子(今井君の世代は「ブレジネフ帽子」などと呼ぶクセがあるが)にもやっぱり合理性があって、痛いほどの寒さに対抗するのになれたヒトたちの知恵なのである。
北海道出身の人から「寒いというより痛いのだ」と聞かされることがよくあるが、そのあたりはおそらくドイツの冬と共通なのだろう。水分の多い秋田の緩やかで穏やかな寒さの中で育った今井カニ蔵君としては、こういう厳しい気候は予想外。前回冬のウィーンを訪れた5年前は、2月下旬だったから、すでに半分春になりかけていたのである。
![シュテファン2](https://stat.ameba.jp/user_images/20100525/02/imai-hiroshi/a1/c6/j/o0360027010557699944.jpg?caw=800)
(シュテファン寺院内部、うぉうぉうぉ、寒さがよみがえる)
仕方なくジャケットのフードをかぶって寒さを防ぐ。ところが、もともと子供の頃からデカイ頭にニット帽をかぶり、「頭の大きさ+ニット帽の分厚さ」で、頭の総量はシコタマ大きくなっている。すると、その言語道断にデカイ頭にジャケットのフードがついていけない。というか、ニット帽をかぶったままではフードをかぶれない。
無理にかぶろうとすると、フードが引きつれて、首が後ろのほうに引っぱられる。すると右目は右のほうに、左目は左のほうに、それぞれギュッと引っぱられて、激しいキツネの目に変わる。ニャゴロワが喜ぶのでよくこういうキツネ目ネコにして遊んでいたが、そういうことをして遊んだ罰がこんなところで下るのである。
![シュテファン3](https://stat.ameba.jp/user_images/20100525/02/imai-hiroshi/7d/65/j/o0270036010557700114.jpg?caw=800)
そこで、「ニット帽+フード」の贅沢は、やむを得ずあきらめる。「ニット帽のみ」では「針で刺されるほど痛い」であるから、残った選択肢は必然的に「フードのみ」になる。それでは何だか耳が丸出しで、無防備な自暴自棄の感じもするが、とにかく他に選択肢はない。思い切ってニット帽を脱ぎ、丸めてポケットに突っ込み、「フードのみ」の自暴自棄を試してみることにした。で、これが大成功。耳丸出しの自暴自棄に思えたこの方式で、耳はホカホカ、凍りついていた毛細血管のスミズミまで急激に血液が行き渡って、ホカホカというよりズキズキであるが、ズキズキしながらも「とにかくボクは生きているんだ」という充実した生命感が、耳にも頭の皮膚にも漲った。
![シュテファン4](https://stat.ameba.jp/user_images/20100525/02/imai-hiroshi/58/0f/j/o0270036010557700265.jpg?caw=800)
(シュテファン寺院の塔につながる石段の登り口)
つまり、その直前には耳はもげそう、頭の皮膚にはもう感覚がなくなって、「何だかハゲてしまいそうだな」という重くつらい深部感覚に悩まされていたのである。風を通さない分厚いフードをかぶって、フードの中は秋田のかまくらの中みたいにホカホカ暖かくて、頭のすべての毛穴から湯気を上げて蒸気が流れ出し、やがてフードの中は蒸し器のように蒸れはじめた。
こんなふうで、もしフードの中で秋田弁の訛った子供たちがモチを焼いたり「甘酒しんじょ」などと言いながら小さな手を差し出すのが見えたりしたら、そのときクマどんはマッチ売りの少女のように寒さの中で白日夢を見ていたことになる。しかしさすがクマどんである。そんな白日夢を見ながら幸せの中で息絶えてしまうかわりに、立派に入場料を支払って凍てつくウィーンのシュテファン寺院に入り、例の狭い石の螺旋階段を右回りに登りはじめたのだった。
朝から分厚い雲の間に晴れ間がのぞいて、雲の間から青い空の切れ端が見えたり、暖かい日の光が街中を一瞬照らしたりするが、基本的にはドイツの12月である。ポケットから手を出せば凍りついて、あっという間に針で刺されるような痛みに襲われる。
![シュテファン1](https://stat.ameba.jp/user_images/20100525/02/imai-hiroshi/4b/db/j/o0270036010557699610.jpg?caw=800)
(ウィーン、シュテファン寺院の内部。うぉ、寒そうである)
納得のいかないのは、耳の痛さである。ニットの帽子を持参してきたのだが、これがあまり用をなさない。ニットの網の目を通して、針でつつかれるような鋭い痛みが耳に侵入してきて、防ぎようがないのである。ニットなんかで防げる寒さと防げない寒さがあるのだ。
周囲のオーストリア人や、ロシア人観光客を見ると、防寒具は基本的に皮革製品。映画でよく見かけるナチスの兵士の黒光りする革手袋には、その意味では合理性があるのだ。ロシア人の例の毛皮の帽子(今井君の世代は「ブレジネフ帽子」などと呼ぶクセがあるが)にもやっぱり合理性があって、痛いほどの寒さに対抗するのになれたヒトたちの知恵なのである。
北海道出身の人から「寒いというより痛いのだ」と聞かされることがよくあるが、そのあたりはおそらくドイツの冬と共通なのだろう。水分の多い秋田の緩やかで穏やかな寒さの中で育った今井カニ蔵君としては、こういう厳しい気候は予想外。前回冬のウィーンを訪れた5年前は、2月下旬だったから、すでに半分春になりかけていたのである。
![シュテファン2](https://stat.ameba.jp/user_images/20100525/02/imai-hiroshi/a1/c6/j/o0360027010557699944.jpg?caw=800)
(シュテファン寺院内部、うぉうぉうぉ、寒さがよみがえる)
仕方なくジャケットのフードをかぶって寒さを防ぐ。ところが、もともと子供の頃からデカイ頭にニット帽をかぶり、「頭の大きさ+ニット帽の分厚さ」で、頭の総量はシコタマ大きくなっている。すると、その言語道断にデカイ頭にジャケットのフードがついていけない。というか、ニット帽をかぶったままではフードをかぶれない。
無理にかぶろうとすると、フードが引きつれて、首が後ろのほうに引っぱられる。すると右目は右のほうに、左目は左のほうに、それぞれギュッと引っぱられて、激しいキツネの目に変わる。ニャゴロワが喜ぶのでよくこういうキツネ目ネコにして遊んでいたが、そういうことをして遊んだ罰がこんなところで下るのである。
![シュテファン3](https://stat.ameba.jp/user_images/20100525/02/imai-hiroshi/7d/65/j/o0270036010557700114.jpg?caw=800)
(シュテファン寺院の足許で発見した、シュテファン寺院のミニチュア)
そこで、「ニット帽+フード」の贅沢は、やむを得ずあきらめる。「ニット帽のみ」では「針で刺されるほど痛い」であるから、残った選択肢は必然的に「フードのみ」になる。それでは何だか耳が丸出しで、無防備な自暴自棄の感じもするが、とにかく他に選択肢はない。思い切ってニット帽を脱ぎ、丸めてポケットに突っ込み、「フードのみ」の自暴自棄を試してみることにした。で、これが大成功。耳丸出しの自暴自棄に思えたこの方式で、耳はホカホカ、凍りついていた毛細血管のスミズミまで急激に血液が行き渡って、ホカホカというよりズキズキであるが、ズキズキしながらも「とにかくボクは生きているんだ」という充実した生命感が、耳にも頭の皮膚にも漲った。
![シュテファン4](https://stat.ameba.jp/user_images/20100525/02/imai-hiroshi/58/0f/j/o0270036010557700265.jpg?caw=800)
(シュテファン寺院の塔につながる石段の登り口)
つまり、その直前には耳はもげそう、頭の皮膚にはもう感覚がなくなって、「何だかハゲてしまいそうだな」という重くつらい深部感覚に悩まされていたのである。風を通さない分厚いフードをかぶって、フードの中は秋田のかまくらの中みたいにホカホカ暖かくて、頭のすべての毛穴から湯気を上げて蒸気が流れ出し、やがてフードの中は蒸し器のように蒸れはじめた。
こんなふうで、もしフードの中で秋田弁の訛った子供たちがモチを焼いたり「甘酒しんじょ」などと言いながら小さな手を差し出すのが見えたりしたら、そのときクマどんはマッチ売りの少女のように寒さの中で白日夢を見ていたことになる。しかしさすがクマどんである。そんな白日夢を見ながら幸せの中で息絶えてしまうかわりに、立派に入場料を支払って凍てつくウィーンのシュテファン寺院に入り、例の狭い石の螺旋階段を右回りに登りはじめたのだった。